核兵器禁止条約は、7年前の7月7日に国連で採択された。 アレクサンダー・クメントさん(オーストリア外交官)
記事:白水社
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2017年7月7日、国連加盟国193ヵ国のうち122ヵ国が「核兵器禁止条約(TPNW)」を採択した。
2020年10月24日、50の国と地域がTPNWを批准し、2021年1月22日にこの条約は発効する〔この条約は、50ヵ国が批准すると90日後に発効する〕。
この条約は、軍縮の専門家と市民団体との協働、そして協力した国家グループの確固たる(ときに大胆な)外交努力の賜物だ。TPNWは、国際法によってまだ禁止されていない唯一の大量破壊兵器である核兵器の開発、保有、使用あるいは使用の威嚇を含むあらゆる活動を、例外なく禁止する国際条約だ。
1946年、その前年に設立された国連総会の最初の決議は、核兵器などの大量破壊兵器を国の軍備から排除することだった。TPNW採択に至るまでの過程は、大量破壊兵器の排除という75年間にわたる苦闘の連続だった。
冷戦直後の短い期間を除くと、「核兵器不拡散条約(NPT)」によって核兵器の保有を認められた5つの核兵器国〔中国、フランス、ロシア、イギリス、アメリカ〕の約束にもかかわらず、核軍縮はTPNWが採択されるまで遅々として進まなかった。
TPNWが採択されるまでの裏舞台には、多国間外交という各国の努力と核軍縮を求める市民団体の地道な活動があった。この努力が実り、国際社会は、核兵器を保有するごく一部の国から核軍縮に関する具体的な行動と約束を引き出し、核抑止力に基づく安全保障システムの見直しを促した。
2010年ごろ、私を含む軍縮外交をリードする外交官、研究者、非政府組織(NGO)の専門家をメンバーとする小さなグループは、核兵器が人道におよぼす影響に焦点を当てながら、核兵器をめぐる議論の枠組みを再構築し始めた。
このグループはそれまでにない協調的な取り組みを提唱し、従来型の安全保障のあり方に疑問を投げかけ、軍縮に関する多国間型の議論の膠着状態の打開を試みた。
【ICAN statement at the Vienna Conference on the Humanitarian Impact of Nuclear Weapons】
このグループのこうしたアプローチは「人道イニシアティブ」として広く認知され、大きな機運を生み出した。グループの発足からわずか7年後、世界の大多数の国が「人道イニシアティブ」の理念に共鳴し、これらの国々は核兵器を禁止する条約を交渉する権限を国連に委任すると宣言した。
この条約により、多国間の安全保障の基盤として核抑止力を用いることは否定される。これは核軍縮の進まない現状に対する最大の挑戦と言える。歴史的な偉業であり、多国間主義の勝利を意味する「核兵器禁止条約(TPNW)」は、「核兵器を明確に禁止することが核兵器廃絶への道を開く」という希望の表われだ。
2017年、「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」は、この条約の実現に向けた取り組みが評価され、ノーベル平和賞を受賞した。ところが、5つの核兵器国とそれらの同盟国のなかには、この条約を否定したり、「世界を混乱に陥れる恐れがある」と非難したりする国があった。
1945年の核時代の幕開け以降、核兵器とどう向き合うかは、盛んに議論されてきた世界規模の難題だ。人類にとって、世界の平和を維持するには核兵器が不可欠なのか。それとも、核兵器は道徳的に受け入れがたく、人類の未来を制御不能な危険にさらす容認できないものなのか。必要悪なのか。それとも絶対悪なのか。
双方の意見は強い信念に基づいている。核兵器が不要な平穏な世の中にならなければ、核兵器のない世界は想定できないという意見がある。一方、一刻も早く核軍縮すべきだという意見もある。後者の意見の持ち主は、「仮に核保有国が安全保障上の利益を享受できても、核兵器とそれを利用する抑止行為は、世界中を危険にさらすことになる」と警鐘を鳴らす。
これまで何十年にもわたり、核抑止論者と軍縮論者、現実主義者と理想主義者、核兵器国と非核兵器国は、国連や「核兵器不拡散条約(NPT)」をはじめとする核兵器に関する国際条約の枠組みにおいて激論を戦わしてきた。核兵器をめぐる論争は絶えることなく続いたが、「人道イニシアティブ」とTPNWにより、国際社会の分断はさらに鮮明になった。[中略]
「人道イニシアティブ」とTPNWは、国、研究者、市民社会の協働とパートナーシップに関する物語だ。2017年に「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」がノーベル平和賞を受賞したことからもわかるように、この運動がなければTPNWは誕生しなかっただろう。同様に、TPNWは、こうした機運を高めるために人道に関する議論を推し進め、外交努力を重ねた少数の国からなる小さなグループがなければ実現しなかっただろう。
【MSP-TV: Interview with Amb. Alexander Kmentt】
これらの努力は、外交官、市民活動家、専門家の長年にわたる地道な議論によって培われ、強化されてきた。また、核兵器以外の軍縮キャンペーン〔例:1997年に対人地雷禁止条約を成立させたキャンペーン〕において醸成された信頼ネットワークを土台としたものでもある。TPNWが採択され、発効したのは、各国とNGOが変革のためにあらゆる手段を駆使したからだ。
【アレクサンダー・クメント『核兵器禁止条約 「人道イニシアティブ」という歩み』所収「はじめに」より】