世界の大多数の国が参加し、核軍縮の中心的条約である核不拡散条約(NPT)は昨年、1970年の発効から50年を迎えた。それは、著者が25歳で始めた研究生活の期間と重なる。研究の集大成として刊行した新著では、50年で署名された10本の核軍縮関連条約と9回に及ぶNPT再検討会議について意義や相関性を解きほぐし、「核の時代」に人類がめざすべき方向も示した。
終戦の年の45年に生まれ、一家は大阪大空襲を逃れて一時九州へ。国際平和に関心を持ち、「国連事務総長になりたい」と夢を語っていた少年は、大学入学直前の63年春に夜行列車で広島を訪れ、平和記念資料館で衝撃を受ける。食事ものどを通らなかった。「被爆地の広島と長崎を見る意味は誰にとっても大きいと思います」。その体験が原点にある。
核軍縮50年を俯瞰(ふかん)的に捉えると、潮流のようなものが見えてくる。
初めて核削減を実現し、冷戦終結にもつなげた米ソ首脳のレーガンとゴルバチョフ。「核戦争に勝者はない。核戦争は戦われてはならない」との合意は、核廃絶への信念と協調姿勢があったからこそだった。その対極とも言えるのが、自国中心主義だった米ブッシュ(子)政権やトランプ政権が残した禍根だ。それが5年に1度開かれるNPT再検討会議の場にも影を落とし、重要な条約が潰されていく。逆に、核兵器禁止条約の発効につながる非核兵器諸国の取り組みが決して無力ではないことも、この50年から浮かび上がる。
著者は95年以降、NPT再検討会議の日本政府代表団顧問として、交渉の流れを現場で見てきた。「地球の上からの視点」に立ち続けて今、こう語る。「今後の国際関係が自国中心主義から国際協調主義へ、国家の軍事的安全保障から人類の安全保障へと転換していくことが重要なのです」(文・副島英樹 写真・内田光)=朝日新聞2021年6月5日掲載