多言語で交差し共鳴するラテンアメリカ文学の現在地――『ラテンアメリカ文学を旅する58章』
記事:明石書店
記事:明石書店
一般に「ラテンアメリカ文学」というと、アメリカ大陸にあるスペイン語やポルトガル語で書かれた文学を指すことが多い。しかし本書では、アメリカ大陸が多言語空間であることを示そうと、その2言語に限らず、英語、フランス語、先住民の言語による文学作品を含めている。エリアとしての「ラテンアメリカ」は、国や言語を単位として区切ることができないことを伝えたかったからだ。こうした複数の言語と地域を横断するタイプの「ラテンアメリカ文学」に関する本はこれまで出たことがない。
近年多くのラテンアメリカ文学作品が翻訳されている。そうした作品は書店や図書館では国別、言語別、作家のアルファベット順などで並べられ、作品の相互関係はなかなか見えにくい。それに日本語での研究も進んでますます多様さが際立っている。本書はそうした状況に応じて、これからラテンアメリカ文学を読もうとする人のためのハンドブックを志した。
本書最大の特徴は、翻訳や研究を通じて成果を発表している専門家に書いてもらったことである。ラテンアメリカは広く、一人や二人でこの地域の文学を丁寧に紹介することには無理がある。編者を含めて合計34名の執筆者が専門とする地域、言語、時代、作家、作品など、役割を意識して書いている。巻末の読書案内には、執筆者の著書や翻訳書が掲載されているので、本書とあわせて読んでいただきたい。
近ごろ、作家のゆかりの場所には記念碑が置かれ、生家が博物館になっていることも多い。生誕年や作品の刊行年を起点として、区切りの年には記念行事が開かれ、各地でブックフェアも催されている。こうした場所は、作家や作品を深く知る上で貴重な機会であり、研究者にとって研究仲間とも意見交換のできる大切な場所になっている。
多くの執筆者は現地を訪れ、驚くべきフットワークで作家や作品を追いかけている。作家の歩いた道と同じ道を歩き、同じ空気を吸い、そこでしか得られない経験に基づいて書いている。作家と交流しながら翻訳を進めている場合もある。現地で撮られた豊富な写真、作家と作品の舞台となった街をめぐって変わりつつある状況など、21世紀の文学研究のあり方も本書を通じて垣間見ることができる。
前述したように、取り上げた作家には、従来の「ラテンアメリカ文学」にはおさまらないような、米国のチカーノ作家やチカーナ詩人も含まれている。そして、個別の作家にとどまらず、征服期の記録文学「クロニカ」、19世紀の「モデルニスモ」、先住民のマヤ文学、女性作家、児童文学、証言文学「テスティモニオ」など、この地域の文学を把握するために重要となる項目も用意した。
章の並べ方は、編者二人で知恵を絞った。文学史を目指してはいないとはいえ、本書を通じて主要なラテンアメリカ文学作家・作品を追えるようにするために、作家の生誕年を基準に並べてある。それでも33章から39章までは、環カリブ地域のつながりを見せようと、生誕年よりも内容の連続性を重視している。
33章はキューバのスペイン語作家ニコラス・ギジェン、34章はマルチニークのフランス語作家エメ・セゼール、35章はバルバドスの英語作家ジョージ・ラミング、36章はコロンビアのスペイン語作家ガルシア・マルケス、37章はマルチニークのフランス語作家エドゥアール・グリッサン、38章はグアドループのフランス語作家マリーズ・コンデ、39章はセント・ルシアの英語作家デレク・ウォルコット、トリニダードの英語作家V・S・ナイポール。
この本は基本、拾い読みで構わないと思っているが、この33章から39章までは続けて読んでいただきたい。この環カリブ地域からはノーベル文学賞作家が4人出ている(ノーベル文学賞がなかった2018年に1年限りで設立されたニュー・アカデミー文学賞を受賞したマリーズ・コンデももちろん含めている)。言語の複数性の中から浮かび上がるのは奴隷制と植民地主義、すなわち1章で取り上げられているコロンブス以降、アメリカ大陸全域で起きていることだ。