大学紛争が収まった頃、東京外国語大大学院で、教授たちの反対を押し切ってラテンアメリカ文学を専攻することになり、必要な講師として鼓直先生を招いてもらった。授業は学部と共通のテキスト講読だったので僕にとっては終了後に喫茶店で話し込むことこそが授業だった。日吉、さらに引っ越し先の八王子のお宅に伺い、そのまま泊めていただいたこともあった。
延々と続く一対一の対話は場所が新宿のバーでも変わらなかった。あのちょっと照れたような穏やかな口調を思い出す。
スペイン語文学への関心は本国が中心で、『ドン・キホーテ』やロルカがもっぱら対象だった当時、先生は『百年の孤独』と取り組んでいたはずだ。一九六七年にグアテマラのアストゥリアスがノーベル文学賞を受賞したものの、革命文学の作家と見なされていた。先生はその『緑の法王』という小説も訳している。だが本領を発揮するのはガルシア=マルケスの代表作と出会ってからである。
冒頭を果てしなく書き直したとその時の担当編集者から教えられたが、ガルシア=マルケスの作品は冒頭が重要なので、必要な作業だったはずだ。それに先生は、驚くべきことにラテンアメリカ体験がない。インターネットもない時代だから、すべて想像で補っていたわけだ。その分、文学として深く読み込み、自在に日本語に移すので、その訳文の強度は半端ではない。とにかく語彙(ごい)が豊富で教養語から卑猥(ひわい)な言葉までふんだんに持っている。それが通俗性と哲学性を併せ持つこの作品に見事にはまった。それから強調したいのがユーモアのセンスだ。これなしにはラテンアメリカ文学の特徴であるパロディーの要素を伝えることは難しい。怒りや血と汗と涙ばかりでは人の心を深いところから動かすことはできない。先生が政治に囚(とら)われず、翻訳で遊ぶことができたのもユーモア感覚ゆえだ。
パロディーと言えば『伝奇集』などボルヘスの知的作品が思い浮かぶが、それもこなし、さらにおぞましいイメージに満ちたドノソの『夜のみだらな鳥』をも見事にこなす。そして作者と遊びを共有しながらも難解な語句を省いたりせず、実に丁寧に訳す。飄々(ひょうひょう)として偉そうにしない先生だったが、飲んでいるとき、訳文について訳者の前では言わないであろう鋭い批評を加えていた。一度翻訳のために出無精な先生を誘って信州の民宿で合宿したのも、今思えば実に大切な授業だった。=朝日新聞2019年7月3日掲載