失われた「郷土」をもとめて 〜郷土史を探求するということ
記事:朝倉書店
記事:朝倉書店
はじめに、本書の成り立ちについてご紹介したい。本書は「郷土史大系シリーズ」と関連して刊行された。同シリーズの内容を年表や地図に整理しつつ、相互に補完する形で活用することができる。また編者を同じくしており、シリーズの中心メンバーは、東京学芸大学・名誉教授であった阿部猛先生である。先生は2016年に逝去されたが、ご尽力いただいたその遺志を継ぎ、夏目琢史先生が本書の序文を執筆された。
現代人であるわれわれにとって、「郷土」を意識する機会は少ない。多忙な日々を送るなかでは、生まれ育った地域に思いをはせる余裕を持てないでいる。しかし、こうした問題は戦前から指摘されていた。1931年、羽仁五郎は以下のように指摘している。
今や、人口の十分の九は既に完全に郷土から放逐せられ、いづこにも郷土を有せない。(『郷土科学』13号, 1931年, p4)
日本人が「郷土」を失うという指摘は、戦前からなされていた。ほとんどの人が放逐、すなわち追われるようにして故郷を離れ、故郷という意識を自然と内面化することができないというのである。現に20世紀の日本では何度も「郷土ブーム」が起きていた。柳田國男が「郷土研究会」を設立した。1970年代には「地域史研究」を行うことが全国の自治体で流行した。このような動きは逆説的に、「郷土」を失う危機感があったことを意味する。意識的に盛り立てなければ消失する、そのような危うさが、当時の人々を駆り立ててきたのだ。(「郷土史とは何か」(「ⅰ~ⅱページ」)より要約)
現在では、「地域」という語が「郷土」と同じ意味で聞かれるようになった。「地域の伝統」「地域研究」といった概念は流行し、頻繁に使用されている。しかし、これらには本質的な違いがあるという。
「地域」がどちらかというと客観的な概念であるのに対し、「郷土」は主観的であり、そこに当事者たちの複雑な“ 思い”(なつかしさ、郷愁)が付随している。極端に言えば、その土地に生まれ、その土地の小学校・中学校を卒業し、その土地で生計を営んでいる者たちのみが共有し得る強い“思い”が含まれている。 (本書「ⅱページ」より引用)
個々の思い出、生活、日常の細かな実感が、「郷土」という言葉には含まれる。そして近年の大災害やコロナ禍は、まさにこの「郷土」について人々に問い直す事件であった。歴史・文化・伝統、さらには日常生活までもが、ある日唐突に消滅するかもしれないのである。ここに来て「郷土史」は、新たな転換点を迎えている。(「郷土史とは何か」(「ⅱ~ⅲページ」)より要約))
例えば、治水というテーマで江戸時代のことを調べるとする。洪水の被害に度々遭い、史料が豊富な地域を絞って研究することになるだろう。しかし、「郷土史」はそれとは異なる前提、異なるアプローチで研究を進めるという。
しかし「郷土」の歴史を探究するというのは、そうした“ 目的” をともなわない。その地域の日常の世界を復元していくこと自体に主眼がおかれる。すなわち「郷土史」を探究するというのは、そこに暮らした人びとの失われた日常を発見していくことを意味している。(本書「ⅲページ」より引用)
地域社会研究、社会史などと呼ばれる分野は、個々の事例において「普遍性」を求める。一方で郷土史は、個々の地域の「特殊性」に注目し、探求を進めていくものである。ここに「他地域との比較検証や全体史とのつながり」を取り入れることで、時空間的に日本全体を概観することができるようになる。ミクロの視点からマクロの視点へつながり、日本の歴史を再構成するのが、郷土史研究の意義の一つなのだ。(「郷土史とは何か」(「ⅲ~ⅳページ」)より要約)
ところで治水については、本書「郷土史資料集 15ダム一覧」(p472-473)や『郷土史大系 生産・流通(上)』の「Ⅰ. 農業 」内の項目「灌漑施設」(p11)、さらに『郷土史大系 領域の歴史と国際関係(上)』の「Ⅰ. ヤマト・日本」内の項目「3. 荘園制 河海の支配領域」(p63)で複数の視点から見ることができる。古代から現代にいたるまで、日本人がどのように水を利用し、ときに水に翻弄されてきたか、ご興味のある方はぜひ参照されたい。
最後に、本書に込められた思いについて、夏目先生の書かれた「あとがき」より引用してご紹介する。
私自身も生まれ育った「郷土」を離れ、すでに20年の年月が経った。その間、私の郷土も随分と様変わりしてしまった。高速道路の開発にともなう景観の変化や過疎化の進行、「郷土」が“失われていくもの”だということを実感する機会も増えてきた。歴史学の目的に、“失われた過去を再現する”ということがある。時代は容赦なく進んでいく。私たちは、大切な何かが失われていくことにすら気がつかないままに日常を暮らしているのかもしれない。本書の刊行が、そうした“失われていく過去”に目を向けるヒントになれば幸いである。……本書を阿部先生の墓前に捧げたい。(『郷土史年表・資料集』p558「あとがき」より引用)