コンゴ民主共和国の「毒」と「薬」とはなにか?――『コンゴ民主共和国を知るための50章』
記事:明石書店
記事:明石書店
地図に描かれたコンゴ民主共和国(以下「コンゴ」)の国境線を眺めていると、「異形」という言葉が頭に浮かぶ。国土の東側はアゲハチョウの羽のようだ。羽の先端をザンビアに深く食い込ませ、紋様を作るかのようにルアラバ川が北上する。国土の西側ではコンゴ川の無数の支流が、首都キンシャサのマレボプール(旧スタンレープール)に集まっていく。河口部分のわずかな領域だけが、この国と大西洋をつなぐ。コンゴの形状は、巨大な川が生み出す富の管理を第一の優先課題として、欧米列強がこの国家を創りあげたことを明瞭に示している。
この国では、人間の愚かさや醜さを嫌というほど目にする。レオポルド2世の統治下で、ヨーロッパ人は現地の人々に天然ゴムや象牙の採集を強い、ノルマに達しない者の腕を切り落とした。独立を率いたルムンバは大国の思惑が交錯する中で殺され、その遺体は硫酸で溶解された。モブツの独裁の下で途方もないカネが私物化され、独裁が終焉したかと思えば、東部で20年以上にわたって武力紛争が継続し、恐るべき人権侵害や性暴力が繰り返されている。
一方で、コンゴでは、素晴らしい才能や比類のない献身にも出会う。フランコの音楽やシェリ・サンバの絵画が与える感動は国境を越えた普遍的なものだし、東部の紛争における性暴力被害者へのデニ・ムクウェゲ医師の献身と勇気は本当に素晴らしいものだ。この国では、人間の極端なまでの美しさと醜さとが併存する。
編者の一人・武内は、1986年にアジア経済研究所に就職して以来、中部アフリカ最大の国家ザイール、コンゴの歴史を学び、現状をフォローするよう心がけてきた。コンゴでは痛ましい事件が繰り返し起きているが、その背景を学び、意味を考える作業は重要で、やり甲斐のあるものだ。コンゴで起こる問題の要因や背景を考えていくと、それはコンゴ人の問題であるだけでなく、ヨーロッパ人の問題であり、私たち自身の問題だということがわかってくる。コンゴについて学ぶことで、ものの見方が広がり、新たな視角を獲得できるのだ。
この先、コンゴと世界との関係は大きく変わるだろう。コバルトや銅など世界的に需要が高まっている鉱物資源を梃子に、この国は急速な経済成長を遂げる可能性がある。停滞、汚職、紛争、といったイメージで捉えられてきたコンゴが、華々しいビジネスの場として注目を浴びるかもしれない。こうした明るい未来像は、同時に危うさを孕んでいる。2024年初頭に大統領選挙で再選されたチセケディは、選挙戦の中でナショナリスティックな呼びかけを繰り返した。演説のなかで、対立候補のカトゥンビはルワンダとつながったエージェントだと非難し、必要とあればルワンダを攻撃するとも述べた。コンゴの経済力が増せば増すほど、ルワンダとの関係は緊張するだろう。この先、比較的短い期間のうちに、コンゴの国レベルの政治経済は、急速に変化していくに違いない。
そうした変化を追うことは大事だが、その基盤にある社会の仕組みや人々の生活を見失ってはいけない。この巨大な国では、国レベルの政治経済の変化が、必ずしも人々の暮らしに直結しない。また、国レベルの視点では見えにくい要因によって、人々の暮らしが大きく変わることもある。1990年代に起こった戦争、そして同時期の経済自由化(民営化)と相前後して、特にコンゴ東部では、鉱物資源を人力で掘り出す小規模鉱業が急速に広がり、人々の暮らしを大きく変えている。マクロレベルだけに注目していては、見えにくい変化である。
「アフリカの毒」という言葉がある。毒とは本来体に悪いものだが、ここで言う毒は、摂り続けているとそれなしではいられなくなる、すなわち「中毒」というニュアンスを帯びている。編者の一人・木村がその毒にあたったのは、1986年、はじめてコンゴの地を踏んだときだった。
琉球大学の安里龍さんと、飛行機で調査地ワンバから400キロの位置にある地方都市ボエンデに到着した。ワンバは類人猿ボノボの調査地だが、私はそこで人類学の調査をすることになっていた。しかし、カトリック・ミッションに預けてあった日本隊のランドクルーザーは、バッテリーが上がってしまってエンジンが掛からない。一週間待ったが結局修理はできず、私たちは押し掛けでエンジンを掛けて出発した。熱帯林の中の悪路を進むが、泥道でスタックしたら、また押し掛けをするしかない。そのあたりは、村の道をわざと悪くしておいて、スタックした車を押して金をせびる人たちがいるという噂であった。私たちは夕方まで何とかエンジンを止めずに走り続けた。17時半頃、坂道で滑って左の溝にタイヤが落ち、エンジンが止まった。荷物を積んだ状態ではジャッキアップも不可能で、車の運転席で眠ることになった。月が出て、蛍が飛んでいた。次の朝5時頃、近くの村から男たちが集まりはじめた。荷物を下ろしタイヤを脱出させたあと、押したり引いたりするがエンジンは掛からない。あと250キロのワンバが、とてもたどり着けない場所に思えてきた。2時間ほど泥だらけになって押したり引いたりを繰り返した後、突然音を立ててエンジンが掛かった。車に手を合わせたくなるが、周りの男たちはすでに服を洗う石鹸代を要求し始めていた。
この旅は忘れようもない。このとき私は確実に、アフリカの、そしてその中でも一番きつい部類に入るコンゴの毒にあたったのだと思う。ひどい目にあって、もう来たくないと思いながら帰国しても、また行きたくなってしまう。行ったらしばらくは幸せだが、またしんどくなる。その繰り返しである。その後カメルーンでも長期の調査をして面白い発見をすることができたが、「毒」という点では若干物足りないのである。都留泰作君がはじめてカメルーンの調査に来たとき、森の道で四駆をスタックから脱出させる練習をしようとすると、一緒にいた小松かおりさんから「木村さんはスタックが好きなんですか?」と聞かれてしまった。それを否定できないのが、毒にあたった身の悲しさである。
いまだ終息の兆しのない東部の紛争、鉱物資源を巡る問題、安定しない政治体制など、コンゴのかかえる課題は多い。そういった事柄に関する報道が、この国のイメージを形作っているのも事実である。しかし一方で、本書で描かれたさまざまな自然や人びとの姿は、私たちを驚かせ、興奮させてくれる。そしてそれ以上に、閉塞感の漂う私たちの社会の未来を考える手がかりを与えてくれると思う。無茶苦茶なところはあるけれど、そこがなにか楽しく、ほっとさせられる。強い「毒」はまた強い「薬」でもあるのだ。
【前半は本書「おわりに」(武内進一)、後半は「はじめに」(木村大治)からの抜粋である。】