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日本との交流50年 東南アジアの地域協力機構ASEANの歴史・現状・課題を読み解く

記事:明石書店

インドネシア・ジャカルタのASEAN事務局(吉野文雄撮影)
インドネシア・ジャカルタのASEAN事務局(吉野文雄撮影)

 本書は、2015年に刊行された『ASEANを知るための50章』の改訂版である。周知の如く東南アジア諸国連合(ASEAN)という地域協力機構は、1967年に海洋部東南アジア5ヵ国によって創設され、その後逐次参加国を増大して10ヵ国体制を整え、さらに2023年春、東ティモールを11番目の加盟国とすることを原則了承する「ロードマップ」を採択して今日に至っている。

 東南アジア地域における地域機構としては、親米派諸国の反共同盟としての「東南アジア条約機構(SEATO)」、英連邦諸国を束ねた「5ヵ国防衛取決め(FPDA)」などがあったが、これらは域外大国主導の反共軍事機構であった。

 これらと対照的にASEANは、一つには、東南アジア諸国独自の発意により、域内諸国のみで構成され、運営されたという自発性、もう一つは、域内諸国の友好協力を目的としたという非軍事性において、戦後初めて登場した地域協力機構であった。

 創設から57年を迎えてASEANは、初版刊行から2024年の今日までに、広域アジア太平洋に生じた地域・国際環境の変容や、域内のあれこれの政治情勢の変化に起因する多様な挑戦に直面し、これらに対応してその機能と国際的評価とを維持するか、これを果たせず衰退を迎えるかの岐路に立たされている。

 奇しくも2023年末には「日本・ASEAN交流50周年記念」を迎えたことから、本書の執筆者諸兄姉は、岐路にあるASEANの基礎を再確認し、直面する問題を解明し、合わせて今後の展望を検討するという課題を設定して執筆に臨んだ。

 その基本的認識には、初刊発行以来、域内・域外に生じた主要な変動、両者の相関をめぐる地政学の新潮流がASEANに与えたインパクトが、ASEANにいかなる展望をもたらすかの問題があった。

「EUに次いで実効的な地域協力機構」の功績と現実

 21世紀冒頭の現在、ASEANは、いまやほとんど全欧州を包摂するに至った欧州連合(EU)に次いで実効的な地域協力機構であるとの国際的評価を確保するに至った。実際、域内10ヵ国をメンバーとし、東南アジアと等身大になったASEANを理解することなしには東南アジアを理解することは事実上不可能であるといっても過言ではあるまい。

 もっとも重要なことは、1967年にインドネシア・マレーシア・フィリピン・シンガポール・タイの5ヵ国がASEANを結成したことは、第2次世界大戦後の東南アジア地域にとって、ある種の地殻変動の出発点となったという点である。端的には、混乱と紛争、貧困と後進性によって特徴づけられてきた東南アジア――より正確には海洋部東南アジア――に平和と安定、そして成長と発展をもたらす契機を提供したのがASEANだったのである。

 1967年に誕生したASEANは、全文わずか500語余りの「バンコク宣言」をよりどころとして地域協力の歩みを始めた。ASEANは、ほぼ唯一の実効的制度ともいえる「定期閣僚会議」(外相会議)を通じて域内の外交エリート間に徐々に対話の機運と相互理解をもたらし、次第に地域的アイデンティティを醸成するところとなった。海洋部東南アジアの平和と安定は、いわばその延長線上に収穫された果実に他ならなかった。

 しかし、これによって「東南アジアのASEAN化」や「一つの東南アジア」が実現したというのは、もちろん、過大評価に過ぎる。というのは、何よりもASEANに加盟したのはもっぱら「海洋部東南アジア」の諸国であり、「大陸部東南アジア」に属するインドシナ3国――ベトナム・ラオス・カンボジア――やビルマ(現ミャンマー)はその埒外にあったからである。いうまでもなく、ASEAN結成当時の地域国際情勢の基調は冷戦であり、その冷戦の力学との関連でいえば、ASEANはまさしく「反共諸国の連合」にほかならなかった。その限りでいえば、ASEANの誕生がもたらしたのは、概念的には「二つの東南アジア」――反共のASEANと社会主義のインドシナ――でしかなかったのである。

アジア太平洋地域の文脈におけるASEAN

 域内の歴史的遺産ともいうべき複雑な緊張要因を継承したまま成立したASEANは当初、いわば存続そのものを自己目的とせざるをえないほど脆弱な協議体であったが、やがて、域内諸国の友好と連帯のシンボルとなり、外交政策における共同歩調をとるよう調整する力量を獲得し、対外的にも交渉力・発言力・影響力を着実に蓄積していった。とりわけ、1978年末から91年までの13年間におよぶ「国際内戦」たるカンボジア紛争の平和的解決に際して果たした役割はASEANの国際的評価を顕著に高めることとなった。

 1980年代末、冷戦構造が崩壊するにいたって、ASEANとしても新たな地域国際環境の下でその役割や位置を模索する必要に迫られた。そのときASEANは、米中両国が影響力を求めて対峙しつつ相互に牽制する間隙をぬう形で「アジア太平洋における広域対話」という方向性を打ち出し、1993年には「ASEAN地域フォーラム」(ARF)などを通じて、弱体な諸国の連合体にもかかわらず――従来は大国のみが担ってきた――地域秩序の構築に主導的な役割を果たすのに成功した。「ASEANの中心性」という自負が登場したのはこのためである。

 本書が、読者にASEANへの関心を導き、アジア太平洋地域の複雑で微妙な文脈の中でASEANを理解する視線を養い、あるいは将来のASEAN研究への契機を提供することができれば、編者として無上の喜びである。

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