1. じんぶん堂TOP
  2. 歴史・社会
  3. 『公教育の再編と子どもの福祉【全2巻】』の編者、金子良事さんたちが大切にしてきたこと

『公教育の再編と子どもの福祉【全2巻】』の編者、金子良事さんたちが大切にしてきたこと

記事:明石書店

森直人・澤田稔・金子良事編著『「多様な教育機会」をつむぐ――ジレンマとともにある可能性』(公教育の再編と子どもの福祉①〈実践編〉)、『「多様な教育機会」から問う――ジレンマを解きほぐすために』(公教育の再編と子どもの福祉②〈研究編〉)明石書店
森直人・澤田稔・金子良事編著『「多様な教育機会」をつむぐ――ジレンマとともにある可能性』(公教育の再編と子どもの福祉①〈実践編〉)、『「多様な教育機会」から問う――ジレンマを解きほぐすために』(公教育の再編と子どもの福祉②〈研究編〉)明石書店

多様な教育機会を考える会

 この二冊のシリーズ本の、そして、本の母胎となった多様な教育機会を考える会(rethinking education研究会、以下RED研)の最大の特徴は、事務局の中核を担い、編者にもなった森直人、澤田稔、金子良事の3人が実はこの問題の専門家ではなかったということです。このうち、森さんと澤田さんは教育系領域の研究者なので、依頼された学会報告等を通じて専門家としての意見を求められることがあったと思いますが、私にいたってはそういうことは一度もありません。しかし、逆説的ですが、それこそがRED研の一つの特徴ではないかと私は思うことがあります。

 RED研は、教育機会確保法成立の呼び水になった「多様な教育機会確保法案」が発表されたことをきっかけに、3人で「あれ、本当にいいの? ちゃんと反対した方がよいのでは」と素人考えで反対運動を起こそうとしてスタートしました。何も知らなかった私たちは、自分たちが運動するまでもなく、そんなに簡単に法案が成立しないことに気づき、その瞬間、今度はこの法案が提起した、これだけ膨大な数の不登校の子どもがいるこの状況をどう受け止めるのかというメッセージが決して捨て去られてしまってはいけないと180度方向転換しました。私たちは、カッコつけて言えば、素人であっても子どもたちが属する社会の一員として、この問題を考え続けようということを決めました。

 私たちが最初に考えたのは、この法案作成の中心がフリースクール等学校外で子どもたちを支えてきた人たちであったことも踏まえて、もう学校だけで教育を考えるのには限界があるということ、同時に学校を中心とした教育システムが機能してきた部分は継承し、またより良いものにできる可能性を信じるということでした。その思いを集約したのが公教育の再編という言葉です。研究会の運営については1巻に収録した座談会でふり返っていますが、本当に行き当たりばったりでやってきました。ただ、こうして考え続けるという私たちの姿勢に共感してくれた研究者や現場で実践している方が少しずつ研究会に参加してくれるようになりました。

シリーズ「公教育の再編と子どもの福祉」を編むまで

 本シリーズは今回、私たちの現時点を本にまとめようと企画したものです。著者のラインナップを見たら、なんでこんなメンバーが一堂に会しているんだろうと思われるのではないかと想像してしまいます。全体を通して、RED研に参加してそこで感じて考えたことをなんでもよいので書いてくださいというのが編者から著者への依頼でした(例外は、素人でも分かるような教育機会確保法以前と以後をコンパクトにまとめた解説を書いてほしいと無理して依頼した1巻の高山龍太郎さんのものだけです)。声をかけた時に私たちなりにその著者の問題意識を考えたうえでの腹案を持っていきましたが、そこから離れたテーマで書かれた論文もあります。編者も含めて全員、全体がどのようなものになるのかは校正の段階にならないと分からなかったのです。

 とはいえ、実践編の1巻と研究編の2巻では作り方も違いました。編者として、著者として、圧倒的に大変だったのは1巻でした。1巻は研究者以外にも伝わるように実践を平易に書くという方針だったのですが、これには第Ⅰ部で自分たちの論稿を書くことにした私たち自身も難儀しました。第Ⅱ部の著者の現場で実践している方たちとは、編者との相談という形で、私たちがどういう意図でこのシリーズを作ろうとしているか確認しつつ、半分くらいは私たちが勉強させてもらいながら、一緒にどうやって書いていくか模索しました。一見、楽屋裏に見えるこのプロセスこそがRED研の本質だと私は思っています。教育分野は、自分の経験や考えを述べる「私の教育論」的なものと、素人からはハードルの高い専門家の論考という形で語られることが多いです。でも、教育は誰もがかかわりを持つことです。RED研では、誰にも届くような言葉を探し続けてきました。

 2巻については、執筆者同士がこの本を書くにあたって、私たちの思いを伝える趣旨説明はしましたが、全員が揃ういわゆる研究会は一度もやっていません。これはアカデミックな編著本を作るにあたっては例外的だと思います。実は冒頭でも紹介しましたが、私は教育領域の研究界隈の専門家ではないので、そもそも森さんと澤田さんほど著者のみなさんと面識があったり、研究内容を知っているということはほとんどありませんでした。だからこそいっそう、揃った論文を読み通した時に、「ああ、たしかに私たちは同じRED研で考え続けてきたんだ」と感無量でした。

我々が大切にしたこと

 シリーズのタイトルになった「公教育の再編と子どもの福祉」ですが、実はここにRED研が大事にしてきた思いを込めました。それは子どもの福祉です。ただ、ここでの福祉はウェルビーイングの意味で捉えています。あえてカタカナではなく「福祉」を残したのは、福祉の世界の方にも届いてほしいと思ったからです。研究会を始めた頃、私たちの中で公教育の再編というテーマは簡単に共通了解になったのですが、教育を考えるのに何か補助線が必要だということで福祉に注目し、福祉とは何かを議論する中で、ウェルビーイングという言葉を大事にするようになっていきました。

 子どもの福祉を実現するために、時にはジレンマにぶつかることがあります。たとえば、疲れていて何もできない子どもが今、いるとしましょう。まずはその子を受け止めることが大事だということは分かっていても、次に将来を考えると、レジでおつりが計算できるくらいの計算能力は身につけさせてあげたいとなった時に、そのまま受容だけを続けていくのか、計算の学習に誘導するのかは悩ましい問題です。これはどちらが正解とは言い切れません。このようなジレンマは、我々が様々なテーマを考える時に、たえず形を変えて出現しました。

 こうしたジレンマを否定するのではなく、それを受け止めようという思いを込めてつけたのが1巻のサブタイトル「ジレンマとともにある可能性」です。そして、そのジレンマがどういう対立構図になっているか、ジレンマ自体を理解して、その両方に寄り添えないかと考えたのが2巻のサブタイトル「ジレンマを解きほぐすために」です。もちろん、最初から実践の現場で、研究のプロセスで、ジレンマが立ち現れてくることは少なくとも経験的には分かっていました。しかし、それを言葉にして、そのジレンマもまた大事なことなんだと言えるようになるまでに数年、そしてこのタイトルに至るまでもかなり時間を費やしました。この当たり前のように身についている感覚や思考習慣、そういうものが何か結果的に時間がかかっても考え続けていく、それが私たちの大切にしてきたことでした。

 子どものウェルビーイングに関心をお持ちのみなさん。いえ、もう少し簡単な言葉で言います。子どもを大事に思うみなさん、ぜひ本シリーズを手に取ってください。そして、私たちと一緒に悩み、考え続けていきましょう。

◆合評会のお知らせ
森直人(編者)×澤田稔(編者)×金子良事(編者)×末冨芳(司会)
多様な教育機会を考える会『公教育の再編と子どもの福祉【全2巻】』合評会
2024年9月29日(日)10:00~12:30
@対面・オンライン開催 対面会場:日本大学文理学部 本館 EM/TL教室
申込はコチラ→
https://www.akashi.co.jp/files/books/5806/5806%E3%83%BB5807_gappyokai_leaflet.pdf

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ