パレスチナ自治区のガザがイスラエル軍の攻勢にさらされている。ニュース映像で映し出されるのは破壊された家である。そうした映像からは、ガザで生きてきた人びとの普段の暮らしを私たちが想像することは難しい。メディアによって切り取られて提供されるガザのイメージは、ほとんど常に「戦争」という過酷な状況のなかで呻吟(しんぎん)する人びとの姿である。
しかし、ガザは歴史的には豊かな土地であり、農業生産も盛んであった。私がかつてガザを訪問したとき、農民はイチゴを栽培していた。その時に食べたイチゴの味は忘れられない。井戸水によって畑を耕し、作物を育てては、エジプトなどの市場で売りさばいて生計を立てる。そんな彼らの日常の暮らしが今、再び破壊されている。地下から水をくみ上げることさえ禁止されてしまうのだ。イスラエル軍による命と生活の破壊が平然と行われている。
ガザで小麦の貯蔵庫を見学したことがある。ところが、その貯蔵庫も砲撃を受けていて、小麦は焼け焦げになり、食糧として使えなくなってしまっていた。そんなことが頻繁に起きるのもまたガザの実態だった。
日常生活を知る
ガザ地帯は、1948年にイスラエルが建国されてからはエジプトの統治下に入り、エジプトとのつながりが歴史的には強かった。しかし、67年の第3次中東戦争でイスラエルの占領下に入った。以来、ガザの人びとはイスラエル軍に包囲されて暮らすことを余儀なくされた。ユダヤ人入植地も建設されたからである。
イスラエル軍によるガザ侵攻は今回が初めてではない。2008年末から翌年初めにかけても起きている。今、われわれが手にすることができるガザについての日本語による情報は、その時の状況を踏まえたものが多い。日本人のフォトジャーナリストや医療関係者は、ガザで起きていることをそれぞれに記録し、伝えてきた。
まず、古居みずえ『ぼくたちは見た ガザ・サムニ家の子どもたち』のページをめくってみると、悲惨な状況のなかで生きるガザの子どもたちのいたいけな姿の写真が目に飛び込んでくる。テレビで中継される映像からは、難民キャンプであろうとガザの街中であろうと、ガザの人びとの普段の生活が見えてこないのであるが、実は彼らはそこで日々の暮らしを営んでいるのだということを改めて思い起こす必要があろう。
今回の事態は既視感さえともなう。それほどガザは何度も攻撃にさらされてきたからだが、日本人ジャーナリストはその惨状を現地から報告してきた。土井敏邦『ガザの悲劇は終わっていない パレスチナ・イスラエル社会に残した傷痕』は、「歴史は繰り返す」ことを改めて思い出させる。悲劇に見舞われた人びとへの取材を通して生の声を伝えているが、その声は今も変わるところがない。著者が親しくし、本書にも登場するパレスチナ人弁護士ラジ・スラーニ氏は、窒息状態で暮らすガザの人びとを同じ境遇に身を置いた活動で支えている。
地道な活動こそ
もう一冊挙げたいのは清田明宏『天井のない監獄 ガザの声を聴け!』で、パレスチナ難民キャンプの現場を知悉(ちしつ)しているお医者さんの著作である。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA、通称ウンルワ)で保健局長を務め、パレスチナ人のために貢献している日本人医師がいる事実を私たちはもっと知る必要がある。私自身も何度か清田医師の案内でパレスチナ難民キャンプの医療状況を見て回ったことがあるが、こんな非常事態の時だからこそ、普段から続けられてきた地道な活動に目を向けることが大切だろう。=朝日新聞2023年11月11日掲載