マイノリティが「ひとりでも生存できる」社会という発想
記事:明石書店
記事:明石書店
わかったような顔で誰かが言う。「人はどこかで人とつながっている。ひとりで生きるなんて無理だよ」と。言葉にされないことも多いが、その後にはこう続く。だからひとりで生きるなんて馬鹿げた理想は諦めてコミュニケーションを頑張ろうね。やるしかないんだよ。わかっていないのはどちらか、と呆れて笑いそうになった回数なんて数え切れない。
私が聞き流し続けた言葉も完全に間違いではない。私が歩く道は自分も含めた社会に生きる人々が納めた税金で作られていて、買い物するにも外食するにも、他人の労力の恩恵を受けないなんてことは不可能だ。山奥で自給自足の暮らしを営むとしても、その環境が汚されているか否かは社会の影響が大きい。しかしこれはそういう話ではない。
私が本書を書き始めたのは、障害者やセクシュアルマイノリティ、海外ルーツがあるなどのマイノリティであるがゆえにマジョリティよりも「ひとりで生きる」ことの難易度が高い現状への疑問からだ。本音を言えば、自分を含めたマイノリティから「ひとり」の選択を奪う社会構造に風穴を開けたかった。ひとりの時間を楽しみ、誰かに縛られることなく生きる選択は誰もが保障されるべきものなのに、現実は違う。私はそれが許せない。
本当に「つながる」以外に生存の手段はないのか。もしないなら、作られるべきだ。
人権は最初から認識されていた概念ではない。そして、2025年を迎えた現在でも未発見、あるいは確立しきっていない人権は存在していると私は考えている。その一つがマイノリティの「つながらない権利」といえる。
その時点では確立されていない人権の発見には当たり前とされる物事への疑問が欠かせない。マイノリティだから「ひとりで生きる」選択が難しいのは本当に仕方ないのかと問い続けた日々が本書を綴る原動力になった。
女性に参政権がなかったのはさして昔でもない。インターネットの普及はもっと後だ。2025年の私が女性の参政権がない日々を想像するのが難しく、インターネットなしで仕事をするなんて考えられないのと同じように、数年後には「マイノリティがひとりで生きるのは大変だった時代ってどんなだろう」と首を傾げるほどの変化が生まれたら素敵だ。本書はその変化の始まりを告げている。
人生はもっと多様なはずだ。人生100年時代ともいわれているが、100年は誰かの言いなりで生きるにはあまりに長過ぎる。それはマイノリティにもいえる話だ。マイノリティだから法律婚ができない、海外留学なんて考えたこともない、行ってみたい場所も諦めなくてはいけない。それが現実でいいのか。いいわけがない。
マイノリティに「私は〇〇だからこの選択しかない」と言わせてしまう社会に先はない。誰にでも無限の可能性があると言い切るほど楽観的ではないが、少なくとも現状想定されているよりは生き方を多様にできる可能性があるはずだ。
この読書経験が今ここにある可能性の外へとあなたを連れ出していくきっかけとなると信じて、私は本書を送り出す。私が掲げた理想から新たなものが生成されるのを心から楽しみにしている。