平等はみんなのためのもの
――この本では韓国における女性やマイノリティ、外国人労働者や障がい者に対する「普通の人がしてしまう差別」について触れています。何がきっかけで、本にまとめようと思ったのですか?
韓国では女性や移住労働者の存在感が社会に目に見える形で増してきて、「彼らに対する差別をなくしていかないと」いう声が高まりつつありました。一方でマイノリティの権利を保障しろという意見が目立ち始めると、「マジョリティに対する逆差別だ」という主張も大きくなりました。
集団同士の対立に発展していくのを見ていて、差別自体の解消は難しいのではないかと感じました。しかし(「差別はいけない」という原則を明記し救済措置を定める)「差別禁止法」制定を求める市民団体がいくつも生まれて連帯が強まり、「平等は皆のためもので、特定集団のためのものではない」という認識が広まるようになりました。
韓国人女性は女性という点では社会的マイノリティですが、韓国人という点では移住労働者たちから見てマジョリティに当たります。韓国ではジェンダー不平等が問題となる一方で、海外からの難民受け入れを「女性に対する性犯罪の可能性が高い」と反対する女性もいました。このように、マイノリティとしてある場所で差別を受けている人でも、差別をしてしまう側に回ることもあります。1人の人間が差別をしたりされたりと複雑な構造になっていることを理解して、皆で責任を持って解決していく必要があるのではないかと思うようになりました。
――韓国では16万部超えのベストセラーとなりましたが、どんな反響がありましたか?
ベストセラーになったのは、予想外の反響でした。多くの人が差別解消の努力をしないといけないという意思を持っていたことを、この本を書いて初めて知りました。出版イベントの場で一番多かったのが「私は差別解消のために何をすればいいか」という質問でした。差別をしないことをどう実践していけばいいのか、悩んでいる読者がたくさんいることを知り、そこが一番の驚きでした。
人権先進国になるために不可欠な法制定
――韓国では2000年代に国家人権委員会が発足し、2007年に差別禁止法案が国会に提出されたものの、未だに制定されていません。あちこちの都市で開催されている「クィア文化祝祭」(韓国のレインボープライド)には、毎回激しい妨害が起きています。このようなバックラッシュが起きる背景に、何があると思いますか?
差別解消に国家人権委員会の果たした役割は大きかったと思います。委員会の勧告を通じて、民主主義における多数決が完全なものではなく、マイノリティの基本権利を守ることが重要だという認識が生まれたからです。
しかし差別禁止法は、未だに制定されていません。理由は保守系のキリスト教団体が組織的に妨害したこと、そしてこれら団体の主張を、国会と行政府が受け入れた点にあります。韓国の政界が特定の宗教団体の影響を受けていること、そして既得権益を持つ権力者である政治家は、差別への認識が不足していることがわかると思います。
認識不足の中でも目立つのは性的マイノリティと、海外からの移住者に対するものです。彼らを排除する動きが出たのは、これまでの韓国の歴史で、マイノリティの権利を認めてこなかったからだとも思います。しかし最近の世論調査では、差別禁止法を制定するべきという意見が増えています。差別禁止法制定を要求する市民団体は、現在162団体あり、連帯して、誰も取り残さないことをモットーに活動しています。残念な状況が続いていますが、これらの団体の誕生と連帯には、大きな意味があるのではないでしょうか。
――韓国では2016年、ソウルの地下鉄駅近くの公衆トイレで、20代の女性が面識のない男性に刺殺された「江南駅トイレ殺人事件」を機に#MeToo運動が盛り上がるなど、女性運動が果たした役割が大きいのではないかと思います。
女性運動は性の問題だけではなく、それ以外の差別の問題や人権運動にも大きな影響を与えたと思っています。女性運動は女性への差別に声を大にして訴えると同時に、障がい者や性的マイノリティ、外国人への差別にも声をあげるようになり、またそういう運動と連帯して拡張していきました。
運動が拡大していく中で、研究者や運動家の役割は非常に重要でした。「女性の安全を守るために、トランスジェンダーや難民を受け入れるべきではない」という意見もありますが、女性運動の活動家や研究者は、「本来のフェミニズムが守るべきものは女性集団の権利だけではない」と、反対論者を説得する活動をしていきました。
韓国社会には、民族主義的な観念を呼び起こす「糞南亜(トンナマ=東南アジア出身者を侮蔑するネットスラング)」といったヘイトスピーチがあります。ヘイトスピーチの根拠とされるものには、貧困や犯罪、疾病、経済的な苦境など様々な背景がありますが、実際には、ヘイトスピーチのレパートリーは歴史的にずっと変わっていません。差別する側、される側の集団固有の事情ではなく、ヘイトスピーチという行為自体が有害なのだと分かると思います。
差別解消に重要な「混じり合い」
――差別に対して反対の声をあげると、まるでそれが不当な要求であるかのようにバッシングされることがあります。また差別を覆い隠すために「これは差別ではなくて区別だ」と言われることもあります。
人権は何よりもまず「皆が同等である」という観点から始まります。しかし「皆が平等ではない」と言う人たちもいます。彼らは「もともとこの人たちは劣っている」とか「この人たち自身に問題がある」などと、差別を正当化しようとします。それは能力主義が影響しているのではないでしょうか。できる、できないを基準に優劣を判断する能力主義については、最近の韓国では批判の声があります。
障がい者や移住外国人への差別の基準は、マジョリティ集団が作っています。マジョリティが「劣っている」と言えば、その差別があたかも正当であるかのような錯覚が起きます。しかしそもそも、マジョリティ集団が人の優劣を決める行為自体がおかしいと気づくべきでしょう。優劣の基準を最初に決めてそれに個人が合わせていくのではなく、誰もがありのままの姿で尊重されるために社会的条件をどう変えるべきかを、常に考える必要があると思います。
差別解消の研究をしている学者たちが一様に言っているのは混じり合うこと、つまり「ソーシャルミキシング」が重要だということです。さまざまな人と接して意味のある関係を結ぶことで現実社会に対する理解度も深まりますし、差別解決への下地にもなります。しかしソーシャルミキシングは自然に成り立つものではなく、政策が必要です。たとえば公共交通や街中、文化センターや公園などに、不特定多数の人が対話できる空間を設けるのもひとつの方法ですし、さまざまなバックグラウンドの人たちがそれぞれの経験を話し合う教育システムなどが必要と言えるでしょう。
――誰もがマジョリティ性とマ イノリティ性を同時に持っていて、一人一人それは違います。どうすれば自分が持っていないマイノリティ性を尊重し、連帯していけると思いますか?
たとえば自分が女性としてのマイノリティ性を持っているとしても、トランスジェンダーのマイノリティ性を理解するには、ジェンダーの枠を超えたさらに大きな思考が必要になります。しかし自分にあるマイノリティ性が備わっているなら、他のマイノリティに心を開くのはそれほど難しいことではないと思います。
すぐには受け入れられなくても、なぜ受け入れられないのかと考えることはできますし、自分の中にある固定観念を発見することが出来ると思います。他のマイノリティを理解しようと努力し、自問自答することを通して、他のマイノリティへの尊重と連帯が生まれていくのではないでしょうか。