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恋愛感情と性愛感情とは必ずしも連動しない――自伝的コミックで知るアセクシュアル

記事:明石書店

『私はアセクシュアル』(明石書店)旗を持っている主人公・レベッカのイラストは、日本語版のための描きおろし。
『私はアセクシュアル』(明石書店)旗を持っている主人公・レベッカのイラストは、日本語版のための描きおろし。

アセクシュアル以前の青春

 『私はアセクシュアル――自分らしさを見つけるまでの物語』は、他者に対して恋愛的に惹かれることはあっても性的には惹かれない、著者レベッカの高校時代から大学卒業後までを描いた自伝的コミックである。日本のコミックに影響を受けた愛らしい絵柄で描かれる物語を楽しみながら、他者に対して性的に惹かれない、アセクシュアルの人の体験を知ることができる。レベッカの姿は、私に重なるところもあった。10代の頃の私がこの本を手にしていたら、もっと楽に、自然体で生きられたかもしれない。

『私はアセクシュアル』1章「自分でないふり」より(14~15ページ)
『私はアセクシュアル』1章「自分でないふり」より(14~15ページ)

 レベッカが10代を過ごしたのは、誰もがいずれ恋愛をしセックスをするという考えが支配的で、アセクシュアルという言葉がまだ知られていない時代だった。レベッカは恋愛的に惹かれた人とキスをしたが、気持ち悪いだけだった。恋人として交際するのならセックスをしなければいけないと思い込み、気の合う男性と身体的な触れ合いを試みたこともあった。しかしその結果は一晩中続く不安の発作に終わり、相手を傷つけ、関係を壊してしまった。

 他者に性的感情をいだかないのは異常なことではなく、恋愛的に惹かれるからといってキスをしたり抱き合ったりしなければならないわけではない、と当時のレベッカが知っていれば、恋愛的に惹かれた人たちともっと別のかかわり方ができたのではないか。

 自分はおかしいのではないかと悩む日々の中、レベッカはインターネットで「アセクシュアル」という言葉に出会う。自身がアセクシュアルであると受け入れたことで、徐々に前向きに生きられるようになっていく。

『私はアセクシュアル』4章「一生ひとりぼっちでもいいの?」より(132~133ページ)
『私はアセクシュアル』4章「一生ひとりぼっちでもいいの?」より(132~133ページ)

恋愛感情と性愛感情とを区別する

 「アセクシュアル」というと、他者に恋愛的にも性的にも惹かれないことをイメージする人も多いかもしれない。しかしより正確にいうと、アセクシュアルは「他者に性的に惹かれない」ことを指す。「恋愛的に惹かれない」ことは、「アロマンティック」という。これらは当事者の人たちが、コミュニティの活動などを通して積み上げてきた知識である。「恋愛的(ロマンティック)な魅力」と「性的(セクシュアル)な魅力」とを分けたことは、とりわけ大きな発見だったといえるだろう。

 「恋愛的な魅力」と「性的な魅力」を分けることは、他者に対する自らの感情についての理解の精度を高めるうえで、アロマンティックやアセクシュアルでない人にとっても有益だ。

 世の中には恋愛感情と性愛感情とが同一の方向に向かっている人が多く、社会もその前提で成り立っているけれども、両者は必ずしも連動しない。アロマンティック/アセクシュアルのスペクトラムのなかでも、他者に恋愛的にも性的にも惹かれない「アロマンティック・アセクシュアル」だけでなく、恋愛的に惹かれるが性的には惹かれない「ロマンティック・アセクシュアル」、恋愛的には惹かれないが性的に惹かれる「アロマンティック・セクシュアル」、という人もいる。恋愛的な惹かれと性的な惹かれとがそれぞれ別の対象に向かう場合もある。そういったあり方が一般的に認知されているとは言い難いけれども、恋愛的な惹かれと性的な惹かれとが区別されることによって、少なくとも語ることができるようになった。

「好き」の解像度をさらに上げる

 人が他者に感じうる魅力は、さらに細かく分けて考えることができる。異性愛、同性愛、バイセクシュアル、パンセクシュアル、アセクシュアルといった既存の分類や、恋愛的(ロマンティック)指向/性的指向だけでは捉えきれない。例えば、恋愛や性愛において、感情と実践との間には隔たりがあることも少なくない。恋愛にまつわる様々な想像を楽しむことと、自分が実際に恋愛をすること(したいと思うこと)とは、区別して考えることができる。

 セクシュアリティに関する分類や用語が増えると、混乱する人もいるに違いない。この点については、本書に解説を寄せてくださった社会学者の中村香住さんが次のように書いている。

大学でセクシュアリティについて教えていると、しばしば、「なぜセクシュアリティのカテゴリーはこんなにたくさんあるのですか」「こんなに細かくセクシュアリティのカテゴリーを分けることに意味を感じません」といった質問を受ける。そのたびに私は、セクシュアリティの細かなカテゴリー名は外から「分類」するために生まれたものではなく、当事者が他のカテゴリー名にしっくりこなかった際にその都度「発明」しているものであり、当事者がアイデンティティとしてそれを持つために存在しているものだから意味があるのだと説明している。本書185ページ

アロマンティック・セクシュアルからの問いかけ

 レベッカは、他者に対して恋愛的に惹かれることはあっても性的には惹かれない「ロマンティック・アセクシュアル」である。一方で、あまり紹介される機会はないけれども、他者に恋愛的には惹かれないが性的に惹かれる「アロマンティック・セクシュアル」という人もいる。

 「アロマンティック・アセクシュアル」や「ロマンティック・アセクシュアル」のことは詳しく書いてあるのに「アロマンティック・セクシュアル」についてはほとんど触れられておらず、存在を半ば無視されているようでがっかりした。アロマンティック/アセクシュアルについての解説書を読んだ人から、こんな声を聞いたこともある。たしかに、近年メディアで取り上げられているのも、アロマンティック・アセクシュアルやロマンティック・アセクシュアルの人たちが多い。性にかかわる話題をタブー視する傾向はいまだに根強く、とくに身体的な接触や性的な要素がかかわると語られにくいという社会的背景も影響しているのかもしれない。

 世の中には、まだまだ語られていない物語がたくさんある。すべてを語らなければならないわけではないが、語られる物語のバリエーションが増えれば、より多くの人が安らぎを得たり自己を深く理解したりすることができるだろう。公の場では語りにくいことでも、周囲を気にせず一人で読むことのできる本があれば、心が少し軽くなるはずだ。『私はアセクシュアル』は、そんな物語の一つである。本作りに携わる者として、今後も様々な物語を世に送り出していきたい。

文:辛島 悠(明石書店)

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