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現職のインド外相による外交論、待望の第2弾 S・ジャイシャンカル『インド外交の新たな戦略──なぜ「バーラト」が重要なのか』

記事:白水社

前著『インド外交の流儀--先行き不透明な世界に向けた戦略』に続き、インド外交の司令塔がその手の内を明かす! S・ジャイシャンカル『インド外交の新たな戦略--なぜ「バーラト」が重要なのか』(笠井亮平訳、白水社刊)は、複雑さを増す国際情勢とインドの立ち位置、その中で追求されるべき理想や国益について語り尽くした注目の書(ヴァラナシの早朝のガンジス川と川沿いにあるガート郡で沐浴をしている人々[original photo: pespiero – stock.adobe.com])
前著『インド外交の流儀--先行き不透明な世界に向けた戦略』に続き、インド外交の司令塔がその手の内を明かす! S・ジャイシャンカル『インド外交の新たな戦略--なぜ「バーラト」が重要なのか』(笠井亮平訳、白水社刊)は、複雑さを増す国際情勢とインドの立ち位置、その中で追求されるべき理想や国益について語り尽くした注目の書(ヴァラナシの早朝のガンジス川と川沿いにあるガート郡で沐浴をしている人々[original photo: pespiero – stock.adobe.com])

S・ジャイシャンカル(S. Jaishankar、1955年生まれ) インドの外務大臣、元外交官。
S・ジャイシャンカル(S. Jaishankar、1955年生まれ) インドの外務大臣、元外交官。

ウクライナ危機とアフガニスタン脱出作戦

 あなたが、2022年2月24日にウクライナに滞在中のインド人学生だったとしよう。勉学に励むはずだったのが、いまや深刻な紛争の真っ只中に置かれることになった。そのような状況はあなたや何千もの同胞だけでなく、同様に国外脱出を図ろうとする何百万ものウクライナ国民もいる。国内移動は危険で、容易ではない。人びとが殺到したことで国境の状況はさらに深刻だ。紛争の影響を受けた都市では、砲撃や空爆の被害を受けかねないため、外出には身体の危険が伴うという恐怖すらある。

 これこそあなたが自国の政府に対して何としてでも支援と解放を求めるときだ。そしてまさに、これこそ政府の外交政策機構が行動を起こすべきときであり、インド政府は「ガンガー作戦」を通じてそれを実行に移したのである。この作戦では、電車やバスといった交通手段がスムーズに提供されるよう取り組んだ。ロシアとウクライナに対しては、安全な通行のために交戦の一時停止が守られるよう最高レベルで要請した。国境地域の当局にも接触し、越境が可能になるよう働きかけを行った。スームィ市のケースのようにきわめて厳しい事態では、インド政府関係者が紛争地域を通過して、国民の安全に必要な後方支援が確実に提供されるよう取り組んだことすらあった。ウクライナからの出国が完了すると、今度はルーマニア、ポーランド、ハンガリー、スロヴァキアといった近隣諸国の政府と連携し、一時避難所の設置や飛行場の利用、帰国便の手配を行った。これらの実現には最高レベルを含めさまざまなレベルでの尽力や介入、折衝があったのであり、少しでも思いをめぐらせていただきたい。

インドの国章。仏教聖地の一つ、ウッタール・プラデーシュ州サールナートにあるアショーカの獅子柱頭を模している。国章の下にあるデーヴァナーガリー文字は「真実のみが勝利する」の意。
インドの国章。仏教聖地の一つ、ウッタール・プラデーシュ州サールナートにあるアショーカの獅子柱頭を模している。国章の下にあるデーヴァナーガリー文字は「真実のみが勝利する」の意。

パンデミック下の帰還作戦

 2021年8月15日のカブールについても振り返ってみよう。どのような事情かは別にして、タリバーンがカブールを突如として制圧した際にあなたが現地で身動きがとれなくなってしまったという状況を想定してほしい。タリバーンが管理するようになった検問所をくぐり抜けなくてはならないだけでなく、帰国が相当困難になることも想像がつくだろう。実際、帰還にはインド政府による多大な尽力があったのである。郊外にある安全な米軍の空軍基地の周りには何とかして出国を図ろうとするアフガニスタン人と猜疑心に駆られたタリバーンが群がるなかでそこまでのアクセスをどう確保するか。迅速な対応のためにタジキスタンの後方支援をどう活用するか。時間が限られたなかでイランに対する領空通過の要請。そして水面下で行った湾岸諸国からの支援の活用──こうした対応を結合させるのは容易なことではなかった。他にも、アメリカ、イギリス、アラブ首長国連邦、フランスが用意した飛行機に座席を確保する際に、丁寧に交渉を行うということがあった。これはとりわけ複雑な後方支援に見えるだろう。だが、実際にはそれ以上に容易ならざる作業だった。この背景には長年にわたって築き上げた関係があったのであり、まさにそれが必要とされるときに活かされたのである。同様に重要なのは、こうした一連の取り組みが、複数の国と関係を保つフレキシブルでプラグマティックなインドの政策の有効性を示したということでもある。

 「デーヴィー・シャクティ作戦」の下で行われたカブールからの出国はきわめて重圧が大きかったが、それでも限られた時間の中で対処可能だった。関わった人数という点では、新型コロナウイルスのパンデミックがもたらした事態にインドがどう対処したかのほうがはるかに大きかった。「ヴァンデー・バーラト・ミッション」の下では空路、海路、陸路でさまざまな国から何百万ものインド国民が帰国したが、これは記録に残るものとしては史上最大の帰還作戦だったのではないだろうか。人の動き自体は氷山の一角にすぎなかった。計画立案、集合の呼びかけ、検査、滞在施設の準備、さらには帰国待機者への食料提供までをも含む、複雑に入り組んだ一連の活動によって実現したのである。

 この作戦はまず武漢で実施し、その後イタリアやその他の国に対象地を移していったのだが、それに当たっては地方、州(省)、中央といった各レベルの当局との集中的な折衝を必要とした。このときは、観光客や留学生から高度人材や労働者、さらには巡礼者や漁民、船員まで、あらゆる人びとが対象となった。これは帰国を希望するインド人に限定したものではなかった。湾岸諸国をはじめとして、多くの海外在住者がインドによる直接支援を受けることもあれば、現地政府との仲介というかたちで助けられるということもあった。ここでもまた、政界のリーダーや外交官が培ってきた関係が活かされたのである。

【S・ジャイシャンカル『インド外交の新たな戦略』「第2章 外交政策と国民──日々の生活にどう影響するのか」より】

S・ジャイシャンカル『インド外交の新たな戦略』(白水社)より
S・ジャイシャンカル『インド外交の新たな戦略』(白水社)より

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