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絶望の時代における希望の灯台——「未来世代のためのウェルビーイング法」が変える私たちの未来

記事:明石書店

『未来のために今日行動する――ウェールズ発「未来世代のためのウェルビーイング法」ができるまで』(明石書店)
『未来のために今日行動する――ウェールズ発「未来世代のためのウェルビーイング法」ができるまで』(明石書店)

 本書は、ウェールズが世界ではじめて、2015年に誕生させた「未来世代法」が、どういうプロセスを経て作られていったのか、その地道な取り組みの歴史を紐解き、私たちにヒントをくれる本だ。

 それだけではない。著者のジェーン・デイヴィットソンが、自然をいかに愛しているか、ところどころに散りばめられた豊かな描写によって知ることができる本でもある。

 ジェーンが7歳の時に、「自然に恋した」と描写する、ヤスデを指に巻きつける遊び。全ての指にどう巻きつけるかを何時間も挑戦したそうだ。大人にはゾッとする光景だが、子どもにとっては楽しい。私も幼少期に、ジグモの巣を地中からそっと引き上げたり、ダンゴムシのための迷路を作ったり、わくわくしながら飽きもせず繰り返したことを思い出す。

 その試みはなかなかうまくいかないのだ。自然や生き物は、思い通りの存在ではないし、守らなくてはならない。その面白さと難しさを学ぶ、大事な時間でもあったのだろう。

 そして、

もし言葉を持たなかったら、どうやって自然を描写できるでしょう?ここで私が使った言葉は、幼少期からこれまで、読書や観察を重ねることで育ってきたものです。これらは描写の正確さで私を魅了し、この世界を理解させてくれる、心落ち着く友人です。

というジェーンの言葉への思いが、「未来世代法」を作り上げた土台にあると私は思う。

 例えば、「一つだけのウェールズ、一つだけの地球」という端的な言葉によって語られるビジョンは、「世界中の人々がウェールズの人々と同じペースで天然資源を消費し二酸化炭素を排出し続けると、私たちを存続させるのに、地球が少なくとも三つは必要になる」という試算から生まれた言葉だ。地球は三つもない。

 小さなヤスデを観察する「私」から、たった一つの地球上のひとりである「私」という視点の拡大は、人々の未来への思考をも喚起する。

 さらに、ジェーンはこうも書く。

私にとって政治的なものは常に個人的なもので、個人的なものは政治的なものでした。

 私は恥ずかしいことに、原発事故が起きるまで、そのことに気が付かずに生きていた。

 「我々の時代の『環境問題』は“公害”だったけど、最近の子どもたちは圧倒的に“気候危機”を学んでいるんだよね」と、友人と話したのは5年以上前のことだっただろうか。「公害」の歴史を学び、被害者の苦しみの経験をいかに未来に繰り返さないかを考えることも当然、重要なことだ。一方で、人類の生存について地球規模で考えなければならない時代も、すでにきていた。

 原発事故が起きたときに、真っ先に思ったことは「子どもたちに申し訳ない」ということだった。それは今も変わらないし、その後、私が出会ったたくさんの人々がそれを胸に抱えている。原発事故のもたらした恐怖(それは多くの人に「死」すら想起させた)、事故で人生を奪われ、苦しめられる人々を目の当たりにした日本は「さすがに変わるだろうと思った」と話す人は多い。

 でも、いま、「変わるだろうと思った」は、「変わらなかった」あるいは「むしろひどくなった」と絶望を帯びて語られる。

 だから、2022年に「未来世代法」に出会い、「未来世代法」を日本にも、という思いで突き進んできた河合史恵(きら)さんが本書の最後に記した文章に、深い共感を抱く。

──この法律を、どうしても日本で実現させたい。
この法律には、日本の社会課題の解決につながるすべてが詰まっている!
これからの人生、私はこの一つのテーマに夢中で向き合っていくことになるのだろう。

 未来世代のための、持続可能な開発を、法律によって「政府の枠組みの中心」「最優先事項」と据え、実現していく──いまの日本の政治や社会と照らして想像すると、(残念ながら)夢のようだ。そして、その持続可能な開発原則の定義は「将来世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、現世代のニーズを満たすことを確保する」というもの。瞬時に頭に浮かんだのは、「これが政府の行動原理になれば、原発はなくなる」ということだった。

 日本で実現させたい。私もそう強く思う。

 それを実現させる方法論と具体例が、この本にはぎっしりつまっている。「未来世代法」を理念だけで終わらせず、「実現する義務」につなげるために、試行錯誤を繰り返し、客観的な審査を重ね、何千人もの人が未来について、何度も対話してきたプロセスがある。その証拠に、この本には、本の執筆にあたって寄せられた、ジェーン(著者)以外のたくさんの人々の意見やビジョンが散りばめられているのだ。多くのその声は、みな、能動的で主体的。「未来世代法」が自分自身のもの、そしてみんなのものとして認識されている。

 さまざまな社会課題に声をあげる人がいる。あげない人もいる。「女性の」「ケアラーの」「若い農家の」と言ったウェールズでの議論に象徴されるように、未来へのテーマもたくさんある。でも、未来をよりよくし、次世代が幸せに生きられるようにと願う気持ちは、根っこでつながっている。理想の「未来世代法」はそれらを優しく束ね、私たちの生き方を変え、未来の子どもたちの命を守るものになるだろう。未来世代のための法律が「絶望の時代における希望の灯台」ならば、この本は、その灯台に灯りを点しに行く、最初の一歩だ。

 きっと、あなたは、考え始める。「自分が過去の世代の人にしてほしかったことを、未来世代に贈りたい」と。そして、安心できる居心地の良い場所で、未来について、この法律について、誰かと話がしたくなる。

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