家族の多様性について理解するとはどういうことか――『家族生活と親密性の社会学』から学ぶ(前編)
記事:春秋社
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大学で家族社会学についての授業を担当するようになってから、かれこれ20年が経つ。昨今、実感するのは、大学生の多くにとって家族の多様性はすっかり「常識」の一部になっているということである。講義を聞いて考えたことを文章にして提出してもらうと、特に講義で強調したわけではなくても、「現代の家族は多様なので……」といった文言にしばしば出会うことになる。
たしかに、家族は多様である。大学生に限らなくても、友人知人の家族を思い浮かべてみれば、夫婦と未婚の子どもからなる核家族で暮らしている場合もあれば、夫婦が離婚した結果として、ひとり親世帯で生活している家族もあるというかたは多いだろう。その後に子連れで再婚して、ステップファミリーを形成している場合もあるかもしれない。また、身近に性的マイノリティのかたがいなくても、さまざまなメディアコンテンツを通じて、異性愛者が同性カップルの生活に触れる機会はめずらしくなくなりつつある。
だとすると、家族が多様であることは、もはや学問として学ぶようなことではなくなっているようにも思えてくる。
『家族生活と親密性の社会学:つながりの再編を捉えるための視点をひらく』(原題はA Sociology of Family Life: Change and Diversity in Intimate Relations)において、著者のデボラ・チェンバースとパブロ・グラシアが第1のテーマに挙げているのは、まさにこの多様性である。とはいえ、家族の多様性が「常識」になっているのだとしても、この社会学的な家族研究の入門書から日本の読者が学べることは決して少なくない。むしろ、本書は家族の多様性という「常識」の先にあるより深い理解に到達するための手助けをしてくれる一冊になっている。
ここで重要なのは、著者らが多様性と関連する第2のテーマとして、インターセクショナリティを挙げていることである。インターセクショナリティとは、ジェンダー、人種、エスニシティ、階級、セクシュアリティなど、さまざまな属性がもたらす不平等の相互関係に注目するための概念である。著者らは多数の調査研究を根拠にしながら、女性、黒人やエスニック・マイノリティ、労働者階級、性的マイノリティが構造的に劣位に置かれていること、そして、そのことはかれらがどのような家族生活や他者とのつながりを経験するかと深く関わっていることを繰り返し強調している。そして、たとえば、イヴェット・テイラーの研究に拠りながら、労働者階級のレズビアン・カップルは、階級とセクシュアリティが交差することによる二重の困難を経験すると言及されているように、この構造的な不平等が折り重なることにも注意が促される。
つまり、たしかに家族は多様ではあるのだが、それぞれに多様な家族は、この社会において平等に位置づけられているわけではまったくない。むしろ家族の多様性は、白人の家族、中流階級の家族、異性愛を前提とする家族がもつ特権と背中合わせであり、それらとはさまざまに異なる家族のありかたは周縁化されているというのが本書を通底する認識である。
この認識は、日本における家族の多様性について理解するうえでも不可欠である。たとえば、ひとり親世帯で暮らす家族について理解することは、子どもが両親と生活するという家族のありかたが現在でもさまざまな局面で前提とされているために、ひとり親世帯で暮らす家族が不利を経験し続けていると理解することでもなければならない。本書でも言及されているように、ひとり親世帯の貧困率は国によって大きく異なるが、OECD諸国のなかでもその貧困率が著しく高い日本では(『男女共同参画白書 令和7年版』によると、最も低いフィンランドの10.2%に対して日本は44.5%である)、このことは切迫した意味をもっている。
また、本書ではステップファミリーのカップルが「標準的」な家族を望んでいるという研究が参照されているが、日本のステップファミリーについても、初婚どうしの夫婦が子どもを育てる家族を「ふつうの家族」と見なす通念がステップファミリーの生活に影を落としていることが指摘されている(野沢慎司・菊地真理, 2021,『ステップファミリー――子どもから見た離婚・再婚』KADOKAWA)。同様に、同性カップルの可視性が高まっている一方で、法律婚が不可能であることや日常生活におけるマイクロアグレッションにいたるまで、その生活は強固な異性愛規範と隣り合わせである。
要するに、たしかに日本の家族は多様であるが、それはどのような家族生活を生きるかをわたしたちが自由に選べることを意味してはいない。欧米でも、たとえばメーガン・マークルがイギリスのロイヤルファミリーの一員になることで直面した人種差別や、BLM運動が提示する家族像に批判が浴びせられたことなどを例に挙げながら本書でも論じられているように、特定の家族のありかたを正統化する力は社会の至るところではたらいている。本書が日本の読者に教えてくれるのは、日本家族の多様性についても、この力がどのように働いているかとセットで理解する必要があるということである。
そして、このことは多様性と並んで、現代的な家族の変化を捉えるためのキーワードとなってきた個人化について、本書がどのような見かたを提示しているかとも関わっている。
(後編につづく)