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趣味の欄に「読書」と書くな?――谷口ジョイさん・評『読書スタディーズ』

記事:明石書店

桜井政成『読書スタディーズ:本好きはどうつくられるのか』明石書店
桜井政成『読書スタディーズ:本好きはどうつくられるのか』明石書店

 桜井政成氏の『読書スタディーズ』をいち早く読ませていただいた。おもしろい。圧倒的におもしろいので、瞬時に読み終えてしまった。書きたいことも山ほどある。しかし、この書評では、全体を2000字程度にまとめなければならないらしい。いけるのか、谷口ジョイ。

みんな、「読書」のことが気になっている

 読書に関する本が売れている。三宅香帆氏の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社)や稲田豊史氏の『本を読めなくなった人たち』(中央公論新社)などは、売れに売れたと聞く。皆、読書のことが気になって、夜も眠れずにいるのだ。むろん、読んだり書いたりを生業とする私も、「読む」という行為が社会でどのように位置づけられ、どう変化しているのか、プロ野球の結果[1]と同じぐらい気にかけている。

 先日、学生からこんな話を聞いた。

 「履歴書の書き方」なるセミナーに出席したところ、趣味の欄に「読書」と書くな、という指導を受けたと言うのだ。思わず「は? なんで?」と大きな声が出た。聞けば、読書というのは一人で楽しむものであり、協調性がないことの証左になってしまうという。また、昨今は企業のコンプライアンスも厳格化され、求職者の信条や思想を尋ねるような質問はできないので、面接の場で「どんな本を読んでいるのか」などと掘り下げることもできず、会話が弾まない、というのだ。

 それなら、何を書けばよいのか。野球やサッカーなど、チームスポーツが趣味だと言っておけばいいのか。小中高と野球をやってきた私に協調性のかけらもないという事実は、どう説明するつもりだろう。

社会学者が「読書」にまつわる俗説を斬る!

 「読書を趣味とする人は、単独行動を好む(=集団行動が苦手)」といったもの以外にも、読書にまつわるもっともらしい言説は無限にある。しかし、大抵は真偽不明であり、皆、自分に都合がいいものを好き勝手に信じているにすぎない[2]。実際のところ、どうなのだろう? ――そんな疑問に答えてくれるのが本書である。

 著者の桜井氏は、「読書」という行為を学術的に研究されている社会学者だ。本書では、ご自身で行った調査のみならず、膨大な先行研究を引きながら、読書とは一体なんなのか、という壮大な問いに迫る。学者が書いた本は難解だろう、と敬遠するなかれ。どの章も非常に分かりやすく書かれている。

 本書の冒頭では、「読書」をどう測るか、という問題について述べられている。いや、測るって…… 「読むか読まないか」でしょ。「俺か俺以外か[3]」でしょ。 ――そう思ったあなたは、今すぐ本書を買いに書店まで走っていただきたい。何を隠そう、調査方法によって、まったく本を読まない人の割合は大きく変わってしまうというのだ[4]。

 そもそも「読書」とは何なのか。どう定義されているのか。こんな時、辞書を引きまくるのが言語学者の習性である。ほとんどの辞書によれば、読書とは「本を読むこと」とされている。しかし、『新明解(第7版)』だけは以下のような語釈を開陳している。

〔研究調査や受験勉強の時などと違って〕一時(イットキ)現実の世界を離れ、精神を未知の世界に遊ばせたり人生観を確固不動のものたらしめたりするために、(時間の束縛を受けること無く)本を読むこと。〔寝ころがって漫画本を見たり電車の中で週刊誌を読んだりすることは、本来の読書には含まれない〕

 いや、待て。「本来の読書」ってなんやねん! 突如、エセ関西弁が出てしまうほどには、納得がいかない。この定義に従えば、日常的に読書をする人など、ほんの一握りなのではないか。時間の束縛を受けることなく本を読む? 無理だろ、そんなの! それに、なぜ漫画や雑誌は含まれないのか。中学時代の愛読書が『行け!稲中卓球部[5]』だった私としては、容認し難い。

 本書には、このような認識が一気に改まる「新たな読書観」が鮮やかに示されている。『新明解』を編んだ方にも是非、お読みいただきたい。

読書とは、孤独な作業なのか

 さて、冒頭の話に戻りたい。読書という行為は「孤独」というイメージと強く結びついているが故に、時に否定的に捉えられてしまう。しかし本書によれば、読書習慣や、「本が好き」という自認は、家族や友人関係など、コミュニティの中で社会的に作られることが多いという。

 これは、実体験からも頷ける。

 私は山奥に暮らしている。よって娯楽施設などない。テレビの電波は届かず、村で共同アンテナを立てているような場所だ。驚くなかれ、2024年までインターネット回線はADSLしかなかった。

 そんな我が家の楽しみは、なんといっても読書だ。週末になると、車を走らせ大型書店[6]に入り浸り、思い思いに好きな本を購入する。結果、どうなったか。「食事中に本を読むのはやめなさい」と叱られ、それでも何か読みたくて、食卓に置かれた醤油の瓶や、納豆のタレが入った小袋に書かれた文字を読むような子どもたちに育ってしまった……。こうした性癖もまた、家庭という小さな読書コミュニティによって形成されたものだろう。

 著者の桜井氏は「コミュニティのあり方」の専門家でもあり、人々が集まる非公式な場についても多くの論考がある。よって、こうした読書コミュニティに関する記述も、生き生きとした筆致で描かれている。読書を社会との関わりから捉え、「心の通じ合う人がいない寂しい人間の趣味」というイメージを払拭してくれる一冊だ。他の読書本と一線を画する。

 確かに「本を読む」というのは、ある一定の時間、その世界に入り込むことであり、タイパ(時間対効果)が悪い。忙しすぎる現代社会において、「読書離れ」は起こるべくして起こっていると言えよう。それに、人工知能が長文をサクッと要約してくれるような時代だ。これからますます読書を取り巻く環境は変化し、本を読むこと自体、ヒエログリフの解読と同様に、特殊な能力が必要な行為と見なされる時代が到来するのかもしれない。しかし、本書を読むと、やっぱり読書っていいなあ、と思える。そしてお気に入りの一冊を手に取りたくなる。

 久しぶりに『行け!稲中卓球部』が読みたくなってしまった。

[1] 評者は無類のプロ野球好きである。生活全般が野球に占拠されており、それ以外の喩えが難しいだけなので、どうかお許しいただきたい。
[2] かく言う私も、Xという短文投稿サイトばかり眺めてしまう我が身を振り返っては「まあ、仕事と読書って相性悪いらしいし?」などと言い訳をかましている。
[3] ROLAND(2019)『俺か、俺以外か。ローランドという生き方』KADOKAWA.
[4] あまり書くとネタバレになりそうなので、ひっそり脚注に入れるが、2024年に発表された文化庁の調査結果では、月に1冊も本を読まない人が6割を超えていたのに対し、同じ時期に実施された日本読書学会の調査によれば、まったく本を読まない人は3割程度だったらしい。
[5] 90年代に『週刊ヤングマガジン』(講談社)で連載されていた漫画。累計発行部数は2500万部を超える。まあまあ下品。
[6] 田舎民にとっての大型書店。コンビニを少し大きくした程度。

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