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丹田を養い、身心を救う「静坐」の教え――『静坐物語 生きる力』

記事:春秋社

昭和版『静坐物語 生きる力』化粧扉より
昭和版『静坐物語 生きる力』化粧扉より

 呼吸を息というのは、〝いきる〞というはたらきをあらわした言葉です。原始の人が自然の力や物そのものの有様にふれて言い出した言葉を、後に至って名称にしたもので、動詞が名詞に転化して力を失ったものであります。即ち死語(デッドランゲージ)にしてしまったのです。

 千年前のウパニシャッド経典には、既に優陀那(ウダナ)という語があるそうです。優陀那というのは息ということだそうで、これが世を経て仏典にあらわれています。

 用心住憂陀那、此云丹田、去臍下二寸半。〔釈禅波羅蜜次第法門〕

 この優陀那という語は、静坐を体顕した者でなければわかりません。ちょっと読んでみると、

 「心を用いて呼吸に住せしめよ、ここには丹田といい、臍下を出ること二寸半」

 これだけではとんと了解ができません。これは心読でなく、体読せねばわからないものです。それで静坐がおいおい進んでいくと、息は臍の下から出るように感じてくるのです。実際はそうではないけれども、肺から出ると思われないのです。また息を吸うという感じも努力もなくなるのです。それで、出す息がしまいになればなるほど下腹に力が入り、息が丹田いっぱいに充ち満ちた感じがするのです。そこでその時、鳩尾や胸の力をちょっとゆるめると、息がさっと入ってくるのですが、それがあたかも臍の下まで満入してくるような感じを起こすのです。

 それで昔は、今のように生理学や解剖の術がない時ですから、生命なる息が丹田から出るものと信じていたので、ついには息なる優陀那を、また丹田ともいうことになったものと思われます。そして、心を用いて優陀那に住せしめよということは、つまるところ、気を沈め心を落ち着けよということになるのです。岡田先生から伝えられた私どもの勧める静坐法は、即ちこれであります。上に述べた静坐の法式で毎日継続していると、自然に鳩尾が落ち、下腹がふくれ、丹田が充実してきます。丹田が充実すれば心が落ち着き、心が落ち着いていれば、古人の言う喜怒愛楽哀欲悪の七情に乱されないようになります。これが結論に述べてある「精神内守病安従来」というものです。(pp.238-239)

 静坐は人間自然の姿勢ですから、静坐をすると丹田におのずから力が入ってきます。そうなると本具のドクトルは遺憾なく霊智霊能を発揮して、そして今まで荒れすさんでいた心と身を救ってくれるのです。古人の誡めたように「病は心から」というそれを承知していながら、その心を修めることのできない哀れな私どもです。それを今度は形の側から誰にもできる一番たやすい静坐の方便をもって助けるというのです。

 腹の立つ人は腹を立てながら、泣く人は泣きながら、病気の人は病気のまま、不節制の人もそのままに、男女、老若ありのままで、ちゃんと静坐するのです。それが自然天然の法に適かなっているのです。自は「おのずから」といい、然は「しからしむる」といいまして、我々の計らいではなく、この貴い法によって、霊能が呼び起こされ、今まで身体の災いをなしていた悪い習慣が、己れの努力でなく、おのずと止むようになり、そして知らずしらずに、身も心も健やかになってくるのです。(p.224)

(『静坐物語 生きる力』より転載)

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