1. HOME
  2. コラム
  3. 中江有里の「開け!本の扉。ときどき野球も」
  4. 阪神優勝の瞬間を現地で目撃、かみしめた「思いがけず利他」の循環 中江有里の「開け!野球の扉」#6

阪神優勝の瞬間を現地で目撃、かみしめた「思いがけず利他」の循環 中江有里の「開け!野球の扉」#6

(Photo by Yuri Nakae)

 9月14日夕刻、わたしは甲子園へ向かっていた。

 この日は巨人との3連戦最終戦。
 勝てば、「ARE」してしまう。
 気づくと、バッグを握る手に力が入っている。あかん、わたしが緊張してどうする。

 今年のペナントレースを振り返る。
 京セラドームでの開幕戦、DeNAから3連勝した。昨年の開幕9連敗のトラウマ払拭!
 4月27日甲子園での巨人戦は15-0の完封勝ち。今季出遅れた伊藤将司投手の圧巻のピッチングは、老後まで忘れないと思う。
 5月の9連勝、負け越した交流戦の記憶は遥か彼方、8月は10連勝。
 そして迎えた9月も10連勝。この日までただの一度も負けてない。
 緊迫する場面で阪神はめっぽう強かった。いや、強すぎた。
 緊張するといらぬ力が入って、力みまくるというのに。

 こういう時に見るのは、ホームグランドのモニターに流れる選手紹介の映像。
 一番グッとくるのは、梅野隆太郎捕手が放り上げる「ARE」の文字が刻まれたコインを、岡田彰布監督が受け取る場面。あぁ、もうすぐこれが実現するのだ。

 「ARE」という頂点にあと一歩というところで、阪神は「普通」に野球をしている。

 今年、15年ぶりに再登板した岡田監督の言葉は、阪神の強さの秘訣だ。
 「守る野球」
 「普通の野球」
 中でも2023年のスローガンとなった「ARE」は一種の発明だ。
 岡田監督は目標を「アレ」と呼び変えた。
 それが高じて「A・R・E(エーアールイー)」というスローガンが生まれた。
 (Aim!Respect!Empower!の略が後付けであることは間違いない)

 「アレに向けて」「アレしてまうかも」「アレまであと一歩」
 岡田監督発明の「ARE」は、阪神とファンに通じる合言葉となって、目指す地点になった。
 はっきりいうて、野球に無関心の人に「AREって何ですか」と訊かれたこともある。
 いやいや、もう知らない人がいないくらい浸透したんとちゃうか。
 そう、「ARE」が現実となる。あと一つ勝てば。

 去年とそれほど変わらないメンバーで、なぜこんなに強くなったのか。
 守備位置の固定、四球の多さ、戦力をそろえるのではなく、与えられた戦力でどう勝つかを重視した野球。

 阪神はホームランを量産するチームではないし、失策が少ないとも言えない。
 でもそれを上回るのは、きっとチーム力。

(Photo by Ari Hatsuzawa)

 ここ数年「利他」という言葉を、よく耳にするようになった。
 自分より他人の利益を優先するという意味だ。反対語は「利己」。
 しかし「利己」は「利他」と複雑に絡み合っている。

 人のために何かすることは、自分の利益になる。順番を入れ替えると、
 自分の利益のために、人に何かする。
 それこそ利己的じゃないか。

 中島岳志著『思いがけず利他』(ミシマ社)には、利己的ではない、思いがけない形の 「利他」の事例が挙げられている。
 それは自分が何かをした結果の「利他」ではなく、どこかからやってくる「利他」とは何か。

 たとえば1番近本光司選手が塁に出たら、2番中野拓夢選手がバントして、近本選手を進塁させる(8番木浪聖也選手が打って、9番投手がバントするパターンも)。
 正直、打率3割近い中野選手がバントするのは、ちょっともったいない気がしていた。
 でも1点を取りにいくためのバントは、巡り巡ってAREにつながる。これが阪神の「利他」。
 エラーした誰かを、別の誰かがカバーする、打たれても守備で失点を防ぐ。
 決して計算してできるものではない。各々がただ必死にプレーしているだけ。
 試合後のヒーローインタビューでは、お立ち台に立った野手が「前の打者がつないでくれた」、投手が「捕手のリードのおかげ」と、口々にチームメートを称える。

 今年の阪神タイガースには「利他」が循環していた。

(Photo by Yuri Nakae)

 2023年、9月14日。
 東京の仕事を切り上げ、新幹線と阪神電車に乗ってたどりついた。駅前は思い思いのユニフォームに身を包んだファンでいっぱい。わたしは今年の「ウル虎の夏」仕様のユニフォームを装着。背番号は80「OKADA」。
 改札から階段を下り、正面のタイガースショップ「アルプス」を通り過ぎ、目指すのは緑の蔦で覆われた聖地。阪神甲子園球場。
 黄色にそまったライトスタンドは熱かった。この瞬間を見届けようと集まったファンの熱気は、最近悩まされているホットフラッシュの比じゃない。
 「これ、よかったら」と隣の方が巻きずしをそっと差し出した。
 「あ、いただきます」と遠慮なく頂戴した。
 それを皮切りに、シュウマイ、コロッケ、エビフライ、ついにアイス最中が届いた。誰からきたのかはわからないけど、つい食べてしまった。スタンドにも「利他」が循環している。
 食べるものを買う間もなかったので、助かった。おかげで空腹を感じず試合に集中できた。
 途中経過がモニターに映る。2位の広島はヤクルトに負けているが、目指すは自力優勝。
 5回まで両チーム無得点。6回裏、大山悠輔選手の犠牲フライと佐藤輝明選手のホームランで阪神が先制した!
 迎えた9回表、クローザー岩崎優投手の登場曲がいつもと違った。スタンドのファンが自然と声を合わせて歌いだす、ゆずの「栄光の架橋」。今年7月に28歳で亡くなった同期入団の元チームメート、横田慎太郎さんの登場曲だ。

横田慎太郎さんのユニホームを手に、ベンチ前で写真を撮る阪神の選手たち=白井伸洋撮影(C)朝日新聞社

 優勝するとは、いくつもの苦しみを越えること。
 観ているだけのわたしにも、試合中、息が詰まるような場面が何度もあった。そのたびに頑張ってほしい、耐えてほしい、そう願いを込めて応援歌を歌った。
 気持ちはきっと届く。応援とは、あなたを支えたいという祈り。
 そうしてつかみ取った頂点の喜びは、利他が巡り巡ってやってきたもの。

 マウンドからは遠いけど、ここに集まったファンとともにこの瞬間を味わいたかった。
 笑ってる人、泣いてる人、歌ってる人、ファンもみんな、ここまでよく頑張ったんや。
 阪神が負けると苦しくて、情けなくて、でも勝ったらめちゃくちゃ嬉しい。
 野球がなくても生きられるけど、野球があるから気持ちが躍動する。
 こんな気持ちにしてくれてありがとう。

18年ぶりのセ・リーグ優勝を決め、胴上げされる阪神の岡田彰布監督=2023年9月14日午後8時51分、阪神甲子園球場、白井伸洋撮影(C)朝日新聞社

 阪神タイガース、優勝おめでとう!