宗教遍歴を通して語る社会学者の人生の歩み――信仰ある親との葛藤と看取り
記事:春秋社
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フェミニズム理論家として、かつ先端的な論著を続々著してきた社会学者として名高い上野千鶴子さんが、「宗教遍歴」という言葉を含む著書を出されたのだから、これは事件といってもいいぐらいのことだろう。実際、『スピリチュアル嫌いの宗教遍歴』はとてもおもしろく読み出したら止まらないで最後まで読み切り、感銘のため息が出るような書物である。
この本のきっかけについては、「あとがき」に書かれているが、私が「学長」を務めている「金にも資格にもならない」NPO東京自由大学の「宗教を考える学校」で話をしていただいたことだ。東京自由大学を1990年代に立ち上げた鎌田東二さんと、今はそれを引き継いでいる私がホストとなって、上野さんの本音を聞き出そうというものだ。
かつても行ったことがある「宗教を考える学校」講座を再開したのは、鎌田さんのステージ4のがんが見つかってから1年余りを経た後で、鎌田さんが亡くなる2025年5月30日の1年余り前の2024年2月のことだった。「死にかけている人の頼みを断るわけにいかない」と引き受けて下さり、「スピリチュアル嫌いの宗教論」と題して話していただいた。それがもとになって本書ができた。「宗教を考える学校」講座は2時間ほどのものだったが、中身は何倍にも広がり、深まり、スピリチュアルが好きだろうが嫌いだろうが惹き寄せられる興味津々な書物となった。
読み出したら止まらない面白さは、上野さんの熟達した語りの力によるところが大きいのはもちろんだが、それにも増して、上野さんが親しい人たちとの交流にも触れながら、宗教やスピリチュアルをねたにして自らの一生を振り返り、自分は何者かを問い直しながら語っていることによる。題名に「宗教遍歴」とあるが、宗教やスピリチュアルに関わって一生を顧みると、自らの人生の歩みが一段と豊かな陰影をもって語られるということだ。
それはまず、ご両親にとって宗教信仰が大切なものだったことによるだろう。本書はⅠからⅥまでの6部から構成されているが、介護研究、看取り研究の時期について語っているⅤには上野さんのご両親の看取りについて心ひかれる叙述がいくつか含まれている。たとえば、「死の床にある父に向かって、あろうことか、わたしはこんな軽口を叩いたんです」とある(111ページ)。
軽口とは、「お母さんは極楽に行って、お父さんは天国に行くから、向こうで会えないわね」とあり、「そしてそれを心底後悔しました」と続く。晩年の母上は「クリスチャンのままでは死ねない」と言い出して、般若心経の写経を始めたとある。また、父上は「ママはそんなところにいない」と言って、上野家代々の墓への母の納骨に立ち会うことさえしなかったという。
一方、父上の葬儀は教会で行われ、「教会のルールですべての寄贈者の名前がとりはずされ、すがすがしい雰囲気でした」とあり、「いつくしみ深き友なるイェスは……」(賛美歌312番)は、「いかにも生前、狷介孤独で友だちいない系だった父の愛唱歌にふさわしい」と感じたという。このあたりを読むと、Ⅰで記されている「わたしの宗教遍歴」を思い出さずにはいられない。「十三歳のある日、わたしはそれまで「パパ」と呼んでいた男を、突然「オヤジ」と呼びました」とあり、「その瞬間、彼の顔色が変わった」とある。
さらに「それをきっかけにわたしは教会を離れました」とも書かれている(12ページ)。ここには「父は小心でプライドの高い男でした」とある一方、この反抗は父の背後にいる「神様に対抗して教会を離れる」わけだから「理論武装が必要でした」とあり、「十代のわたしにとって、それは試行錯誤のプロセス」でしたという。そして、まずカトリック教会のミサにも参列し、洗礼を受けたいと父に話したら、「将来の結婚の制約になるから止めた方がよい」と反対されたという。父離れの決定打の一つだったろうか。
実は、私(島薗)も幼稚園はプロテスタントで日曜学校に行っていたこともある。母は12年間カトリックの教育機関に学び、シスターからがっちり祈り方を教えられていた。幼稚園の頃、私は寝る前にお祈りをしていたことがある。洗礼を受けず、けっして教会に通うことはなかった母だが、亡くなる時には、ひたすら「我ら罪人のために、今も臨終のときも祈り給え」という句が含まれているアヴェマリアの祈りを唱えていた。
私自身、賛美歌「神ともにいまして行く道を守り……また、会う日まで」(405番)に懐かしさを覚える。なので、いくらかキリスト教の素養があると感じている私だが、自分の中学生の頃は、そろそろ実存的な問いに出会うかどうかというぐらいで、恥ずかしながら神から離れるというような厳しい問いからはほど遠かった。当時、金沢大学附属中学校の生徒だった私は、富山大学附属中学校の生徒だった上野さんとその頃、合宿交流会で出会っており、その溌剌たる姿に惹きつけられていたのだが、まだまだ子どもっぽい私は、宗教をめぐる深い葛藤のなかにある人とは思いもよらなかった。
私が在宅で最期を迎えた母を送ったのと上野さんが父上を送られたのは、たぶん近い時期ではないかと思う。私は近距離の姉の家にいる母に、好物のアイスクリームを週に何度か届けるぐらいのことしかできなかったが、上野さんは死の床にある父上に本を朗読されたという(129ページ)。「選んだ本のなかで、強烈に後悔したものがあります」とあるが、そういうこともあったとしても父上にとってはスピリチュアルな次元に届く支えになったのではないだろうか。私はそう言いたいのだが、上野さんは否定されるだろうか。
「絆」という言葉やウェットな表現を好まず、カラッと距離を置いた表現を好む上野さんだが、この本には心ならずもかもしれないが、ご両親だけではなく、親しい方との深い交わりが描かれている。宗教やスピリチュアルを話題とする書物だからこそそうなったのではないか。これは鎌田さんとともに上野さんに本書の元になる話をお願いした者の腕自慢になるのだが、上野さんはこれこそ社会学者の語りだと言われるだろう。