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「目に見えない宗教」静かに浸透、SNS時代の「心のあり方」とは 東大教授・堀江宗正さんに聞く

 そもそも「宗教」は、西洋のreligionを訳す形で明治期に使われるようになった新しい概念です。普通の日本人には馴染(なじ)みがありません。そのため、生活に密着している「神道行事/葬式仏教/民間信仰」は、教団をもった「宗教」から区別されるのが普通です。宗教学的には、神・仏・霊などを前提とするので「宗教」とされます。しかし、多くの人は、初詣や冠婚葬祭に関わっていても、自分たちは「無宗教」だと考えます。

 一方、明治憲法は「安寧秩序を妨げ」ない限りで信教の自由を認めました。現行の宗教法人法は、教義・儀式・信者が明確な団体を宗教法人とします。今日では、多くの人が「宗教」と言えば教団宗教であり、安寧や秩序を妨げる危険なものだとイメージします。それは宗教団体をめぐる事件、特に1995年に至る一連のオウム真理教による事件で決定的になりました。それに対して、先にあげた「非宗教」(宗教とされないけれど宗教学的には「無宗教」ではないもの)は、大事なものとして実践されています。

 オウム以降は、教団宗教と無関係に、心霊、癒やし、パワースポット、占い、瞑想、魔術への関心を持つ人が増えてゆきます。宗教学者は、これらの動向をスピリチュアリティ(霊性)と総称しました。教団に着目するだけでは見落としてしまう「見えない宗教」でした。その多くは、民間信仰だけでなく神道や仏教の一部の実践とつながっています。

 2000年代には、スピリチュアル・カウンセラーと称する江原啓之氏のテレビ番組が人気を博します。オーラや前世や守護霊などを信じる「スピリチュアル・ブーム」も起きました。

 その背景には、孤立や個人化が進展し、「イエ」への帰属意識が希薄になるという変化があります。それは教団を嫌い、家族と距離を取ることとつながります。この時期には先祖供養を重視する教団の信者が減少します。それに対して、自分の苦しみの原因はイエの「先祖」より個人の「前世」にあるという輪廻(りんね)観がスピリチュアリティでは目立ちます。

 09年以降のパワースポット・ブームは神社を中心とする伝統回帰に見えなくもありません。しかし、スピリチュアルな訪問者は、ネットの評判を頼りに複数の神社のパワーを感じ、御朱印を集めます。特定神社の崇敬者になるわけではありません。

 ただ、10年代以降は「スピリチュアル」も虚偽・詐欺・軽信という負のイメージが強まりました。自分はスピリチュアルではないという霊的実践者もいて、実態がつかみにくいです。

 SNS時代が訪れ、スピリチュアリティが細分化され、各分野にインフルエンサーがいるけど中心的カリスマはいない状況です。YouTubeの視聴者は一度見たコンテンツをさらに見るよう誘導され、狭い領域で信念を強化します。その中には「見えない宗教」だけでなく、宗教団体が正体を分かりにくくして陰謀論に人々を導く「隠された宗教」も出てきています。

 いつの時代にも、人は信じる拠(よ)り所を欲しがります。日本近代史は「信じたのに裏切られた」ことの連続かもしれません。信じる心と疑う心が同居するような心のあり方を、私たちは学ばなければならないのかもしれません。(聞き手・女屋泰之)=朝日新聞2025年5月14日掲載