宗教や芸能の「精神遺産」生かそう
度重なる自然災害に、終わりの見えないコロナ禍。突如として人生を襲う苦しみに、人はどう向きあえばいいのだろうか? 宗教学者の鎌田東二さん(69)=上智大学大学院特任教授=の新著『ケアの時代 「負の感情」とのつき合い方』(淡交社)=写真=は、宗教や芸能といった「人類の精神遺産」にその手がかりを求めた論考集だ。
徳島県で育った鎌田さん。中学3年のある朝起きると突然、父親が亡くなったことを知らされたという。交通事故だった。大学生の時には、集中豪雨によって徳島の実家が土砂崩れで倒壊した。「家もない、お金もない。どうしようと」
なぜ自分がこんな目に遭わなければいけないのか、どうして失ったものを元に戻せないのか――。
「痛み、怒り、悲しみ。人間ははるか昔から、自分ではどうすることもできない、こうした『負の感情』を抱えてきました。その感情を解放して、ケアする方法として、宗教や芸能が生まれたとも言えます」
神道、仏教、キリスト教といった東西の宗教や、能などの芸能は、苦難に立ち向かってきた人間の知恵を総ざらいした「人類全体の精神遺産」だという。「いまの時代にも、その知恵は生かせるはずです」
キリスト教では、『新約聖書』が伝えるイエスの言葉「悔い改めよ」に着目する。道徳的に間違った行いを反省せよという意味にもとれるが、「それまでの価値観の枠組みを取り外して、根本的なものの見方を改めよということです」。
逆境の中にいる自分を「別のレンズ」で見つめ直すことで「苦悩を苦悩として感じる『私』から離れてみる視点が得られます」。
キリスト教に限らず、仏教などにもみられるという、ものの見方を根本的に転換する知恵。必ずしも信仰によらず、苦難をきっかけにして、自らその境地にたどり着く人もいる。
鎌田さんがその実例として挙げるのが、熊本県の漁師、緒方正人さん。水俣病で父親を亡くし、自身も病に苦しみながら補償交渉の先頭に立った。だが、自らも近代化の恩恵にあずかり、自然を損なって暮らしていることに激しく葛藤するように。やがて「(水俣病の原因企業である)チッソは私であった」と語り、自然と人間の関係を結び直す運動に携わった人物だ。
鎌田さんは「痛みの経験が、人間の深みや広がりを生むことがあります。こうした『負の感情の浄化』を促す働きが宗教や芸能にはあったからこそ、人類史の中で重要な位置を占めてきたのだと思います」。
鎌田さんの語る宗教や精神世界は、いわゆる「スピリチュアル」と呼ばれる一部の言説のように、すぐに「説明」や「答え」を与えてくれるものではない。人それぞれに異なる苦しみを何とかくぐり抜けて、その人ならではの新たな境地にたどり着くための手がかりを示すもののようだ。
「歴史を振り返れば、まったく新しいものを生み出した芸術家や起業家たちの多くが、苦難をくぐり抜けています。いまの苦しみからも、新しい光明となる知恵がきっと生まれるはずです」(上原佳久)=朝日新聞2021年2月24日掲載