焼きたての香りに誘われ入ったパン屋で、お腹(なか)も心も満たされる。2025年第23回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作の土屋うさぎ『謎の香りはパン屋から』は、謎解きとパンの魅力がぎゅっと詰まった連作短編集だ。今年1月に刊行され、各社の上半期ベストセラーにランクインしている話題作である。
収録作は全5話で、舞台は大阪府豊中市にあるパン屋〈ノスティモ〉。個人経営の小さなお店だがケーキも製造し、2階にはカフェスペースを併設する素敵なパン屋である。ちなみに〈ノスティモ〉とは、「美味(おい)しい」を意味するギリシャ語だ。
そんな〈ノスティモ〉には、時折パンに絡んだ小さな謎が持ち込まれる。それを解くのが、アルバイトとして働く大学1年生の市倉小春。第1章「焦げたクロワッサン」では親友のドタキャンに覚えた小さな違和感から、第3章「恋するシナモンロール」ではカフェスペースで談笑していた高校生たちの秘密をめぐり、第5章「思い出のカレーパン」では30年前に老婦人が食べたカレーパンを求め、小春は推理する。漫画家を目指す彼女は鋭い観察眼を持っており、ちょっとした気づきの積み重ねから、隠された真相を導きだす。
派手な事件はない。謎も小春の推理も、あくまでパン屋での日々の延長にある。そこが、この物語の醍醐(だいご)味だ。パンに関する豆知識と謎解きが自然に溶け合い、“パン屋における日常の謎”が立ち上がってゆく。元ネタが何となく想像できる2・5次元の舞台やアニメの小ネタも楽しく、連作らしい仕掛けもばっちり。小春をはじめ、個性豊かな登場人物たちが「エピローグ」で踏み出す一歩には、優しさが漂う。本を閉じた後、近所のパン屋さんに足を運びたくなるミステリーである。
梅原いずみ(書評家)
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宝島社・1650円。25年1月刊、6刷20万部。漫画家の著者は、本作で小説家デビュー。担当者は「『このミス』大賞の安心感があり、ライトに読書を楽しみたい方にも気軽に手にとってもらいやすい」。=朝日新聞2025年6月21日掲載
