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少年愛、耽美さ貫いた

京都国際マンガミュージアムで開催中の企画展。竹宮惠子の「JUNE」表紙画も展示=京都市中京区

 「いま、危険な愛にめざめて――」
 このキャッチコピーと、竹宮惠子の妖艶(ようえん)な少年画が表紙を飾った雑誌「JUNE(ジュネ)」。1978年の創刊(当初の誌名は「COMIC JUN」)から1995年の休刊まで、「女性向けの男同士の恋愛もの」を中心に、多彩なマンガや小説を世に送り出した。今や「ボーイズラブ(BL)」は世界を席巻するジャンルだが、その発展の下地の一つにこの雑誌があったのではないか。
 一体どんな雑誌だったのか。まず、創刊の背景から説明したい。当時、少女マンガは変革の渦中。SFや歴史ものなど、それまでは編集者が「少女読者には受けない」と止めたテーマに、戦後世代の若い少女マンガ家たちが挑戦した。中でも「少年愛」は彼女たちが果敢に挑んだテーマで、その代表格が竹宮惠子の「風と木の詩」である。本作は76年から84年にかけて「週刊少女コミック」「プチフラワー」と掲載誌を変えて連載された。19世紀末のフランスの寄宿舎を舞台に、美しい2人の少年の切ない愛を描いた物語だが、セックスも含めた愛憎の形を真正面から描いたことで大反響を呼んだ。

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 こうした流れに着目したのが、当時、駆け出しの編集者だった佐川俊彦である。彼が働くサン出版(現マガジン・マガジン社)がサブカルチャーに理解のある会社だったこともあり、女の子向けの少年愛専門誌を企画した。
 看板作家に据えたのは、竹宮惠子と小説家の栗本薫(中島梓)だ。「『風と木の詩』の援護射撃として、そういう本があることはいいことだと思い、積極的に参加することにしました」と述懐する竹宮は、創刊から長く表紙絵を担当し、描きおろしのマンガや文章、挿絵を発表した。
 栗本薫は「少年派宣言」「美少年学入門」など「少年愛」の概念を示すエッセーを寄稿。他にも複数のペンネームを使い分けて作品を執筆した。例えば、同誌で「薔薇(ばら)十字館」や「獣人」などの作品を発表した「フランス人作家」のジュスティーヌ・セリエも、栗本の別名義だ。ジュスティーヌの小説には竹宮の華麗な挿絵が付けられ、読者を妖しい世界にいざなった。
 まつざきあけみら、気鋭のマンガ家も起用。佐川が寄稿を呼びかけた大学の漫画研究会のメンバーには「ケン吉」名義でコミカルな短編を発表した柴門(さいもん)ふみ、「絶対安全剃刀(かみそり)」を発表した高野文子ら、後のビッグネームもいた。
 佐川は「図書委員のような女の子、本が好きな優等生タイプの女の子のための、心の不良としての雑誌」と捉え、「JUNEらしさ」を保つ微妙なさじ加減に気を配った。男性のためのゲイ雑誌とは一線を画し、リアルすぎないこと、アートに寄りすぎないことを徹底。娯楽ではあるが、分かりやすすぎたり、子ども向けすぎたりしてもダメ。男女の恋愛を単純に男同士に置き換えたものでも読者は納得しなかった。女の子が求める「耽美(たんび)」が、「JUNE」では徹底的に追求された。

少女向け雑誌「JUNE」

 一方で、「やまなし、おちなし、いみなし」を語源とする「やおい」と呼ばれる同人文化が発展。「JUNE」的な退廃的なかげりを感じさせない作品も増えていった。既存作品の「二次創作」が盛んになり、男同士の恋愛をメインにした商業誌も次々と創刊。佐川がいう「心の不良」として「JUNE」が一手に担った役割は、あらゆる方向に細分化され、今日のBL文化の土壌を作った。
 BL文化への接続についてはもっと語りたいが、今回は字数が足りない。石田美紀「密(ひそ)やかな教育 〈やおい・ボーイズラブ〉前史」(洛北出版)、溝口彰子「BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす」(太田出版)という名著をお薦めしておく。
 現在、京都国際マンガミュージアムで開催中の企画展では、竹宮惠子の「JUNE」の表紙画が展示されている。5月20日に開かれる竹宮惠子、佐川俊彦、波津彬子(はつあきこ)による鼎談(ていだん)では、BL前史についても詳しく語られるはずだ。興味のある人はぜひ来てほしい。 =朝日新聞2018年4月27日掲載