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鶴見俊輔『「思想の科学」私史 まなざし』書評 往時の授業風景に思いがいった

評者: 保阪正康 / 朝⽇新聞掲載:2016年02月07日
まなざし 著者:鶴見 俊輔 出版社:藤原書店 ジャンル:エッセイ・自伝・ノンフィクション

ISBN: 9784865780505
発売⽇: 2015/11/24
サイズ: 20cm/270p

「思想の科学」私史 まなざし [著]鶴見俊輔

 60年安保時、岸内閣の強行採決に「国家公務員でいるのが恥ずかしい」と鶴見俊輔は東京工業大学を辞職した。61年9月、京都の同志社大学教授に転じた。
 その最初の授業で、私は前方の席に座った。日ごろはあまり授業に出ないのだが、「思想の科学」を発刊させ、「転向」研究書を編むこの教授の見識にふれたかったのである。ところが授業風景は意外であった。鶴見は教壇を左右に何度も往(い)き来しながら、驚くほど言葉が少ないのだ。「日本語の思想性についてだが……」といって2、3回往復し、そしてまた次の言葉を紡いで発する。
 もう55年前になるのに、今も覚えているのは、日本語は思想や哲学の表現としてふさわしい言語かとの問いであった。
 鶴見が昨年7月に93歳で逝ったとの報に、39歳だった往時の授業風景になんども思いがいった。この2書(『「思想の科学」私史』『まなざし』)を手にとると、晩年の鶴見のさりげない一文、心を許した者との対話に、鶴見の言論活動にかかわる本質を知ることができる。
 たとえば石牟礼道子を論じた稿(『まなざし』)で、「日本語と日本文学のつながりを通して、私たちは、日本の伝統をとらえる道を新しく見出(みいだ)す」としたうえで、石牟礼はその道を切り拓(ひら)いたと称賛する。鶴見の心中には、高野長英や後藤新平、さらには佐野碩(せき)、そして父親の鶴見祐輔など知的エリートの一統、自らも恵まれた環境での教育、だが不良として過ごす少年期、アメリカ留学での新たな自覚など、さまざまな思いが交錯しての人生観、歴史観がある。日本語の外で知識人になった自己を常に意識している。
 追悼の2書には、鶴見の歴史的警句が幾つか語られている。「デモクラシーからファシズムが起こった」「『思想の科学』は、『世界文化』と『土曜日』(注・戦時下京都の文化人の同人誌)を源流にもっている」などだ。これを血肉化できるか、つまり日本語を思想化、哲学化できるのかが、鶴見が次代に問うた設問だ。
 太平洋戦争時には外国放送傍受に従事、しかし、胸部カリエスで内地に戻される。敗戦。「日本人がこわいという反射は続いていた」と言い、それが小さいこだまとなり、自らの体内にあるともいう。それは今なお日本語が思索的たり得ていない焦りであろうか。
 後日譚(ごじつたん)になるが、拙著を文庫にするとき、鶴見に解説を頼んだ。「君はあのころ、どこに立っていたのか」と、いかにも鶴見らしい質問を受けた。私は答案を書くような気持ちで、「特攻隊員の手記をもとに創作劇を書いて、芝居没頭の日々でした」と答えた。
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 『「思想の科学」私史』編集グループSURE(電話075・761・2391)・2484円(送料215円)▽『まなざし』藤原書店・2808円/つるみ・しゅんすけ 1922〜2015年。哲学者。著書『アメリカ哲学』『戦時期日本の精神史』『限界芸術論』など。『鶴見俊輔集』全12巻+続編5巻も。