ケイト・モートン「忘れられた花園」書評 古典を本歌取り、語りのモザイク
ISBN: 9784488202057
発売⽇: 2017/05/21
サイズ: 15cm/403p
忘れられた花園<上・下> [著]ケイト・モートン
「秘密」が人間を興味深いものにする。英国南西部の海沿いに立つ壮大な領主の屋敷(マナーハウス)。ここには人知れず壁で囲われた庭園があった——謎めいたゴシック風の舞台に、語りのモザイクを凝らした傑作ミステリの登場だ。
第1次大戦前夜の1913年、ロンドンから豪州の港に着いた船には、白いトランク一つを提げた身元不明の幼女が乗っていた。ある夫婦の元でネルと命名されるが、長じて出生の秘密を知らされたとたん、「人生のページがばらばらに吹き飛んで」、過去にとり憑(つ)かれてしまう。父の死後に渡された白トランクから出てきたお伽噺(とぎばなし)集を頼りに、ネルは自らのルーツを探し求めて英国へ旅立つ——。
物語の時間軸は大きく分けて三つ、ストーリーラインは四つある。1880年代から1913年に至る時間内では、名門マウントラチェット家にまつわる物語が、主に一族の女主人と娘、そして当主の姪(めい)イライザの視点から描かれる。1975年前後の時間内では、ネルによるロンドンとコーンウォールでのルーツ探しが書かれ、2005年前後の時間内では、ネルの死後、白トランクは孫カサンドラへと受け継がれ、彼女は祖母の謎を解くべく渡英する。
名門一族の伝統は嘘(うそ)で塗り固められていたのではないか……?
ひねりの連続で展開されるモダンサスペンスだが、全編が古典名作へのオマージュに彩られている。古いトランクから謎の文書が出てきて物語が始まる、というのはクラシックな欧米文学の常套(じょうとう)だし、また、孤児の少女が壁に囲われた庭園を慈しむことで成長していくバーネットの『秘密の花園』を精密な下絵にしているのは言うまでもない。しかし本作にいっそうの味わいを与えているのは、親をなくした子たちの物語であると同時に、子をなくした親たちの物語でもあるという重層性だろう。双方の喪失の哀(かな)しみと再生への希望が共鳴して、物語の細かい襞(ひだ)を織りなし、本歌の古典より一回り広い視界と複雑な情感を読者にもたらす。また、イライザが屋敷で初めてすごす嵐の夜の描写や「巣を横取りする郭公」の喩(たと)えなどは、『嵐が丘』を濃厚に想起させるし、死後にますます存在感を強めて海辺の屋敷を支配する美しく奔放な女性と、それに怯(おび)える庶民上がりの妻の構図は、『レベッカ』そのものである。
古めかしい道具立てを配しながら、現代的で普遍的な心理ドラマを浮かび上がらせる。それこそは、ゴシック文学をその時代時代で更新してきたブロンテやデュモーリアが行ってきたことに他ならない。本書はあえて謎を解かないミステリであり、2度にわたる「不正解」をそのまま内包して終わる。そうして答えを出さない地点に留(とど)まり得たことで、人があやまつことの秘密に、むしろ一歩深く踏みこんだ。
ルビ遣いに至るまで巧みでトリッキーな訳文を含め、翻訳小説の粋を集めた一冊である。
評・鴻巣友季子(翻訳家)
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青木純子訳、東京創元社・各1785円/Kate Morton 76年生まれ。オーストラリアの作家。2006年、『リヴァトン館』でデビュー、本作は第2作に当たり、英国でもヒット。