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絶望をチャージして小説を書く 新刊「君の話」が話題の三秋縋さん

読者を自分と同じ病にかけたい

――発売から約1カ月半で6刷を突破(8月29日現在)、たくさんの読者に支持されていますね。

 僕はある意味で、読者の方々を自分と同じ病にかけたいんです。『君の話』を通じて本物の記憶と偽物の記憶、現実と虚構との境界があいまいになればいいな、と思ってます。自分にそういう症状があるので、みんなも同じように悩まされれば、と。そういう思いで書きました。

――いつわりの記憶(義憶)の中にしかいないはずの幼馴染と遭遇する、という展開はまさに、現実と虚構が入り混じっていますね。義憶をつくる「義憶技工士」という職業も重要なキーワードとして出てきますが、物語の着想のきっかけは何ですか?

 つくりものの記憶を脳に植え付ける、というアイデア自体は、おそらく昔からSFにおいては定番のテーマだったと思うんですけど、仕事としてそれをする、サービスとしてそれを受けるというのはフィリップ・K・ディックの『追憶売ります』、映画「トータル・リコール」の原作からアイデアを得ました。

 僕はこの『追憶売ります』が個人的にすごく気に入っているんです。というのも、物語の構造がすごく感傷的というか、ロマンチックな物語になる要素を含んだ話だと思っていたんです。『追憶売ります』では主人公は火星の冒険という夢を抱いて、その記憶を購入するんですが、この火星に行った記憶の購入という部分をもっと感傷的というか、より不健全なものに置き換えたらすごくロマンチックな話になるという予感があったんですね。そこで考えたのが、異性の架空の幼馴染。村上春樹の『国境の南、太陽の西』において出てくるような、「100%の幼馴染」をこの「火星へのあこがれ」と取り換えればロマンチックな作品になるだろうな、というところが出発点でした。

 さらに本作で登場する義憶技工士という存在は、佐藤友哉さんの『1000の小説とバックベアード』において登場する「片説家」という、カスタマーの要求に応じて物語を作って提供する、という職業からも着想を得ています。

――ほかの作品にヒントを得ることはよくあるのですか。

 僕の中で一番創作のきっかけになるのは、自分がほしい物語に近いけれど違う物語という「惜しい」物語なんですね。そういうものを読んで「違う」と感じたときに、じゃあどうすれば自分にとって理想的な物語だったのか、というシミュレーションを行って、自分の物語が生まれる場合が多いです。

 今や「オリジナル」っていうものははっきり言って幻想であって、すべてはどこかで見聞きしたもののコラージュに過ぎない、という考えに僕も完全に同意しています。本当にオリジナルなものだとか唯一無二なものを作ろう、って気は最初からないんです。

「幼馴染」や「神社の夏祭り」への憧れ

――孤独な主人公が唯一、心のよりどころにしているのが異性の「幼馴染」であり、その女の子と出会う場所が「神社の夏祭り」という印象的なモチーフは、三秋さんの人気作『三日間の幸福』と共通していますが、意識はしていたのでしょうか。

 意識したというか、やっぱり単純に自分がそういうものが好きだ、というのが第一にありますね(笑)。作中に出てくる言葉で「青春コンプレックス」、あるいは「青春ゾンビ」っていうものがありますけど、自分もそれに罹患していて。夏になるごとにそういうビジョンが頭に浮かぶので、一種あこがれているというか、取りつかれているというか……。いろんなフィクションを摂取しているうちに、いつの間にか自分の中にあったもの、っていう印象が強いです。

――『君の話』は最初、主人公の「僕」の視点で語られて、途中から「レコードがA面からB面に移行するように」夏凪灯花の視点に切り替わります。そこで、なぜ義憶の中の人間が実在するのか、ある種のタネ明かしが始まります。

 レコードのB面に値する後半の灯花の章は最初、1章の範囲で終わるつもりだったんですね。ですが、灯花の章を書き始めた瞬間に、たぶんこの物語の主人公は1人だけでなく、むしろ灯花の方を主軸にするべきだったんじゃないか、という風に気づきまして。それでその部分を膨らませてA面とB面という対比にするような形にしました。

 ここまで集中して、腰を据えて一人称の女性視点で書くのは初めてだったんですけど、実際読み返して思うのは、前半の男性視点よりも後半の女性視点の方がのびのびと書けているんですよね。それはやっぱり、主人公と作者を読者が同一視しないというか、あくまで別人の話として読んでもらえるというか、あくまでこれは彼女の話であって自分の話ではない、という意識で書けるおかげで、かえって自分の本音を素直に書けたところがあります。

――男性の視点で書くと、やはり作者自身が投影されるものなのでしょうか。

 しないように気を付けているところはあるんですが、やっぱりどうしても避けられない部分はあって(笑)。それでどうしても書いている最中に照れだとか、自意識みたいなものが出てきてしまうんです。そういうものが女性視点だと介在しなくて済んで、新鮮でした。

表紙は三秋さん自ら希望した紺野真弓さんによるイラスト
表紙は三秋さん自ら希望した紺野真弓さんによるイラスト

――『君の話』もそうですが、三秋さんの作品は学校で孤立してしまったり、社会からはぐれてしまったりする男性の主人公が多い気がします。『三日間の幸福』のあとがきの中で、ご自身も「不幸な自分」がアイデンティティーになっている、と吐露しています。

 フランツ・カフカに宛てた友人の手紙の中に書かれていたことなんですけど、「君は君の不幸の中で幸福なのだ」っていうフレーズがあるんですね。ようするにそういうことなんじゃないかな、と思います。

 『恋する寄生虫』という作品の中ではっきり書いたことではあるんですけど、何かを得るってことは何かを失うリスクを背負うことであって、逆に言えば何かを持ってないっていうのは何かを失う心配がないってことでもあって。それを幸と取るか不幸を取るかはすごくむずかしい問題なんですね。それを僕は、物語を通じて自問自答しています。

 『君の話』では、自身の病を知った灯花が、失うものがない余生を喜べばいいのか、失うものさえ得られなかった半生を憎めばいいのか、と考える場面があるんですが、僕もいまだにこのどちら側が差し引きで得をするのか、判断がつかずにいるんです。これからも考え続けたいテーマだな、とは思っています。

――主人公の両親は義憶に頼り、その中で満足に生きる人物として描かれています。理想的な記憶を得たら人は“幸せ”になれるのか、『君の話』を読みながら考えてしまいました。

 一概にこうとは言い切れない話ですね。自分の中の欠落をフィクションによって埋めることって、海水でのどをうるおすこと、飲めば飲むほどのどが渇いてしまうようなところがある。でも結局飲まずにはいられませんし、一時的に満たすことはできると。むしろかえって体は衰弱していくばかりなのですが……。

小説に興味をもつきっかけになった乙一の短編

――三秋さんは13年に『スターティング・オーヴァー』という作品で作家デビューしていますが、小説を書き始めたきっかけは何だったのでしょうか。

 僕の中でも結構あいまいなんですけど、中学生の時に乙一さんの「しあわせは子猫のかたち」が入った短編集を読んだんです。そのときに、「これは自分のために書かれた物語だ」という風に初めて感じて、小説という表現方法に興味を持ちました。ひとことで言ってしまえば暗い話なんですけど、美しいものにあこがれているけれども自分はそれに属していない、みたいなところがすごく共感を誘ったんですね。

――初めて作品を掲載したのはウェブ上でした。なぜ発表の場としてウェブを選んだのですか?

 僕の世代って、子どもの頃からインターネットにつながったパソコンが家にある場合が多くて、ウェブっていうのが特殊な場じゃなかったんですね。だから僕にとってはウェブに発表するのはとても日常的な行為であって、知り合いに見せるよりもよほど自然な行為だったんです。むしろなぜインターネットで作品を発表しないのか、っていう方が興味深いトピックだと思います。ネットで経験を積んだら新人賞に応募するつもりもあったんですけど、その前に編集者さんからご連絡いただいて、デビューする運びとなりました。

――小説を書くことは、三秋さんにとってどういう行為ですか?

 自分が生きられなかった人生を生きることです。

――もう次の作品を書き始めているのでしょうか。

 考えてはいますが、書き始めてはいないですね。アイデアがあればすぐに書き始められるというものでもなくて、自分が本当に何かを読みたいとか書きたいとか、何かに逃げたいとか、そういう切実な欲求がない時に書き始めてしまうと、どうしても他人事のような物語になってしまうんです。

――逃げたいとは?

 ひとつは自分が自分であることですかね。もしくは単純にほかの人生について考えたい、っていうような漠然とした動機でもいいんですけれども、物語を書いたり読んだりする欲求って、第一には自分以外の人生を生きてみたい、というようなものがあると思うんです。そういう欲求が高まる時って、自分が自分であることの絶望みたいなものから逃れたい、っていう場合もありますし、あるいは単純に目の前に考えたくない問題がある、っていう場合もありますし。もしくは現実そのものの在り方に絶望したりとか、そういうパターンもあると思います。

――物語をひとつ書き上げると、救われた気持ちになるのでしょうか。

 そうですね、救われたと同時にモチベーションがなくなったとも感じます。だからある意味で、今は絶望をチャージしている段階です。