ダガー賞翻訳部門受賞、王谷晶「ババヤガの夜」と日本小説ブーム 鴻巣友季子の文学潮流・特別編

王谷晶の『ババヤガの夜』(河出書房新社)の英訳「The Night of Baba Yaga」(サム・ベット訳)が英国推理作家協会(CWA)のダガー賞翻訳部門を受賞した! 王谷晶さん、サム・ベットさん、おめでとうございます。
なんと胸のすく受賞だろう。
しかも日本からのもう1作の候補作、柚木麻子の『BUTTER』の英訳(ポリー・バートン訳)も僅差で競ったようだ。イギリス最高峰の翻訳ミステリーの賞レースを日本の、女性作家の、犯罪小説が席巻したと思うと心が躍る。2作とも女性同士の関係やきずなを描いたクライムノベルだ。本当に、本当に、ほんの10年前には考えられなかった展開だろう。
それぐらいこの10年間で英語圏の翻訳文学事情は一変した。このことについては後述する。
さて、刊行時からの「ババヤガ」ファンとしては心から嬉しい。さらに翻訳者もノリにのっているサム・ベット、翻訳の腕前はもとより、英米出版界における信頼度という点でもトップといっていい翻訳者なので、今回の受賞は非常に納得がいく。
とはいうものの、驚きはあった。ある意味で同賞の懐の深さを感じた。
イギリスで出版された英語の長編ミステリーに授与されるゴールドダガー賞は、過去にはル・カレやディック・フランシスという伝説的作家も受賞しており、近年の例では、M・W・クレイヴンの「ストーンサークルの殺人」や、マイケル・ロボサムの「天使と噓」や、クリス・ウィタカーの「われら闇より天を見る」といった作家・作品が日本でも人気だ。
ダガー賞翻訳部門では、ピエール・ルメートルとヤスミナ・カドラとスティーグ・ラーソンが2度以上受賞しており、ノワール、サスペンス、社会派スリラーなどが多い印象。ただ、昨年の受賞作であるモード・ヴァントゥーラの「My Husband」(エンマ・ラマダン訳)は、妻の夫への尋常ならざる執着を延々と描く心理スリラーだった。
『ババヤガの夜』は事件や殺人が起きてその謎を解いていくというものではないし、探偵役も出てこないバイオレンスアクションだ。どんなところが評価されたのだろう?
選評を読んでみよう。
今年のダガー賞翻訳部門は王谷晶によるギャングスリラーのデビュー作『ババヤガの夜』(サム・ベット訳)に決まった。同作は2025年のクライムフェスト主催スペクセイバーズ犯罪小説新人賞を受賞したばかりである。審査員たちは「まるでマンガのような、日本のヤクザ社会の仁義なき戦いを描いたこの小説はとことん暴力的である。ただしそれは、はみ出し者たちの深い人間性を浮き彫りにするためなのだ。このサーガは無駄をそぎ落とした文体に独創性がきらめき、異色にして至高のラブストーリーを読者に届けている」と評した。
注目点の一つは、女性同士の深い関係を描いた点だ。『ババヤガの夜』は「クィア・ロマンス」とも呼ばれるが、同性の性愛に焦点を当てるのではなくいわゆる「魂の伴侶(ソウルメイト)」を描いている。映画で言えば、「お嬢さん」「キャロル」「テルマ&ルイーズ」などを好む層も惹きつけているようだ。
もう一つは、際立った映像喚起力だろう。昨今、日本のマンガの英米での影響力は絶大で、書店でも必ず店内の大きな一画を占めている。英米の読者が本作に「マンガっぽさ」を感じるのはわかる。しかしこの喚起力は王谷およびサム・ベットのストイックな文体のなせる業だろう。
サム・ベットの硬質で簡潔な訳文がまたすばらしく王谷の文体を引き立てている。ときに原文をよりハードボイルドに引き締めたかと思うと、ときに少しリリカルさを加える。その緩急のつけかたが絶妙である。最終章から少し例を引いてみよう。
まるで秋のように空が高かった。
The sky went on forever, the way it does in fall.
ベットは「まるで」という比喩の形を用いず、客観描写として表現している。次の行も主観が消えている。
海沿いの一本道は車通りが無く、低いコンクリートの防波堤からすぐ波の飛沫が見える。
No cars were on the road along the shore. Waves crashed into a concrete seawall, shooting mist into the air.
「見える」という見えない語り手の知覚動詞が消えている。しかし一方、前章のこんなくだりも見てほしい。
拳を封印し、喧嘩をやめた。不思議と苦痛はなかった。<中略>生きていてよかったと、自分を殺しにきた男の目を見て心から言える。
she’d relaxed her fists and stopped fighting. Oddly enough, she didn’t miss it. (…)Looking into the eyes of the man who had shown up to kill her, it was like her heart was singing I’m so glad I lived this long. (※I’m so glad I lived this long.は原文イタリック)
拳を「封印」はrelax(緩める)、「苦痛はなかった」はdid not miss it(恋しくはならなかった)、「心から言える」はher heart was singingと表現しているのだ。原文よりもややソフトでうっすら抒情的とも言える。硬軟のバランスが美しい。
アメリカとイギリスは英語帝国として、少し前まで他国・他言語の文学を翻訳しない、出版しない、読まないことで知られていた。ノーベル文学賞の審査主体スウェーデンアカデミーの事務局長に「アメリカ合衆国はあまりに孤立した島国のようだ。翻訳活動が足りない。つまり文学の偉大な対話にまともに参加していないということだ」などという嫌味を言われたこともある。それが、ゼロ年代から独立系の翻訳に特化した版元が次々と設立され、老舗の翻訳出版社の台頭も目立つ。多くは儲け主義に走らず、上質かつ多様なラインナップを実現しており、ノーベル文学賞、ブッカー賞などに候補を続々と送りこんでいる。
アメリカは他国・他言語の翻訳に目が向きはじめた契機には、9.11同時多発テロがあると私は感じている。この英語帝国の外には言葉のまったく通じない人たちがいるという当たり前のことを痛感した、あるいはその後に続くアフガン戦争のなかで、国際交友と平和を求める気持ちから外国文学への関心が育ったのかもしれない。
「翻訳文学の静かなブーム」をニューヨーク・タイムズ紙が特集したのは、2009年頃だった。ニューヨーク州ロチェスター大学附属の出版社<オープンレター・ブックス>や、ヨーロッパ作家のアンソロジーを毎年刊行していた<ダルキー・アーカイヴ・プレス>といった翻訳出版社の興隆をよく覚えている。
2010年代の半ばになると、マンハッタンやブルックリンの書店では世界の翻訳書がたくさん並んでいるのを見かけるようになった。日本文学では村上春樹だけでなく多和田葉子、小川洋子、村田沙耶香らの英訳書などもよく見かけた。驚いたのは、書店のトークイベントなどに翻訳家が呼ばれていたことだ。「翻訳家を呼んでお客さん入るんですか?」などと失礼なことを訊いてしまった。「もちろん! 人気のイベントだよ」との答えだった。
一方、イギリスの一つの重要な契機はEU離脱の国民投票だったと思う。このとき離脱に反対した人は若い層ほど多かった。18歳から24歳は7割以上が残留、25歳から49歳は55%ほどが残留に投票したという。残留支持者にはリベラル派が多く、この数字はいまイギリスの翻訳文学の支持層の数字とかなり合致するのだ。
イギリスでいま翻訳小説の需要を支えているのは圧倒的に若い読者層だ。25歳から34歳のミレニアル世代、Z世代。さらにはその下の世代。これで全体の約50%を占める(2024年調べ)。そしてこれはEU離脱に反対した層と概ね重なってくる。彼らはイギリスがヨーロッパの連合から切り離されて孤立すること、さらには言語的にも孤立することに危機感を抱いている。ヨーロッパの中で単一言語話者の多い国はイギリスだけなのだから。
ちなみに、日本はまったく逆だ。1990年代まではよく売れ、『マディソン郡の橋』など翻訳文学のミリオンセラーが連発したが、現在の主力購買層は40-50代以上だろう。若者の翻訳文学離れが言われて久しい。
一方、アメリカもイギリスと同様の傾向にある。第一期トランプ政権以降、翻訳文学は需要を伸ばしており、前回の大統領選挙で民主党に投票した層のチャートを見ると、やはり翻訳小説の読者層と重なっている。
まとめて言うと、私はいまの英米の翻訳ブームは世界的な保守化とナショナリズムの高まりに対する一種の反動の側面があると思っている。若い世代が外向きになろうとしていることは心強い。
日本文学に話を戻すと、現在イギリスの翻訳小説のトップ50のうち23冊が日本文学だ(2025年6月調べ)。1位と2位は今回受賞を競った『BUTTER』の2種類の版である。柚木麻子のこの英語圏デビュー作は、イギリスでは累計40万部以上、全世界の累計は約80万部に及ぶ(24年の刊行から25年5月まで)。
盛り上がっている日本文学だが、世界文学の潮流に合致したものが好評を博しているということだろう。犯罪小説、フェミニズム、ディストピア、シュールなテイスト。ここに日本の「コンフォート・ノベル」などと呼ばれる癒し系の小説も多数入っている。喫茶店、図書館、猫を題材にした気軽に読める本である。書店で村上春樹本かそれ以上のスペースを占めているのが、八木沢里志『森崎書店の日々』のシリーズや、川口俊和『コーヒーが冷めないうちに』のシリーズなどだ。
また、日本でよくある200ページ前後の厚さの小説は欧米では「ノベラ(中編)」にあたり、いちばん売りにくいサイズと言われていた。この流れも変わってきているだろう。これに関しては「文学潮流」の連載でもとりあげたので、お読みいただきたい。
日本文学を含む翻訳文学の人気は一過性のものではないと私は思う。それどころか、翻訳文学の行方は世界情勢の行方を映しだし占うものとも言えるかもしれない。