
静けさに包まれるような小説世界で海外にも多くの読者を持つ作家、小川洋子さんが6年ぶりの長編「サイレントシンガー」(文芸春秋)を出した。沈黙と歌声。一見すると矛盾したような言葉の組み合わせから、詩的な叙情があふれ出す。
執筆のきっかけは、10年ほど前から通うようになったミュージカルだった。舞台の登場人物たちに心をひかれるのは、どうしてだろう? そう自問するうちに、かれらは「本来は言葉にできない心のうちを歌に託している。せりふで相手に届けられなくても、歌だったら伝えられるということに自分は感動しているんだと思った」と言う。
数学を題材にした「博士の愛した数式」(2003年)や、チェスを指す少年が主人公の「猫を抱いて象と泳ぐ」(09年)など、「いままでも言葉と遠いところにいる人をずっと追いかけてきた。もしかすると、歌をうたう人も言葉から離れた場所にいるのかなと思ったんですよね」。
小説の舞台は、内気な男性ばかりが暮らす「アカシアの野辺」と呼ばれる集落。主人公の少女リリカは、そこで雑用係として働くおばあさんのもとで幼い頃から静かに育てられ、いつしか歌う喜びを知るようになる。
むやみに声を発してはならないとされているアカシアの野辺では、人々は独自に編み出した「指言葉」を使って意思を伝え合う。手話ともちがうこのサインは、「火」や「雨」といった生活に必要な最小限の単語を意味するものしかない。
「どうしても言葉にして相手に伝えなければいけない本当に大事なことというのは、頭で考えるよりずっと少ない。沈黙の方が、人間の心をより豊かにしてくれるんじゃないかなという気持ちが含まれています」
背景にあるのは、「ますます言葉への不信感が大きくなってきた」という現在の世相だ。人間はみずから作った言葉に頼りすぎるあまり、ついに「小さなスマホの箱のなかで、いくらでも人を傷つける言葉を吐くことができる時代になった」。
だが、思い出してみてほしい。「本当に心を許した関係の者同士は、あんまりたいしたことをしゃべらないじゃないですか」。深い意味のないやり取りを交わすことで、お互いに心地よい時間を過ごす。そのとき、どれほどの言葉が必要だろうか。「だから、小説のなかで親密な者同士が面と向かって会話をするシーンは、なかなか書くのがむずかしいですよ」
かつて川端康成が囲碁を題材に小説「名人」を残したように、「人間がしゃべらないと小説にならないわけじゃない。むしろ私は、どうやったら会話を避けられるかと考えています。それはずっと通底していますね」。
言葉によって構築される小説で、いかにして言葉を超えられるか。「書いてある言葉を読んだときに、書いてない風景が見えてきたり、書いてない人物の心に触れたり。そういう幸福な錯覚を味わえるのが、私にとって本を読むということなんです」と作家は言う。そして、あるべき小説の姿について、こう語った。
「言葉にすることによって初めて、言葉の裏側にたどり着ける。そのような小説でなければならないと思っています」(山崎聡) =朝日新聞2025年7月2日掲載
