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揺らぐ人権、書かなければ 辺見庸さん小説「月」、相模原事件から着想

辺見庸さん=篠田英美撮影

 作家の辺見庸さんが、一昨年に相模原市の障害者施設で起きた殺傷事件から想を得て、長編小説『月』(KADOKAWA)を書いた。重度障害者が語り手となり、人権、反差別といった近代以降の理念が揺らいでいないか、疑問を投げかける。

 「津久井やまゆり園」で起きた事件では、入所者19人が殺害され、職員を含む27人が負傷した。事件直後「世界史に残る大事件だ」と思った。「近代以降の人権、反差別思想、平等、寛容。そういう理念が、ここにきて破綻(はたん)している」

 だが、新聞やテレビの報道は、その理念を人々が共有していないことに気づかず、事件の本質を突けていないと思ったという。「報道の焦点は、被告個人が反省しているかどうかということばかり。彼が自身を正当化している社会的な意味や、背景をたどろうとしていなかった」

 事件の重さに比して、報道が少ないとも感じた。平成という時代が終わり、東京五輪のムードにのみ込まれる前に、と執筆を急いだ。「事件から目を背け、忘れたがっているようにすら感じた。作家が執筆に向かうのは、書きたいことがある時と、書かなければいけないことがある時。今回は後者だった」

 物語を先導するのは、重度障害者のきーちゃん。性別、年齢不明。目が見えず、歩けず、発語能力もない。そうした人物の内面や肉体の痛みを、ひらがなを多用して繊細に描く。「小説だから、できること」。きーちゃんの意識の分身のように振る舞う人物も現れ、幻想的な雰囲気すら漂い始める。

「健常」と「障害」は二項対決か 誰でも欠落ある

 そんなきーちゃんが通う園に勤める職員が、さとくんだ。立ち回りが下手で、同僚職員とはなじめないが、朗読や排泄(はいせつ)物の処理がうまく、きーちゃんには好感を抱かれてゆく。

 さとくんは、後に園を辞め、〈にんげんとはなにか〉を考えるようになり、〈世の中をよくしなければいけない〉と決心する。そして、実際に起きたあの事件そのままに突き進んでいく。

 本書は存在論的なテーマも併せ持つ。さとくんは、入所者たちを「要らない存在」という。しかし、著者は個人を糾弾することはせず、「社会が生んだ」存在としてとらえる。「自分にとって不都合なものを排除したいという気持ちは、どの社会にもあるのではないでしょうか」

 国民の8割が容認しているとされる死刑制度も同様だ。「人間には、生きるに値しない存在がいるということは間違いだとされています。しかし死刑は、生きるに値しないと人間を断罪する国家的な執行です」

 作中、障害者という言葉を使っていない。その理由をこう語る。「健常と障害は二項対立で語られることが多いですが、でも、僕は、乱暴な言い方かもしれないけど、誰しもが『障害者』なんじゃないかと思っている。どんな人でも何かしら、欠落や過剰なものを持っているものだから」

 意思疎通のとれない人の介護に向き合う人が多い現実を、重く受けとめている。だからこそ、言論や表現には、一定の知識の裏付けと抑制が必要だと思う一方で、萎縮してはならないとも感じている。「同調圧力に対する反同調の表現の力がなかったら、文学の意味はなくなります」(宮田裕介)=朝日新聞2018年11月21日掲載