――2018年は「LGBT」の4文字が爆発的に踊る年でした。大批判を浴び、雑誌休刊騒動にまで至った「生産性うんぬん」論文。亡き弟が外国で同性婚を挙げた相手と、主人公との葛藤・成長を描き喝采を浴びたホームドラマ「弟の夫」(NHK BSプレミアム)。そして、今年映画化が決まったドラマ「おっさんずラブ」(テレビ朝日系)の大ヒット。そういえば映画「ボヘミアン・ラプソディ」にだってちょっと要素がある。各自治体では「同性パートナーシップ」の整備が進み始め、それから勝間和代さんの同性パートナー公表の報道もありましたよね。
本当にもう極論になっちゃいますけど、いろんな良い話、悪い話ぜんぶひっくるめて、皆がそういうこと(性的少数者の存在)を考えたことが、すごく大事だと僕は思うんです! ポジティブに思わない人も勿論いる。でも、それに反応して「いやいやいや……! そんなことないよ」って人もいる。議論にのぼること自体が良いことだったと振り返っています。
――性的少数者の存在が知られ、理解が深まり、行政が動く。そして、その揺り戻しで一部では反発も強まりました。当事者の中でも、たとえば「LGBと『T』(トランスジェンダー)を分けて論じるべきだ」「ゲイの僕は別に困っていない」と主張する人が現れ、そこには議論の余地もあり、それから主に右派……、というか「ネトウヨ」から、性的少数者の権利保護を訴える活動家たちを「人権屋」呼ばわりして叩く人も現れました。その差異、溝の存在が、いっそう浮き彫りになっていきましたね。
でも、今まではそういう話を「しちゃいけない」雰囲気さえあったと思うんです。それが例えばカルチャーでも、小説、漫画、映画……、もっとも、昔から同性愛を扱ったものは製作されてはいたわけですが、それがこんなにメジャーな舞台で次々と登場するのは、2018年が最初ではないでしょうか。この本を出版しようという話をいただいたのも、2018年の7月だったんです。
――まさしく自民党・杉田水脈議員の「論文」が「新潮45」に掲載され騒動になった時ですね。
そうですね、その直前かな。本の話をいただいて「あ、ぜひやりたいです!」って言っている時に杉田議員の話が出たので、僕も、やる気がガーッと出てきて、「2018年のうちに出したいです!」って。スケジュール的に厳しかったんですけど、編集者さんに頑張ってもらって実現しました。短歌も散りばめ、恋の短歌と共に「LGBT」を身近に知ってもらう入門書の構成にしたんです。
「絶対に 手の届かない あの星に あなたと同じ 名前を付けた」鈴掛真
――まず、「ゲイだけど質問ある?」ってタイトルが、かなり刺激的。「いつゲイだって自覚したの?」「女性にはまったく興味ないの?」「ゲイって心は女子なんでしょ?」、そんな矢継ぎ早の質問項目に鈴掛さんはガシガシ答えていきますね。11月下旬に刊行し、ネット上で反響が広がっています。
ストレートの人(性的少数者でない人)で「読みやすかった」「とっつきやすいタイトルで手に取りやすい」と言ってくれる人が多い。当事者の人からは、「ゲイだということに自信が持てました!」というメールをもらいました。いっぽう、当事者の人に対して、あまりこの本の価値が届いていないのかもなって思うこともあります。
――えっ、それはなぜ?
「ちょっと初歩的な話過ぎない?」って思われているかも、と。そういうふうに作っているのでしょうがないんですけど。「ストレートの人たちには、これくらいハードルを下げないと興味を持ってもらえないんだよ」というところを、当事者の人たちにも伝わればいいなとは思っています。
――じつは私もその当事者の一員なのですが、正直に言って「ゲイだけど質問ある?」ってタイトルに最初ビックリしたんです。例えば、私は日本人で北海道育ちなのですが、「日本人だけど質問ある?」とか、「北海道育ちだけど質問ある?」って言い切っちゃうことができるのか。言い切っちゃった時に感じる、「え、僕なんかが代表して話しちゃっていいの?」感。
ああ、あると思いますね。
――そういう逡巡ってまったく無かったのでしょうか。たとえば、私みたいな少し古い世代のゲイが思い出すのは、日本の同性愛者の権利獲得に大きな舵取りを切った「府中青年の家訴訟」。先達の方々が様々な局面で闘ってこそ、今がある。さらに言えば現在、数々の制度の仕組み整備に奔走する人たちがいるからこそ、今こうして私たちが胸を張って生きていける。なのに、的な……。このタイトルはご自身でつけられたんですよね。ゲイを「代表」することへの逡巡、無かったのですか?
いや、ありました。僕なんかがこんな大それたことを書いて良いのか、ってところは勿論あったんです。でも、「とはいえ」なんです。とはいえ、誰かが言わないと理解は深まらない。「これぐらい言っても良いかな」って。僕個人の見解を述べた本。僕が同性愛者を代表しているつもりはない。そこはかなり、中身に関して意識したところなんです。
――たとえば?
いろんな考えの人がいる。いろんなセクシャリティがいる。「様々な考え方があるよ」と広めたいのに、僕がゲイについて固定観念を植え付けてしまう本ではいけない。結局は、僕ひとりの意見なんだ。でも、ゲイがどういう存在かを分かってもらうための話でもある。でも、それをし過ぎてしまうと、僕が印象を植え付けてしまう。バランスが難しい。でも、結果的に言えば、その難しいバランスが良い感じに収まったかなという気はしているんです。
――たしかに、1冊の中に客観的なデータを例示しつつ、これまでの変遷、問題点をまとめていますよね。いっぽうで、鈴掛さん自身の意見はバシッと出しています。それが痛快。例えば、「ゲイかどうかを確かめる方法は?」という問いかけに、「そもそも『なぜゲイは隠すのか』を考えてみよう」と返し、最後には「あなたが『打ち明けたい人と見なされていない』ということです」と、ピシャリ。
自身の意見は意見として、そこはクリアに分けないと。僕個人の意見なのに、一般論に捉えられてしまうと怖いんです。
――一般論に捉えられないように気を遣ったところとは、具体的にはどんな点でしょうか。
例えば「ゲイの人はどうやって出会っているか」とか。僕個人の経験談だけで語ってしまうと、他のゲイの人が読むと「俺はそんなふうには出会ってない!」と思うこともあるかもしれない。主流と呼ばれるような一般論も挙げながら、僕の経験談を具体例として述べつつ、イメージをこちらから押し付けるのではなく、あくまでストレートのひとたちがイメージを膨らませてもらえるように気を遣いました。
――私は鈴掛さんより12歳上ですが、この本を読み、時代が変わった印象を覚えました。私はかつてのパートナーを自死で亡くしているのですが、ご両親からは結婚を何度もせっつかれ、悩み続け、私への電話を最後に死んじゃったんです。田舎で、カミングアウトしない「クローゼット」の生活。ご家族も、「葬式には来てくれるな」と。地方だったということもあるんですけど、そういう経験を経た私から見ると、まず、鈴掛さんご自身のセクシュアリティに逡巡する時間が……、迷っていた時期について記しておられるにせよ、そこからの立ち上がりが、すごく速い。速いし、ちゃんと陽の射すほうを向いて歩く。軽やかに歩く。そこがやはり、私や、私より上の世代にはいなかった、と。だから、眩しく映るんです。
そうかも知れないですよね。僕も、10年前だったらこんなことを書くとは思っていなかった。今、カミングアウトしてからまだまだ6年ぐらいなんですけど、カミングアウトした後だと、「今までのあの20年間は何だったんだろう」ぐらいの変化があった。こんなにも、世界って明るく見えるもんだな、と。
「クローゼット」でいることというのは、極論を言うと「秘密を持つこと」なんですよね。隠し事を持つこと。でも当時は、その自覚がなかった。隠し事も含めて「これが自分だ」って思い込んでいた。ところが、オープンにしたことで、「あ、今までは隠し事を持っていたんだな」と。その隠し事が、いかにストレスだったか、自分がいろんな行動に出るうえで足枷になっていたのかが分かった。それって、カミングアウトした後じゃないと分からないことだったんです。
「ドの音が 出ないピアノの ようだった 君に出会って なかった僕は」鈴掛真
――歌人としてデビューしたのは、東日本震災と関係があったそうですね。
そうですね。あの日、僕は会社員として、銀座のビルの4階にいたんです。すごく揺れました。老朽化の進むビルだったのもあるんですが。皆さん、覚えているかどうか分からないですけど、あの1カ月ぐらい前にニュージーランドでも地震があったんです。
――ああ、ありましたね。当時の記事によれば、2011年2月22日に発生したマグニチュード6.1の地震。南島の都市・クライストチャーチでは、日本人を含む多数の死傷者が出て……。
ビルが倒壊して床が抜け、たくさんの方々が亡くなったニュースを見ていた。なんか僕、それがフラッシュバックしちゃって。「あ、ここで床が抜けたら死ぬな」って恐怖が一気に押し寄せたんです。そしてその直後、気仙沼などのあのシーンをテレビで観た後、社会とか、他人の目を気にして自分の行動を自制しているのが、すごく無意味に思えてきてしまった。僕は当時、会社員で、自由にカミングアウトできるような社会になれば良いのにと思いながらも、行動に移していなかった。けれど、「行動に移しても良いんじゃないか」って。明日もし死んじゃうと思ったら、今日は誰の意見も聞かずに自分のやりたいことだけやるよな、って。カミングアウトしたいと思ったきっかけに、震災はすごく強くあった気がします。
――周囲のお友達は、鈴掛さんに対して温かな反応だった。仲間に恵まれましたね。ご家族は?
高校1年の時に、母親だけには勢い余って言ってしまった。その時は、自分もセクシュアリティに関して他人に説明できるような知識に乏しく、ゲイとして生きていく覚悟があったわけでもなかったので、母親を戸惑わせてしまったんです。「この子、大丈夫なのか」と。母親とはそれ以来、恋愛の話はせず、お互い牽制し合うような、変な関係が続いたんです。
6年前に出したエッセイ「好きと言えたらよかったのに。」で、僕はカミングアウトしました。当時、僕は既に親元を離れていたんですけど、本ができた時に両親にそれぞれ1冊ずつ送ったんです。そこには息子が「ゲイだ」って書いているわけです。出版社と仕事でカタチにして、全国の書店に自分の顔が表紙になった本を売る。「あ、この子は覚悟を持ってこの行動を起こしているんだ」と、たぶん親に伝わったと思うんです。
――確かに、表紙カバーからインパクトの強いポートレート写真でした。
あとは、面と向かってカミングアウトって結構勇気がいるけれども、あの本を使って間接的にカミングアウトしたのが良かった。次の日も顔を合わせなくて良い、というのが結構重要で。なんか、カミングアウトした次の日に顔を合わせると……。
――気まずい。なんとも気まずい。
一緒に住んでいなかったので、カミングアウトしやすかったんです。
――「発表は発送をもって代えさせていただきます」方式。
(笑って)そうです。手紙も添えましたけど。母親はすごく喜んでくれて、親戚中に自慢して歩いているぐらい。
――お父様は?
初めてその時に伝えたんですけど、はがきで「すごく良い本だと思うから自信をもって、これからも頑張って」って。ああ、このやり方で良かった、って、あとから思いました。
――鈴掛さんじゃないとできない方式だったかも。今回の本の前半はご自身の生い立ち、葛藤が書かれています。後半は、私たちを取り巻く社会について。ここは読ませどころですね。鈴掛さんご自身が差別を受けたり、厭な思いをしたりしたご経験は。
2017年、中学校に短歌の講師として呼ばれた時、ある学校から「今回はセクシュアリティの話はしないでいただきたい」と。最初は「まあ分からんでもないけど」って思ったんですけど、「いや、でもこれ差別だ」って。先生にそれを伝えた経験はあります。「良かれ」と思って、だと思うんですよ、先生からすれば。生徒たちのことを思っての願いだったのでしょう。だけど、それって僕らからすると失礼なことだし、傷つくことなんだよって。
――「歌人」と同様、「ゲイ」は鈴掛さんにとって大切なパーソナリティー。それを「隠せ」と……。
差別って、する側も、される側も、本人が自覚していない場合がある気がするんです。自分の言動が差別だということを、まずその人たちに分かってもらうことが大事だと思いました。例えば、「同性婚は必要ない」と思っている人たちに、「その発想自体がもう差別なんだよ」と分かってほしい。
おそらく「差別」という言葉の意味を知らないのでしょう。あとは、差別を受けるということがどういうことか分かっていない人たちが多い。だから軽々しく発言してしまう。すごく怖いこと。差別だと分かっているならまだ良いんです。でも、杉田議員みたいに、自分の言動が差別だと思わない人が一番怖い。だからこそ、歴史上、いろいろな差別で起こってきたのかなって。
――無意識なんですよね。パートナーと「世帯」を築けない時点で、猛烈な差別が生じていることに気づかない。そして、すべての男女の結婚で子どもができるわけでもないのに、「生産性」という言葉を使ってしまう。
そう。それはすごく思う。杉田議員なんて、自分で言っちゃっていますからね、「私は差別するつもりはない」と。言っていることがメチャクチャだなって思うんですけど。こういうことを「言葉狩り」と批判する人もいるけれど、言葉狩りをしたいのではなく、国会議員が国民を無自覚に差別していることを、我々は指摘しているわけです。
――まあ、でも自分が当事者になってみないと分かりにくいことかも知れない。
そうなんです。自分が差別を受けたことがない、もしかしたらその人たちも、何らかの差別を受けたことがあるかも知れないのに、それを差別だと捉えていない。差別という言葉をものすごくふんわりとしか捉えていないのかもしれない。
――鈴掛さんが、いわゆる「オネエ」ではなく、普通のゲイ……って言い方も語弊があるけれど、発言をしていくことは、特に若い多くの当事者にとってメッセージになると思っています。……って、そんなふうに言うと、今度は「オネエ」差別になっちゃうかも知れないけれど、ともあれ。
「全然ゲイっぽくないんですね」と驚かれることがあります。「それまで抱いていたゲイのイメージって?」と実感させられることが多々あります。
――2013年、お昼のバラエティ番組「笑っていいとも!」に出演しましたね。それまで、あの番組では、数人を舞台に立たせ、「オネエでしょうか、ノンケでしょうか」って当てさせるような、すごくステレオタイプでオールドファッションな扱われ方をしていた。そこに、ふっと鈴掛さんが出てきた。ルックス主義的な言い方もアレですが、爽やかに、イケメンとして。視聴者や出演者の意識がふっと変わる瞬間を見たような気がしたんです。
「オネエ系イケメンコンテスト」ですね。オネエではないゲイを試験的に出演させてみたい、という番組スタッフのかたの狙いでもありました。そこに僕のキャラクターがマッチした。あれ以来、すごく考えるようになったのは、「ちゃんとしていよう」って。見た目、行動で、僕が「ちゃんとしている」ことは重要な気がしているんです。「ちゃんとした」出で立ち、「ちゃんとした」イメージ。そんな人が同性愛の当事者として語るというのが、じつはとても重要なことかも知れない。
――今後、たとえばトランスジェンダーやバイセクシュアル、レズビアンの人たち、他の性的少数者と、新しい企画を考えていく可能性はあるのでしょうか。
そういうことができたら良いなとは思いますが、なかなか難しいのは、じつは僕、あんまり「LGBT」という括りにも真っ向から賛成できなくて。本当は個々に思うことがあるだろうし、状況や価値観は違うだろうから、「個」が大事になっていく時代なのではないか、って。
だからこそ、今回、タイトルを「LGBTだけど質問ある?」としなかったのはそこで、1人ひとり同士の繋がりをもっと重視したほうが良いって思う。「LGBT」という括りを敢えて意識はしないようにしています。それより、自分はゲイだというところのほうを大事にして、まずは僕のことを分かってもらう、僕を通してゲイというもの、マイノリティというものを分かってもらう。そこから派生して、レズビアンやバイセクシュアルのことを理解してもらいたい。まずは、入り口を分かりやすくしておくためにも、いったん僕はこういう形に落ち着いたんですね。
――1人ひとり。同じゲイにしたって左から右から、いろんな考えの人がいるように。
飲み会に例えると、急に4、5人の初対面の人がいるような飲み会に参加させられる感じなのが「LGBT」という括り。それよりも、まず1対1でお茶するほうが、話しやすいし、入り込みやすいじゃないですか。僕のやり方で今回やってみたら、書籍になったという感じ。僕ができる範囲で、僕でしかできないこと。そこを考えてやっていきたいと思うんです。
「初めから 解り合えや しないことを 知って僕らは 何度も話す」鈴掛真
――鈴掛さんの短歌が本の随所に盛り込まれています。当事者の一員としては勿論、マジョリティの人たちにもきっと同様に、心の淵に入り込むような、沁み通るものがあります。論だけでなく。
そういうところって僕、大事だと思っているんです。Twitterでも短歌をツイートしているんですけど、たとえ僕のことを知らなくても、短歌を良いと思ってさえもらえれば、僕がゲイだろうが何だろうが、僕の作品に共感したという事実はその人にとって確固たるものになる。そこから、僕のことを知ってもらう。で、ゲイのことを知ってもらう。ここではエッセイとして語りましたけど、本当はもっと感情の部分だけで繋がっていけるものだと思うんですね、人間同士って。そこを重要視していきたいと思っています。