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人生のチュートリアルはポケモンで済ませた 額賀澪さんが小学生で出会った「ポケットモンスター」

「ポケットモンスター 赤・緑」©1995 Nintendo /Creatures inc. /GAME FREAK inc.

 小学校二年生だったか、三年生だった。とにかくその頃、私は一匹の相棒を連れて旅に出た。生まれ育った町を出て、行く先々で仲間を一匹、また一匹と増やし、ライバルと戦ったり悪の組織を壊滅させたりした。
 すべては「ポケットモンスター」の世界の話である。

 今更わざわざ説明する必要もないだろうけど、「ポケットモンスター」とはポケモンと呼ばれる不思議な生き物が存在する世界を、相棒のポケモンと共に旅をしていくロールプレイングゲームだ。
 その第一作である「ポケットモンスター 赤」と「ポケットモンスター 緑」が発売された一九九六年、私は小学生だった。クラスメイトが次々とゲームボーイと「ポケモン」を手に入れる中、私もやや遅れて誕生日に「ポケモン」を買ってもらった。
 ストーリーの序盤で、主人公は三匹のポケモンの中から一匹相棒を選ぶことができる。ヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネ。私はヒトカゲを最初の一匹に選んだ。ヒトカゲと共に、故郷であるマサラタウンから旅立ったのである。

 当時、子供達がゲームに夢中になることに親も学校の先生もいい顔をしなかった。「友達と一緒にいる時間が減るからコミュニケーション能力が落ちる」とか「ゲームと現実の区別がつかなくなる」とか。
 そういう苦言を子供の私は「だって楽しいんだもん」の一言で振り払っていたのだけれど、大人になって振り返ってみると、人生のチュートリアルをほぼほぼ「ポケモン」で済ませてしまったように思える。
 生き物は大切にする。友達を大切にする。困っている人を助ける。人のものを盗らない。ものを買うにはお金がいる。だからお金は大切にする。世の中には「勝った」「負けた」が存在して、それを繰り返すことで人はなりたいものに近づいていく。そのためには努力が必要だ。ポケモンのレベルを地道に上げたり、戦いを有利に進めるための戦略を練ったり。
 何より、山や海を越えて新しい街へ行くと、必ず新しいポケモンや人と出会える。前に進めば進むだけ何かが起こる。

 バスもなければ電車も通っていない。書店は隣町。図書館までは徒歩二時間。ショッピングセンターもなければ映画館ももちろんない。小学校は一クラスしかなく、六年間ずーっと同じ顔ぶれの教室。学校と家を往復するだけの毎日に閉塞感を覚え始めた私は、いつか自分も山や森を越えて新しい街へ行く日が来るだろうと、その日を待ち望むようになった。
 ゲームをやり過ぎると、ゲームと現実の区別がつかなくなる。二〇一九年になっても未だそんな話を聞く。当時の私からすれば、「現実はこんな風に上手くいかないから気をつけるんだよ」とゲームから教えられている気分だった。やり込めばやり込むほど、むしろ現実を思い知らされた。家の前を流れる川に当然ながら水ポケモンは住んでいないし、一度勝負をしたからって相手と仲良くなれるわけじゃない。

 私はいつになってもマサラタウンを旅立つことができず、新しい『ポケモン』が出るたびに冒険を繰り返してきた。準備運動とシミュレーションだけはばっちりで、なのになかなか私のところにオーキド博士は現れなかった。
 やっとのことで高校を卒業して、初めて地元を出た。大学生になって、一人暮らしをした。相棒のヒトカゲはいないけれど、その日々はとても楽しいものだった。好きなだけ本を読んで、好きなだけ本の話をして、映画や芝居を観に行った。誰にも咎められることなく小説を書いた。大学を卒業してこうして作家になっても、大変なことも面倒なことも腹の立つこともありながら、圧倒的に毎日が楽しい。長く待ちわびた冒険の日々は、期待していた以上のものだった。
 それなりに作家としての《壁》にぶち当たることもあるのだけれど、それでも山を越えれば絶対に新しい街があるし、その道中で必ず新しい出会いがあることを、私は十八歳までの間に何度も何度も何度も「ポケモン」から教えられたので。