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「平成の八つ墓村」と報じられた村の本当のすがた ウェブから火がついた「つけびの村」が本に

文:宮崎敬太、写真:有村蓮

 ウェブサービス・noteで公開され話題になった「ルポ『つけびの村』」が、『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)として書籍化されました。2013年7月21日に山口県周南市金峰(みたけ)地区で発生した山口連続殺人放火事件について取材したノンフィクション。犯人の保見光成・死刑囚は近隣の高齢者5人を撲殺し、2軒の家に放火しました。当時の金峰は12人の高齢者のみで構成された限界集落。小さな小さなコミュニティの中で起きた事件でした。

 保見の自宅の窓には外から見えるように、「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」という意味深な川柳が貼られていました。彼は村八分にあっていたのだ、という報道も加わり、金峰は「平成の八つ墓村」とも呼ばれるようになりました。『つけびの村』で事件ノンフィクションの新しい形を提示した著者の高橋ユキさんに、取材や執筆の経緯などについて話を伺いました。

苦肉の策だったnote版「ルポ『つけびの村』」

――「ルポ『つけびの村』」を書くきっかけを教えてください。

 そもそも村に取材に出向くことになったのは2017年1月。とある雑誌の編集部から「金峰地区に夜這いの風習があるのかを調べてきてほしい」と取材依頼を受けたことがきっかけでした。当時、保見自身が「金峰地区の郷集落には夜這いの風習があった」という証言をしていると報道があり、彼はそれが事件の遠因となっているとも語っていたのです。私への依頼はそれを確かめて来てほしいというものでした。

 現場に向かって取材を行ったのち、原稿を書き上げたのですが、なかなか掲載されず、最終的には非掲載にしてもらいました。せっかく遠方まで赴き取材したということもあったので、さらに取材を重ね、書き上げたのが、noteにアップしていた「ルポ『つけびの村』」です。これは当時、ノンフィクションの賞に応募していました。けれども賞をとることは叶わず。手元に残った原稿をなんとかしたいと、何人かの編集者に原稿を送ったりもしましたが、全く反応がなく…。それ以上の展開は望めませんでした。

 取材と執筆に長い時間をかけていたこと、その間、他の仕事をセーブしていたので収入も芳しくなかったこと、取材に出向くために子供を夫に見てもらい負担もかけていたことなどから、何とかしなくては…と思っていた時、ちょうどnoteというウェブサービスを使って、自分の書いた記事の告知などを投稿していたので、ここで公開してみようと思い至りました。長いひとつの原稿を6つに分け、3話からは100円と有料にしました。これは有料の長文ノンフィクションが、ウェブで受け入れられるだろうかということを試してみるためです。

――それが爆発的にアクセスされるようになり、今回書籍化されることになったわけですね。

 いや、それがそんなに甘い話ではなく、数カ月間はまったくの無風状態でした。やっぱり無理なのかな……などとあきらめてもいたのですが、今年の3月に突然note版の一連の記事がSNSで拡散されました。その直後から、多くの出版社から書籍化のオファーをいただくことになったんです。

――僕は「ルポ『つけびの村』」で初めてウェブ記事に課金しました。

 そう言ってくださる方が多く、非常にありがたいです。今回『つけびの村』の書籍化に至る一連の過程で「知られること」の重要性を痛感させられました。自分では一生懸命取り組んで、書き上げた原稿に手応えを感じていても、それを多くの読者に届けるのはとても難しい。紙媒体でのみ発表された記事は、なかなかウェブでは拡散しづらいですよね。紙媒体で読んで、すごいなあと思う記事があっても、ウェブでは全く知られていなかったりもする。もしかするとnoteのようなサービスは、紙媒体を主戦場とするライターさんにとって、誰かに自分の仕事を知ってもらう手段のひとつになるのかもしれないですね。

現地の噂話は異常に細かく、皆がそれぞれの結論を持っていた

――『つけびの村』のテーマを「噂」にしようと思ったのはなぜですか?

 「噂」をテーマにしようと思い至るまでにはかなりの紆余曲折がありました。というのも、最初は従来のノンフィクションの枠組み、と私が思うような……つまり、山口連続殺人放火事件の犯人である保見光成の生い立ちから始まり、半生を追いつつ、事件までの経緯をたどるという筋書きを考えていたんです。けれども、実際に保見と面会して話してみると、とてもそれは無理だ、ということがわかりました。なぜなら公判でも認定されていたように、彼は妄想に支配されていたからです。実際に面会や手紙でも毎回、自分の事件は「警察のでっち上げだ」と真剣に訴えてきました。

 まず商業的な事件ノンフィクションは、前半で事件のあらましについて大枠から詳細へと迫り、後半に犯人の人間性に肉薄、最後は「本当のところ、事件のことをどう思ってるのか」について語らせるシーンに……というのがある種一つのスタンダードといえると思います。でも保見は無実を訴えていたので、肝心の動機に迫ることが難しい。かなり焦りました。

 でも焦ってばかりいても仕方がないので、取材を通じて私自身が何に一番引っかかったのか、改めて振り返ってみることにしました。それが噂話だったんです。村で耳にする噂話は細かく、話者それぞれが独自の結論を持っている。噂はどんなコミュニティにも存在しますが、この村における噂はどういったもので、それが事件にどう影響したのか、ということに注目し、全体をまとめ直すことにしたんです。

――実際の取材はどのように進めたんですか?

 通常の事件取材と同じように、家を見かけると呼び鈴を押し「すいませーん、お話を……」とコツコツ聞いていくやり方です。実はやるほうも申し訳ないと思っていますし、苦しいです。断られることもしょっちゅうですし、聞かれる側に立ってみると自分の村で事件が起きて、都会から見ず知らずの人がいっぱい来て根掘り葉掘り話を聞いてくる。そんな状況はうんざりだろうな、ということは十分理解できるので。諸手を挙げて歓迎されるような感じではありませんでした。けれども、それが私の仕事ですし、正直「つらいな、嫌だな……」というフレーズが頭をよぎることも度々でしたが、「そういえば、あの敏腕記者さんもピンポン押したくないって言ってたな」などと思いだしつつ、自分を奮起させて取材していました。

――高橋さんはお子さんもいらっしゃるので、金峰まで行くのも相当大変だったんじゃないかと思いました。

 もしかしたらそこが一番大変だったかもしれません。夫も雑誌に関わる仕事をしているので、休みもなかなか少ない。彼にまとまった休みがある時に、「行ってきてもいい?」とおうかがいを立てて、子供の面倒をお願いして出かけるという感じでした。事件ノンフィクションが「売れない」と言われるこのご時世に、この事件のために、わざわざ遠くまで取材に行き原稿を書いても、それが発表できる場があるのかと、夫は懐疑的だったんです。正直、取材を続けることについてはしょっちゅう反対されていました。それでも取材では誰が何をどこまで知っているのか把握し、そしてそれを可能な限り検証していきました。

知られざる歴史から見えてくるもの

――高橋さんが噂話を徐々に集め、丹念に検証すると、まったく想像だにしなかった金峰が見えてきました。個人的には、諸星大二郎の妖怪ハンターシリーズを読んでるような感覚でしたね。

 それは最初に「夜這い」という民俗学的な切り口で取材の依頼があったからだと思います。
ただもともとは保見を主体にした内容にするつもりだったので、いま形になっているような、ある種私が狂言回しの役割を演ずるルポルタージュの体裁にたどり着くまでには、何回もコンテを練り、書き直しました。

――『つけびの村』がもっとも印象的だったのは、日本の閉鎖的なムラ社会を描いているようで、実はこれが日本の近未来に思えたことです。今日本人にはどんどんコミュニティがなくなっている。ある人は仕事で病み、ある人はSNSで噂話をする。都会だろうが、限界集落だろうが、そういった人たちに共通するのは、本質的に孤独だということ。そのリンクを高橋さんは執筆時に意識しましたか?

 孤独については今回の原稿でそこまで強く意識した部分ではないです。どちらかというと噂話をテーマにしたら、こういう形になっていったという言い方が一番しっくりきます。事件の起こった村をはじめ、どの限界集落も、昔からそうだったわけじゃないですよね。戦後、仕事を求めて若者が都会に出てゆき、次第に人口が減少し、現在のようになってしまった。時代の流れ、と言ってしまえば簡単ですが、こういう場所は日本の多くに存在します。

――『つけびの村』はなかなかヘビーなテーマですが、高橋さんのユーモアあふれる文章がそれをいい意味で緩和していたと思います。

 不思議なことに取材をしていると、つい先ほどまでものすごく張り詰めた雰囲気だったのに、いきなりものすごく突飛で滑稽なことが起きたりもするんです。今回、それも盛り込んだので、そういう意味では、『つけびの村』はいわゆる事件ノンフィクションの型にはハマらないかもしれない。でも自分としては今後も取材を通じ、人間が持つある種の愛嬌や哀愁みたいなものをすくい取れたら、と思っています。