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奥田英朗さん「罪の轍」インタビュー 東京五輪前年、吉展ちゃん事件がモデルの犯罪ミステリー

奥田英朗さん=2019年8月21日、東京都新宿区、興野優平撮影

犯人捜し、やじ馬…「いま」への原型

 北海道・礼文島で昆布漁の親方の下で働く宇野寛治は空き巣の常習だった。地元にいられなくなり、本土に流れ着くと、同じ手口で犯罪を繰り返し、子どもを手にかける残虐な犯行へと至る。社会全体が五輪に沸くなか、「莫迦(ばか)」とさげすまれ、行き当たりばったりの行動を繰り返す宇野は、時に哀(かな)しく映る。物語で人を裁くことは決してしないのが奥田さんのモットーだ。「誰でも事情があるし、こいつなら何を言うかと想像しながら書く。勧善懲悪みたいな物語は僕には書けない」

 事件が複雑化し、世間の耳目を集めたのは、電話機や自動車などを使った新しい時代の捜査に不慣れだった警視庁が不手際を重ね、情報公開に踏み切ったからだ。テレビで全国に放送され、匿名の電話通報が相次いだ。「日本人が最初に経験した劇場型犯罪。マスコミが大騒ぎして犯人捜しをしたり、いろんなやじ馬が名乗りを上げたり。いまのワイドショーがやっているようなことが始まった事件だった」。足で稼いできた刑事たちが大量の情報提供に振り回され、被害者宅への誹謗(ひぼう)中傷が続く描写に、現在の社会の原型が見え隠れする。

 「電話が普及して匿名でものを言うことを覚えたことから始まり、もっと膨張して、みんながインターネットで発信し、炎上する時代になった。昔は、誰からも意見を求められなかった人たちが意見を言っている。民主的だけれども、攻撃の加減がわからないから、徹底して追い詰める」

 組織内の足の引っ張り合いに苦しめられながらも事件解決に奮闘するのは、2008年に発表した『オリンピックの身代金』に登場した刑事たちのチームだ。

 なぜ、東京五輪前後の時代を描くのか。

 1959年生まれで、繁華街にいくと傷痍(しょうい)軍人がいた。終戦直後の名残がいっぱいあって、それが好きだったという。「かなりむちゃもしただろうし、労働状況も悪く、男女平等でもなかった。ただ、みんな豊かになろうっていう目標を持って頑張っていた。オリンピックは、戦後日本がもっとも自信をつけたイベント。ああいう熱気は二度とない。もっとも熱かった時代だから興味があるんじゃないですかね」

 一方、来年に控える2度目の東京五輪には「完全な商業主義だし、国民の夢を託すものでもない」と手厳しい。

 「小説に書くとしたら?」とおそるおそる聞いてみると、「大きな物語として書く気はない。それに関わっている人の日常を連作にするぐらいしかアイデアはないかなあ」。(興野優平)=朝日新聞2019年9月25日掲載