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内沼晋太郎さんが日記の専門店をオープンしたわけ 日記から生まれてくる新たな書き手

文:小沼理、写真:「日記屋 月日」提供

「日記」の空気が、時代と合ってきている

——古今東西の日記だけを扱うお店「日記屋 月日」が2020年4月にオープンしました。なぜ、日記の専門店を作ろうと思ったのでしょうか。

 自分で日記をつけるのも誰かが書いたものを読むのも好きで、長い間日記に関心を持ち続けていました。その面白さをあらためて広めていく方法として、拠点となる場所が作れないかと考えました。

——内沼さんが手がけるNUMABOOKS出版部でも、本の読める店fuzkue店主の阿久津隆さんによる『読書の日記』、ニューヨーク在住のライター佐久間裕美子さんの『My Little New York Times』など、日記本を数多く出版していますよね。

 そうですね。以前からずっと日記で何かやりたいと思っていたけど、日記の本を出版したり、日記について書いたり話したりする以上には、具体的な形はイメージできていませんでした。お店にしようと思い付いたのは、2019年3月に熊本で開催した、佐久間さんの本の出版記念トークイベントの時。「日記屋だ!」と思いついてそのままイベントで喋って、それから1年かけて準備していきました。

——僕も個人的に日記が好きなので、日記の専門店ができると聞いた時はわくわくしました。一方で、日記だけを扱うというとマイナーな印象を持つ人もいるかもしれません。

 最初はそう思われるだろうとは思いますが、ぼくは時代に合っているはずだと感じています。日記の専門店を作ると決めたあと、僕が経営している本屋B&Bで日記について語るイベントを開催しました。僕が一人で話すだけだったし、告知が直前だったにもかかわらず、30人近い人が集まったんです。日記に関心がある人は潜在的にやはりたくさんいるのだとわかり、店もやっていけると確信を強くしました。

 もはや経済成長を前提とするより、低成長・脱成長の世の中でいかに生きていくかを考える時代になっています。そんな時代だからこそとも言えるのですが、いまだに書店の店頭には「この時代を生き抜け」「乗り遅れるな」と未来への不安を煽り、生存戦略を説く本があふれています。そんな中で、未来に向かって走れ、と言われ続けるのがしんどくなってきている人も多いはずです。

 日記をつけると、未来ではなく現在や過去に目を向けることになります。同じような毎日を送っているように感じていても、日記をつけてみると一日ごとにちゃんと違いがあり、様々なことを考えたり感じたりしている自分に気がつく。きちんと現在を、日々を噛みしめて、小さなことに喜びながら暮らしていくことのほうが、煽りのきいた自己啓発書やビジネス書を読んで、常に我先にと未来への準備をして生きることよりも、よほど多くの人に向いているはずだと感じます。広まるまで時間がかかるだろうとは思いますが、本来はむしろメジャーというか、スタンダードなのはこちら側ではないかと思っています。

オープン直後にコロナで休業。そこで取り組んだこと

——店舗オープンの直前には新型コロナウイルスの感染拡大がありました。「本屋B&B」や「日記屋 月日」も苦しい対応を迫られたと思うのですが、この時どんなことを考えていましたか。

 僕は2年ほど前から、下北沢と世田谷代田の間にあるBONUS TRACKというスペースの運営、ディレクションも行っています。4月1日から、自分たちもこの場所のいちテナントとしてB&Bはリニューアルオープン、月日は新規開店する予定で準備をしてきましたが、どちらの店舗も1日から3日まで短縮営業をしたのみで、4日からは完全休業になりました。

 特に大変なのはB&Bです。もともと新刊書店でありながら、毎日著者を招いたトークイベントを行って人を集め、本や飲み物を売ることが経営の大きな柱だったので、ビジネスモデルとしてはCDショップよりはライブハウスに近い側面がありました。事態が収束するまではイベントも行えないだろうと考えると、体制を立て直すためにも一度休業せざるを得ませんでした。日記屋 月日もオープンしたばかりで体制が整っていなく、やはり休業するしかない。2つの店舗のオープンに資金を投資してしまっていたので余力もなく、本当に大変でした。正直、いまもまだ大変です。

 休業中は、そんな中でもできることをやろうと必死で動いていましたね。B&Bのイベントをオンラインに移行したり、オンラインストアやコミュニティを立ち上げたりしていました。一方で、大変なのは自分たちだけではないという思いもあり、全国の書店・古書店を対象とした基金「Bookstore AID」を立ち上げたりもしました。

 月日では、もっと認知度が上がってからはじめようと思っていた「月日会」という日記好きのためのコミュニティを立ち上げました。自分の1週間の日記を毎週配信している会報に掲載できたり、メンバーと日記について語り合ったりできるコミュニティで、現時点で100人近い方が参加してくれています。これだけの方が参加してくれてうれしいと同時に、日記の店をはじめることを積極的に発信し続けていてよかったと思いました。もし4月1日までお店のオープンを隠したままだったとしたら、こんなにたくさんの人が注目してくれなかったと思いますから。

 B&B、月日ともに現在は営業を再開しています。営業時間の短縮や、来店人数によって入場制限などもしていますが、ぜひ足を運んでみてください。

——再開後「日記屋 月日」にうかがったのですが、とても素敵なお店でした。この一冊一冊が、著者が自分の生活に向き合った記録なのかと思うと、本棚が大きく存在感があるものに感じられました。新刊から古本、リトルプレスまで様々な日記本が置かれていますが、選書の基準はあるのでしょうか。

 「日付が記されているもの」というのを、日記とみなすひとつの基準としています。『○○日記』というタイトルのエッセイ集はたくさんありますが、タイトルについているだけのものは基本的に扱いません。ただ、中には日付はないけどものすごく日記的だと感じる作品もあるので、そうした作品は扱うなど例外もあります。新品と古本の割合は半々くらいです。日記本は特に、なかなか版を重ねないものも多いので、古本でしか手に入らないものがたくさんあります。

 リトルプレスも積極的にあつかっています。いずれは日記のリトルプレスをつくりたい人のためのワークショップなどもやっていきたいと思っています。

月日にはコーヒー&ビールスタンドも併設している

日々感じていることを忘れないために

——内沼さんはご自身のnoteで「いまこそ、日記をつけよう」というテキストを公開していました。新型コロナウイルスの感染拡大以降、様々なメディアが日記の特集を組んだり、日記のアンソロジー本を発売したりと、日記への注目度がさらに高まっているように感じます。

 自分が日々感じていることって、書いておかないと残らないですよね。コロナの渦中で、誰もが自分の人生の中で特別な時期を過ごしているのに、予定はカレンダーに残っていたとしても、その時々に感じた細かいことは、言葉にしておかないと時間とともに忘れてしまう。だからこそ「いまこそ書こう」と言いました。僕が書いたテキストがどれだけ影響しているかはわかりませんが、同じことを考えた人がたくさんいたのだと思います。

 ただ、いまこれを機に組まれたネットメディアの記事や、本になっているものの中には、注目されている有名人や、多くの人に興味を持たれそうな特殊なバックグラウンドを持った人の日記も多いと思います。その場合、その人の日常そのものに興味があって、それを覗き見るような楽しみ方もありますよね。そうした要素も日記の醍醐味ではありますが、実を言うと僕たちはそこにはあまり注目しないようにしているというか、関心の中心はそこにはないんですよね。

——だとすると、内沼さんは日記のどんなところに関心を寄せているのでしょう。

 その人それぞれの書き方や感じ方、表現力というあたりでしょうか。同じものを見ても、それをどう書くかは人によってまったく違う。読み手としては、なるべく覗き見的な関心はいったん置いておいて、文章表現として、読みものとしての面白さに注目したいと思っています。

 僕は日記から新たな書き手が生まれてくると思っています。たとえば写真家の植本一子さんの日記は何冊も本になっていて、いま最も日記が読まれている書き手の一人だと思います。ラッパーのECDさんとの結婚からガンとの闘病、死に至るまでの日々、家族や恋人との関係といった、書かれた内容の壮絶さや赤裸々さにフォーカスして語られることも多いですが、僕はこれから徐々に、書き手としての植本さんの筆力や、写真家としての作品のほうにもっと注目が集まるはずだと思っています。たまたま日記というジャンルから、植本さんという作家が立ち上がってきたというふうに捉えています。

>『台風一過』植本一子さんインタビュー 「一番大切なのは私が元気で精神的にも安定していること」

 僕が日記屋をやっていることで「高校生の時から誰にも見せていない日記をつけている」とか、「最近はじめたばかりだけど面白くて毎日書いている」という人が現れて、新たな書き手になっていくかもしれない。本に携わるものとして、日記が作家を発見するきっかけになり得ることも、日記屋をやるひとつのモチベーションになっていますね。

「発信」しない文章を書いてみよう

——現在はSNSを使って日々の記録をつけている人も多いと思います。日記とSNSの違いを挙げるとしたら、どんな点があるでしょうか。

 日記もSNSも書き方は人それぞれで、定義も広いのであくまで一般論になりますが、SNSの特性を生かそうとすると、日記的なものから離れていく気はしています。やっぱりSNSは「つながるための言葉」ですよね。SNSで日記をつけることもできるかもしれませんが、どうしても「周囲にこう見られたい」「こう言ったら共感が得られるんじゃないか」という感情が前に出て、自分の内面は大切にされない、優先されないことのほうが多くなりがちなのではないでしょうか。

 一方で、日記は自分自身が最初の読者。誰にも見せないのであれば唯一の読者です。他人を意識せずに書くことで、自分の内面をより深く知ることができる、セラピーのような側面がありますよね。漠然とした不安を整理して冷静になれたり、「何も起こらなかった」と感じていた一日でも実はすごくたくさんのことを考えていたと気づいて安心したりという効用もあります。

——他人の日記を読んでいると、SNSよりもパーソナルな部分が見えてくる気がしてほっとします。SNSの「つながる言葉」のやりとりに疲れた人が日記をはじめることもあるのかもしれません。

 それはありますよね。僕もちょっと疲れてきていますから(笑)。SNSはメディアとしての側面もあるので、登場した時には「1億総メディア時代」「誰でもメディアになれる」と言われて盛り上がりました。でも本当は、みんながメディアになる必要なんてないんですよね。メディアにならなくてもいい人が、SNSをやることでメディアになってしまって、勝手に反響の大きさを測られたり、コンプライアンスや発言の一貫性を求められたりして疲れてしまう。

 みんな発信しない文章をもっと書くと良いんじゃないでしょうか。仕事でメールや企画書を書いて、プライベートでもSNSをやってというふうに、今は誰もが文章を書く機会は増えていると思いますが、それらはどれも誰かに見せる文章です。けれど文章を書くことは、それ自体が素晴らしいことです。必ずしもそのすべてを広く発信しなくていい。自分だけに向けて書いた文章は、圧倒的に自由です。息苦しさを感じている人が、自由を手にする手段の一つに、日記はなると思います。