1. HOME
  2. インタビュー
  3. 「台風一過」の植本一子さんインタビュー 「一番大切なのは私が元気で精神的にも安定していること」

「台風一過」の植本一子さんインタビュー 「一番大切なのは私が元気で精神的にも安定していること」

文:宮崎敬太、写真:有村蓮

自分の中で流れている時間、その瞬間の感覚を大切にした

――この本は日記形式になっていますが、一冊の本としてまとめるためにどのような調整をしたんですか?

 本にするためにつじつまを合わせるような調整は特にしませんでした。文章的に気になるところは直しましたけど。この本は雑誌「文藝」の連載「24時間365日」と「トーチweb」の連載「行けたら行きます 15~20」をくっつけたものなんです。もともと編集さんからは「私の中で流れている時間を大切にしてほしい」と言われていました。一日ごとの特異性、例えば昨日「嫌い!」と思ったことが今日は「好き」となっても良いというか。誰しもそういうことがあるし、それが人間の生きてるリズムだから、と言われて。だからテーマやコンセプトを決めて、全体を俯瞰して書くようなことはしていなくて、書き続けていったらこのかたちになったんです。

 連載を書籍化する話は当初からありました。2018年2月から約1年間、飛び飛びになることもあったけど、日々で思ったことを日記として書きました。本にするための目安は大体8万字。その文字数を超えたら、良きところで出版しようと話してたんです。でも8万字はあっという間に溜まっちゃって。そのあたりから私自身も本にすることを意識しました。それで、今年(2019年)1月から石田さんの一周忌である1月24日までは毎日しっかり書いたんです。

――僕は自分が鬱病になって結構長いことゾンビのように生きていた時期があったので、植本さんの心が再生していく過程は自分のことのようにすごく感情移入して読んでしまいました。

 書き始めた頃は自分が再生するとも思ってなかったんですけどね。でもそう言ってもらえるのは素直に嬉しい。私の本のAmazonレビューって平均が2.5なんです。「すごい好き!」か「すごい嫌い!」のどっちか(笑)。書かれていることが受け入れられない人がいるのもわかります。

――確かに過去作『かなわない』ではお子さんたちに怒りをぶつける生々しい表現や、ご自身の浮気についても書かれていましたからね。でも、そうした表現はあの本のテーマである「自分に自信がない」という部分に帰結してる。今作にも「自分に自信がない」という表現は何度も出てきました。個人的には「ただただ波風のない、普通の人生を送れるようになりたい」という部分がすごく印象に残りましたね。これは僕も常日頃感じていことなので。

 実はつい最近、ツイッターで千葉雅也さんが「普通に生きるというのは、共通の制度に依拠することになり、その制度は共通の権力が維持することになる。『普通が一番』ってのはね、要は『支配されたい』んですよ。『支配されてると楽だなあ』ってこと。ふざけるなと言いたい。」とツイートされていて、編集さんとも「普通」について話したところなんです。

――「普通」という言葉にさまざまな意味を内包させることは思考停止しているだけだ、ということですね。

 うん。だって「普通」の定義って人それぞれ違いますからね。だから「普通になりたい」って発言は、他人の感情をコピペしてるっていうか、ドラマの世界に憧れちゃってるのと変わらないんですよ。それを言われた時は結構「ガーンッ」ってなりました(笑)。

 だからそう考えると「普通」って何だろうって思って。この本で「普通の人生を送れるようになりたい」と書いた時は石田さんが死んだ後でいろいろ本当に混乱した時期でした。でも今思うと隣の芝生が青く見えてただけとも言えなくもないし。

――そういう心境の変化こそが、最初の質問で答えてもらった「植本さんの中で流れてる時間を大切にする」ということなんでしょうね。

 そうですね。私自身もこの本の最初と最後では考えてることが全然違うこともあるし。そういう矛盾はあってもいいかなと思ってますね。

もし自分に何かあったら、この子たちはどうなるんだろう?

――植本さんは、2018年5月にニューヨーク出張することになります。取材はものすごく大変そうでしたが、同時にあの場面転換が植本さんのマインドにものすごくポジティヴな作用をもたらしたように思えました。

 行くこと自体に葛藤はありました。石田さんが死んでからあまり時間が経ってない中で、子供を置いてニューヨークに行っていいものかと。とは言え、仕事的にはものすごく大きなチャンスだった。私はこれから2人の娘を養っていかなきゃいけないから。だからすごく悩んだけど、最終的に行くことにしました。

 国内の出張だと子供のことは常に気になるんですよ。何かあったら最悪すぐに帰ることもできるし。でもニューヨークまで来ちゃうとさすがにそれは無理。その物理的な距離感もあって、ニューヨークではほとんど子供のことが気になりませんでした。本当に仕事に集中していましたね。あと同行してくれた人たちも、すごく気を使ってくれてあまり家族の話をしてこなかったんです。みなさん私を写真家として尊重してくれたから、ものすごく充実した時間だった。本にも書きましたが、「久しぶりに自分の足で立ってる」という感覚になりましたね。

――ニューヨーク出張中はECDさんの友人である野間易通さんを中心に、さまざまな人たちが植本家をサポートしてくれましたね。それまで精神的に孤立していた植本さんが、コミュニティとの関わりを通じて癒されていく感じがすごく良かったです。

 野間さんは差別と戦う活動家でC.R.A.C.という団体を主宰してる人。石田さんを通じて存在は知ってたけど、私自身はそこまで関わりがなかったから、最初はめっちゃ怖い人だと思ってました(笑)。でもこの本を読んでいただければわかると思うけど、野間さんとご家族には本当にお世話になりました。というか今も。現在進行形ですね。

――なぜそれまでは一人ですべてを抱え込んでいたんでしょうか?

 それは私と石田さん、娘たちが家族だからです。闘病生活とはいえ、石田さんが生きてる間は私が一人で家族を養っていくべきだと思ってた。もちろんその時もいろんな人に頼ってたけど、根本的な悩みは誰とも共有できなかった。でも実際に石田さんが死んでしまうと、「私一人で子供2人を養っていく」というプレッシャーはそれまでと比べものにならないほど大きくなったんです。「もし自分に何かあったら、この子たちはどうなってしまうんだろう?」って。

 だからもう誰かに頼らざるをえなかった。残された選択肢はそれしかなかったんです。でも実際にいろんな人たちを生活の中に巻き込んでいったら「もっと早く誰かに頼っていれば良かった」って感じでしたよ(笑)。

――実はうちは妻も鬱病なんです。がっつり看病しなきゃいけないわけじゃないし、子供もいないから植本さんの体験と比べるつもりはないけど、それでも「家族である私が全部やらなきゃ」という思いはものすごく理解できます。でも同時に外部とつながることの重要性は常日頃考えていて。

 だけど私自身「何が正解なのかな?」って思うところはありますよ。究極的なことを言えば、娘たちが0歳くらいのころからこういうネットワークを作っておけば、『かなわない』から今回の『台風一過』までの4冊は出なかったかもしれない。でもそしたら私は今ここにいないと思う。

植本一子とお金

――先日植本さんのTwitter(@dj_anzan)を見ていたら、「どなたか、敷金返還代行業者でいい人いいところ知ってる方いらっしゃいませんか…」というツイートを発見したんですが、これはもしや『台風一過』で20分間も怒鳴られ続けたという例の大家さんの物件ですか?

 そう! あれは私にとって本当にトラウマになるレベルで辛い思い出でした。今は新しい家に引っ越したんですが、前の大家さんに敷金を計40万円預けていました。でも引っ越しの時、1円も返ってこなかったんですよ。「40万円は全額現状復帰に使った」と。管理会社が間に入ってる場合もあるんですが、前の家はそういうのがなくて。40万円の明細が欲しいと連絡したんですが、そこから返信がなくなってしまったんですね。

 怖いからもう前の大家さんとは会いたくないんですよ。でも敷金が返ってこないのは悔しくて。いろいろ考えてみたけどやっぱり納得がいかない。だから私はお金をかけてでも戦おうと思ったんです。で、Twitterでつぶやいてみたら友達が弁護士を紹介してくれて。そこでお話を伺ったら、裁判をするにはまあまあ費用がかかるらしいんです。そうなると敷金が返ってきてもプラマイゼロみたいな感じになる。だからみんな諦めて裁判をしない。そういうことをわかってて、敷金を返還しない大家さんもいるみたいなんです。でも私は戦いたかった。だから弁護士さんにお任せしました。そしたらイライラからも解放されて。あの時程Twitterをやってて良かったなと思ったことはなかったです(笑)。

――その行動力がすごい(笑)。

 いや、だってムカつくじゃないですか! 前の大家さんは私が女で弱そうだから怒鳴ってきてるんですよ。退去の時も怖すぎて野間さんに来てもらったんです。そしたら全然普通に対応されて。でも敷金は返してくれないっていう。こりゃ私が女だから舐められるんだなって思って。もう徹底的に戦います(笑)。

――しかし、植本さんの作品は「お金」がよく出てきますね。

 そうですね。私は自分に自信がないから、お金の明快さに執着しているのかもしれない。「これぐらいお金があればこれからの人生を安心して暮らせる」とか。あと本の中で「お金は愛情を感じるのにちょうどいいツール」みたいなことを書きましたけど、それも同じような意味合いですね。言葉や態度は形がないし見えない。私は自信がないから、曖昧なものでは相手の愛情を信じきれないんです。もちろんそれがすべてだとは思ってないし、良くないとも思ってる。でも「お金は裏切らない」みたく考えてしまっている自分もどこかにいるんですよね。

――それはいつ頃からですか? 過去の著作を読む限りご実家が貧乏のようにも思えないし。

 むしろ何不自由ない暮らしをしていましたね。でも田舎だったんですよ。最寄駅に行くにも親の車で送ってもらわなくてはならなくて。そういうのがすごく嫌だった。お金は親の庇護から抜け出して、自由になるために必要なものでした。自活するための力の証明というか。お金がないと行動範囲も異常に狭まるし。都会育ちの人って「どうにかなる」って感覚がどこかにあると思うんですよ。

――確かに。僕は神奈川県出身で、いわゆる都会とはいえないけど絶望的な田舎でもないんですよ。だから、その「(お金がなくても)どうにかなる」という感覚は心のどこかにあると思います。

 田舎で育つと、それがない。常に背中の後ろは崖って感じ。やはり逃れたいんですよ、あの閉塞した世界から。だからお金のことは小さい頃から意識してましたね。ヤフオクを始めたのもすごく早かったし。手数料なんて当然0円の頃。定期購読してた「Myojo」をアイドルごとに切り抜いてまとめてものを出品してました(笑)。それをライヴに行くための資金にしたり。基本的には貯めてましたけど。

――ちなみに『家族最後の日』で絶縁すると決めたお母さんとの関係はその後、変化はありましたか?

 徐々に、という感じですかね。実はこの本には書いてないけど、去年の夏に子供たちだけで広島の実家に行かせたんですよ。最近の航空会社は子供だけで旅ができるサービスを夏休みとかにしてて。私が行きの空港まで連れて行けば、向こうの空港で私の母が待ってる。その間は添乗員みたいな人が面倒を見てくれるんです。子供たちが着いたと母から電話で連絡を受けたんですが、それが2年ぶりくらいの会話でした。それまではずっとメールのやりとりすらしてなかった。話した時はすごくドキドキしました。でも子供たちは1週間、広島を満喫できたみたい。そこから少しずつ、母との関係性も変わってきたような気がしています。

 やはり石田さんの葬式に母が来なかった、というのがすごく大きかった。我が家はどちらかというとしきたりを大切にする家庭なんです。だから普通に考えると、娘の夫の葬式に参加しないなんてありえない。にも関わらず来なかった。母だけじゃなく、うちの家族は誰もこなかったんです。それをメールで告げられた時は相当びっくりしたけど、同時に母が私の決断や存在を尊重しているように感じたんです。香典返しはいらないと言いながら、すぐにお金を振り込んでくれましたし。それ以来、私の中で母の感覚がだいぶ変わってきたと思います。

――それは大きな変化ですね。

 うん。今年も子供たちは広島に行くんですよ。今回は2週間。去年はすごく楽しかったみたい。実は私も仕事でどうしても広島に行かなきゃいけないことがあって。実家に泊まれば楽なんですけど、私自身がまだ会うのは厳しいかな(笑)。

何にも縛られてない。今がベスト

――表紙を開くと直筆の手紙が配置されていますが、これは植本さんのアイデアですか?

 最初から石田さんに宛てた手紙を書こうとは思っていたんですよ。「何通か書いてハマるものがあれば使ってください」と編集さんと装丁を担当していただいた鈴木成一さんにリクエストしたんです。そしたら一番恥ずかしい感じのやつが採用されちゃって。私としては見つかりづらい場所に配置したり、読めないくらい拡大したりとか、そういう感じが良かったんだけど、鈴木さんと編集さんに「読めないと意味ない」と一蹴されて。そしたら、表紙を開いて最初にあったという(笑)。

――植本さんは私生活をかなりあけすけに書かれる作家だと思いますが、自分では読者のことをどのように捉えているんですか?

 あんまり考えてないかも。でも感想を聞いたり、すっごい長いお手紙やメールをもらったりするのは嬉しいです。そういうのを読むと、私の書いたものを支えにしてくれている人がいるんだとわかって嬉しい気持ちになる。もちろんそのために書いたわけではないから、副産物ではあるんだけど、私自身もいろんな文章で救われてきたから。

――今回の『台風一過』で植本さんの物語はひとつの区切りがついたように思えました。今後はどのような文章になっていくんでしょうか?

 どうなんでしょうね? そこは私自身もわからないな。石田さんが亡くなって、今の私に夫はいない。けど、私には周りにいろんな人がいる。だから私は自分のことをシングルマザーだと思ってない。全然独りという感覚がないんです。それに私は今が一番良い状態だと思う。私が子供と接する上で一番で大切だと思っていることは、まず私自身が元気で精神的にも安定してなければいけない、ということ。そうじゃないと子供たちも不安定になってしまう。そういう意味でも今がベスト。何にも縛られてない。でも私の中の時間は流れてるから、また何かの形で何かを書くと思います。