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中学生の岡崎琢磨さんを虜にした夏目漱石 「こころ」を読み返してみたいと思うけれど…

夏目漱石(1867~1916)

 小説家にしては読書経験が乏しいことに強いコンプレックスを抱いている。

 本を読むスピードは遅いし、読んだ内容は片っ端から忘れるし、名作と呼ばれるあれもこれも未読、名だたる大作家の作品ですら一冊も読んだことがないなんてのもよくある話だ。

 すべては高校から大学の七年間、ほとんど読書をせずに生きてきたことが元凶であり、特に大学時代の有り余る時間を読書に費やしていたら……と後悔することしきりなのだが、実はこれでも高校に入るまではわりと本をよく読む人間だった。夏目漱石作品の大半を読破したのは、中学生のころである。

 中学の教科書に掲載された「坊っちゃん」を読んで、軽妙な文体に惹かれた。「吾輩は猫である」に進み、ろくに猫も活躍せず、ひたすら登場人物たちがだらだらしゃべっている内容に、これがかの名作かと驚き、大いに楽しんだ。そこからは虜で、「三四郎」「それから」「門」の三部作、「草枕」、「虞美人草」、「文鳥・夢十夜」など、最初に気に入ったのとは異なる文体の作品までむさぼるように読んだ。

 高校の国語の授業で夏目漱石の話が出たとき、先生の「読んだことがある人はいますか」という質問に、私は手を挙げた。「何を読みましたか」と聞かれ、「だいたい読みました」。その問答が評判になった。二十年近く経ったいまでも、「岡崎は中学で漱石を読破したらしいとクラスを超えて噂になっていた」と聞かされることがある。当時の私に、ひけらかすような気持ちがあったことは言うまでもない。いまなら何の自慢にもならない。若さゆえの晴れがましさが思い返されるようだ。

 そんな私だが、もちろん漱石の全作品を等しく楽しんだわけではなく、中には好まない作品もあった――その筆頭が、「こころ」だった。

 中学生の感想を現代に甦らせるのは難しい。悲劇に溺れるだけの登場人物たちに、苛立ちを覚えたのではなかったかと思う。まだ、現実にある悲劇を知らない年頃だったのだ。

 高校の授業で「こころ」が扱われ、全文読んで感想を提出するという課題に、私は「一度読んだからもう読み返さない」「この作品は好きじゃない」と書いて提出した。生意気だった。先生からは課題を突き返されることもなく、「読み返すと違った印象になるかも」と優しいコメントをいただいた。そのときは、そうだろうかと懐疑的だった。

 月日が流れ、三十歳を迎えたころ、インタビューでこのエピソードを話した。聞き手の瀧井朝世さんに、あの日の先生とまったく同じことを言われた。そうだろうな、と素直に思えた。読み返してみたい、とも。しかしいまでも、私は「こころ」を読み返さずにいる。