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「薔薇はシュラバで生まれる 」笹生那実さんインタビュー 少女漫画の黄金期支えた「アシ」の青春

文:若林理央 写真:斎藤大輔

高3で漫画家デビュー

――「薔薇はシュラバで」というタイトルは洒落が効いてインパクトがありますね。

 現代ならありえないような少女漫画制作現場を、若い方にもわかりやすいように伝えるにはどの言葉が良いかと考えたときに、しっくりきたのが「シュラバ」でした。「漫画家は締め切り前は修羅場になる」という認識が、当時より広がったのも理由の1つですね。

――笹生さんが漫画を描き始めたのはいつ頃からですか?

 小学2年生ぐらいからで、ノートに鉛筆描きして楽しんでいました。中学生になってペン書きに慣れてから雑誌に投稿し始めました。

――本書ではその頃に出会った美内すずえ先生のことも描かれていますね。当時の美内先生は『ガラスの仮面』連載開始前ですか?

 はい。とはいえ美内先生はデビュー後すぐに大人気漫画家になったので、雑誌に毎月、美内先生の読み切り漫画が載っていました。10代前半だった私も大ファンになり、2年間くらい毎月、美内先生宛てに絵入りのファンレターを送っていました。

 白い便箋を使って、ファンレター1枚1枚に絵を描いていました。下書きをしてからペン入れをして色鉛筆で色を塗り、最後にホワイトで星を散らしました。美内先生のキャラクターや自分が作ったキャラクターだけではなく、「今日学校でこんなことがありました」という、日記のような内容もありました。

――描くのにかなり時間がかかったのではないでしょうか?

 正直、宿題との両立が大変でした(笑)でも私のファンレターは美内先生だけではなく、当時の別冊マーガレット編集長も覚えてらして、私がネーム(漫画のコマ割りや台詞などを大まかにスケッチした「絵コンテ」)を見てもらいに編集部へ行ったとき、旅館で仕事していた美内先生のもとへ案内してくださったんです。

 初めて美内先生に会ったときのことは、本書に描いたとおり、すべて記憶に残っていますね。2、3年後に私は高3で漫画家デビューし、その年に初めて美内先生のアシスタントをしました。

笹生那実『薔薇はシュラバで生まれる―70年代少女漫画アシスタント奮闘記―』(イースト・プレス)より

デビュー後、人気漫画家のアシスタントに

――高校生で漫画家デビュー!早いですね。

 当時は珍しくなかったんですよ。同い年の友人で、現在も活躍中のくらもちふさこさんは高2でデビューしていました。大御所を除けば、10代でデビューして20代前半で引退する少女漫画家の多い時代でした。

 少年漫画は週刊誌連載が中心なので、プロダクションを作り専属アシスタントを採用する漫画家さんも多くいました。一方、当時の少女漫画は月刊誌や隔週誌の読み切りが多かったこともあり、プロダクションはほとんどなく、締め切りが近づくたびにフリーアシスタントを探さなければならない人がほとんどでした。

――少女漫画はアシスタントの方も、既にデビュー済みの方が多かったのですか?

 あの頃はそうでしたね。新しい雑誌がどんどん発売される時代でもあり、専属アシスタントがいる人もそうでない人も、締め切り前は非常に忙しかったです。そのため私のように自分の作品を描きながら、兼業でアシスタントをする人がたくさんいました。

 自分の作品を描き上げた後、まだ原稿を出していない漫画家さんのアシスタントを編集部から頼まれることもあったし、漫画家さんご自身から私の自宅に電話があり、依頼されることもありました。

――笹生さんが漫画家とアシスタントを兼業していたのはいつ頃までですか?

 20代前半までです。本書にも登場する美内すずえ先生、樹村みのり先生、山岸凉子先生、そして友人の三原順さん、くらもちふさこさんなどのアシスタントを経験しました。
アシスタントを辞めた後も漫画家は続けていたのですが、育児が忙しくなり30代で引退しました。

笹生那実『薔薇はシュラバで生まれる―70年代少女漫画アシスタント奮闘記―』(イースト・プレス)より

32年ぶりに漫画家の仕事

――1995年、三原順先生が亡くなり、その3年後に笹生さんは「三原順作品刊行を求める会」を創設しました。

 はい。三原さんご本人にも作品にも思い入れがあったので、亡くなった後、内輪向けに文集を作りました。

 内輪向けの本ではありましたが、少部数だけ三原さんファンの方にもお分けすると、「三原先生の作品が『はみだしっ子』以外入手できません」というお手紙が届いたんです。「三原さんの作品が手に入らないなんて」と驚き、いてもたってもいられなくなって復刊を求める同人誌活動を始めました。

 そこで成果を出した後、サークル名を変え、オリジナル作品を発表し始めました。時を経て2017年、同人誌即売会のコミティアで、10ページのアシスタント体験記を含めた同人誌を販売したら「アシスタント体験記を1冊の本にしませんか」と連絡があったんです。お買い上げ下さった人の中に出版社の方がいたことをそのとき初めて知り、とても驚きました。

笹生那実『薔薇はシュラバで生まれる―70年代少女漫画アシスタント奮闘記―』(イースト・プレス)より

――漫画家としては32年ぶりのお仕事だと書かれていましたね。どのような流れで一冊の本にしたのですか?

 まず追加エピソードをプロットとして文章にし、エピソードごとに「これは美内すずえ先生」「これは山岸凉子先生」という風に分けました。

 内容をご本人に確認いただいた後、ネームにして、再び先生方にチェックをお願いしました。2018年末にネームが完成して、2019年に作画を始めました。久々に商業漫画を描くのは時間がかかり、仕上がったときは秋になっていましたね。そして2020年2月、刊行に至りました。

――プロットやネームを見せた際、先生方の反応はどのようなものでしたか?

 40年ほど前の内容なので、「私そんなこと言ってたんだ」と皆さんびっくりしていました。
ある先生はネームを送った後、1週間返事がなく、心配になって連絡すると「どんな内容が描かれているのか怖くて封を開けられなかった」とおっしゃっていて(笑)

笹生那実『薔薇はシュラバで生まれる―70年代少女漫画アシスタント奮闘記―』(イースト・プレス)より

どこか自作キャラに似ていた漫画家たち

――私は2000年頃、70年代の少女漫画が続々と文庫化していたときに、三原順先生や山岸凉子先生の作品を初めて知り魅了されました。本書を読んで驚いたのは、漫画家さんたちのお姿が、それぞれの初期の画風にそっくりなことです。

 先生方の画風を意識してお姿を描きましたが、描いていて違和感はありませんでしたね。皆さん、ご自身の作品のキャラクターにどこか雰囲気が似ているんですよ。

 例を挙げると、三原先生のアシスタントをしたエピソードで、三原先生が代表作『はみだしっ子』の主人公の少年4人の顔になる場面があります。あれは誇張したわけではなく、本当に三原先生ご自身が彼らの個性を併せ持った方だったんです。三原先生に会ったことのある人は、皆さんそう感じていると思います。

漫画家さんたちの大切な言葉を残していきたい

――笹生先生が本書で伝えたいことは何ですか?

 2つあります。1つは当時の少女漫画の制作現場がどんな様子だったのか、記録に残しておくことです。昔の少年漫画の制作現場を描いた漫画は多いのに、少女漫画はこれまであまりなかったんです。

 また、本書では先生方の言葉をたくさん載せています。ご本人に聞くと覚えていらっしゃらないことがほとんどで、私自身も他の人に話したことがありませんでした。どこかで描かなければ消えてしまうものばかりです。私だけではなく、たくさんの人の救いになる言葉もあり、先生方の大切な言葉を残していきたいと強く思いました。

 あとは余談ですが、本書には何度か読み返していくうちに「あっ!」と気づく小ネタもあります。それも含め楽しんでください。

――笹生先生の今後のご予定を教えてください。

 こつこつと描きたいものを漫画にして、同人誌活動を続けたいですね。

 今描き始めているのが、幼い女の子が漫画を読みながら成長していく自伝的漫画です。発表時期は未定ですが楽しみに待っていただけたら嬉しいです。