1. HOME
  2. インタビュー
  3. 「バクちゃん」増村十七さんインタビュー 宇宙から来た移民?SFチックに描く日本の現実

「バクちゃん」増村十七さんインタビュー 宇宙から来た移民?SFチックに描く日本の現実

文:小沼理 画:(C)増村十七/KADOKAWA

移民生活の実体験がベースに

――「バクちゃん」は、増村さんが自主制作としてネット上に発表していた漫画がオリジナルです。この作品を描こうと思ったきっかけは何でしたか?

 私自身が2015年から2年弱、カナダのマニトバ州というところに滞在し、永住権を取ろうとしていました。カナダは移民の受け入れには寛容な国で、マニトバ州はその中でも特に受け入れが多い場所だったのですが、それでも毎日うまくいかないことばかりでつらくて。そんなカナダ生活へのリアクションとして、今の状況を叫び出したい気持ちで描きました。

 そのまま描くのは難しかったので、東京を舞台に変更しています。さらに宇宙から移民がやってくる設定にしたことで、だんだん描けそうなイメージが膨らんでいきました。

(C)増村十七/KADOKAWA

――バクを主人公にしたのはどうしてでしょう?

 「夢」というモチーフがずっと気になっていたんです。私は萩尾望都さんの漫画に心酔しているんですが、萩尾作品には夢を題材にした作品がたくさんあります。他の作家も夢から着想を得た作品は多いので、そうしたものを読みながら「夢ってなんだろう」といつも考えていました。

 その延長線上で、「バクは夢を食べる生き物だけど、夢を食べるってどういうことだろう?」という疑問が頭にありました。ある時、なんとなく「移民生活と夢を食べることがリンクするんじゃないか」と思ったんです。そうしてスケッチを描きはじめ、バクちゃんというキャラクターが誕生しました。

――2018年にはこのオリジナル版が第21回文化庁メディア芸術祭のマンガ部門で新人賞を受賞しています。

 受賞は人生でもトップレベルでうれしかったできごとですね。当時は自分が漫画で芽が出ることはないだろうと諦めていましたから。

 オリジナル版は「もう日本で受けなくてもいいや」という反抗心もあって、日本の一般的な漫画とは違う左開きにしたり、セリフを横書きにしたりしていました。それが数ある作品の中から選ばれたことに驚きましたし、その瞬間はただただうれしかったですね。

(C)増村十七/KADOKAWA

満員電車の放水シーン、その意図は

――その後、2019年から「月刊コミックビーム」で連載がスタートします。漫画雑誌での連載化にあたっては、どんな点を意識しましたか?

 1話4〜6ページと短いオリジナル版に対し、連載は1話あたり20ページ超。オリジナル版のように一つのエピソードで簡潔に作ることはできず、1話の中で山と谷を2回くらい作ることになります。

 移民というテーマもあり、話の「谷」の部分でどうしても暗い内容になりがちでした。当時の担当編集者の方からは「なるべく暗くならないようにしてほしい」とよく指摘されましたね。

 担当編集の意向もあり、移民への風当たりが強い描写もオリジナル版より減らしています。最初はそうして優しい世界観にするのはどうなんだろうと思ったのですが、別に「世の中厳しいぞ」と主張したい作品でもないので、そこは編集さんの意見に従いました。結果的にはこれでよかったなと思っています。ただどうバランスをつけるか、どのくらいの暗さなら読者が読みやすいのか、かなり試行錯誤しましたね。おかげで第1話ができあがるまでに半年近くかかりました。

(C)増村十七/KADOKAWA

――第1話は宇宙まで延伸した東京メトロの地球駅に降り立ったバクちゃんが、穴に落ちながら入国審査を受ける場面にはじまり、SF的なシーンが立て続けに描かれています。第2話につながる、満員電車の中での放水には、どんな意味があるのでしょうか。

 よく聞かれるのですが、深い意図があるわけではないんです。満員電車というと苦しいイメージがあるけど、どういう気持ちとリンクするかな、どんな漫画表現が映えるかな、と考える中で、自然と出てきた描写でした。

 読者の中には「水が攻めてきたら低い位置にいる人から順に苦しくなっていくから、社会構造のメタファーなんじゃないか」と考察してくれた方もいます。そう言われると、たしかにそうとも読めますよね。自分ではあまり解釈せずに描いて、読者の方の意見を聞いて「なるほど」と思うことが多いです。

(C)増村十七/KADOKAWA

実体験に基づく移民たちの声

――不思議な描写がある一方で、移民の人たちの描写は現実を反映しています。第4話ではバクちゃんが永住権を獲得するまでのロードマップが描かれていました。

 永住権獲得までの道のりにもいろいろなパターンがあるので、あくまで一例ですが、ここをフィクションにすると意味をなさなくなるので、事実に即して書きました。

――第5話では、移民センターでバクちゃんが様々な星の移民たちと交流しますが、このセンターで保育や清掃の仕事をしているサリーさんとの会話が強く印象に残りました。

 移民のキャラクターたちのセリフは、これまでに会った移民の方々の体験を参考にしています。サリーさんとの会話はほとんど私の実体験ですね。モデルは私がカナダで出会った、エルサルバドル出身の難民の女性で、私が「カナダ好き?」と聞いたら「ノーチョイス」と言われたやりとりをそのまま描写しています。

(C)増村十七/KADOKAWA

 それは私自身も外国人だったから聞けた言葉だと思います。たとえば、私が日本で外国人に「日本好き?」と聞いたとしたら、日本最高とか、料理おいしいよねと答える人が多いのではないでしょうか。

――増村さん自身が移民として生活する中で、見えてきたことがたくさんあるのですね。

 そうですね。正直、カナダに行く前は、移民や定住外国人、難民について具体的なことはほとんどわかっていませんでした。当時はまだコンビニで外国人が働いているのも今ほど多くなかったですし、自分の身近にそうした人がいることも、恥ずかしながら意識していませんでした。

 「バクちゃん」を連載するために、日本の実情を知ろうと読んだ本にも書かれていましたが、なかなか私たちの生活圏内でそういった方々と知り合う機会は少ないです。たとえば、日本では現在約28万人の技能実習生が生活していますが、工場など彼らの職場の近くで生活していないと、存在していることすら見えないことがある。

 サリーさんのエピソードは読者からも大きな反響がありました。日本で暮らしている人の多くは、こうした声を知る機会がないので、驚きだったかのかなと思います。

(C)増村十七/KADOKAWA

「受け入れ側」の人たちをどう描いたか

――バクちゃんと一緒に生活することになるハナちゃんと、小牧さんというキャラクターも登場します。外国人労働者を受け入れる側の住民が直面する、素朴な実感や偏見を描き出したのでしょうか。

 バクちゃんとよく行動を共にするハナちゃんは、ティンカーベルのような存在。バクちゃん1人だけだと物語が進まないので、コーディネーターとしての役割で動いてくれています。

 小牧さんは思っていることをはっきり言う「正直な日本人」タイプ。みんな口にはしないけど社会にある感情を代弁してくれます。優しい世界観の作品の中で、ぴりっとした要素を加えるキャラクターですね。

――一方で、小牧さんはバクちゃんたちと暮らすために禁煙しようとしています。誤解を招く発言もするけど、一緒に生活する相手のことを大切にしたい気持ちも持っている、人間味のあるキャラクターです。

 そうですね。禁煙のシーンでは、小牧さんが決して自分の欲望ばっかりの人ではないことが描けたらと思っていました。

――バク星からの移民2世のダイフクというキャラクターも、現実の定住外国人の姿を反映していますね。

 ダイフクには2人のモデルがいて、彼らのエピソードを織り交ぜながらキャラクターに落とし込んでいます。東京に来たばかりのバクちゃんとは違う立場からものごとを見ていて、物語の展開を作ってくれるキャラクターですね。

 「ダイフク」という名前は実際に日本の動物園にいるバクの名前から拝借しました。かわいい名前だし、クールなキャラクターとのミスマッチが面白いなと思って。

――そうだったんですね。ちなみに、「バクちゃん」の地名には「豆腐大学」「餅ヶ谷」「ちくわ区」など、食べものの名前が多いですよね。第5話で「あんな星のいいところと言えばご飯だけ!」という発言が「移民あるある」として紹介されています。

 地名は世界観として親しみやすい名前がいいなと思って、無意識につけていました。いいところが食べ物だけというのは、実際の移民あるあるです。私もカナダにいたとき、日本食が恋しくなったので。まとめてみるとたしかに、食べ物が多くて面白いですね。

(C)増村十七/KADOKAWA

使えるものを全部使って描く日本の現実

――それから細かいところですが、キンナラという1コマだけ登場する男性のキャラクターが、「彼氏とインド旅行中」と紹介されていました。ここであえて男性同士のカップルを登場させたのはなぜでしょう?

 今指摘されるまで全然意識していませんでした。たしかに、他の作品だとゲイのキャラクターが登場するときは、その特徴を際立たせるものが多いのかもしれませんね。

 いろんな人がいるのは当たり前で、その先で面白いことをやっていきましょうって気持ちがあるのだと思います。アニメ化や映画化もされた大童澄瞳さんの漫画『映像研には手を出すな!』は、2050年代の浅草にある高校を舞台にした作品ですが、さかき・ソワンデという東アジア以外のルーツを持つと思われるキャラクターが、ごく自然な形で登場しています。人種と性的指向はまた別の話ですが、そんな風に「これが次のステージでしょ」という作品が今後増えていくんじゃないでしょうか。

――そうした増村さんの作風に影響を与えたものがあるとしたら?

 マジックリアリズムと呼ばれるジャンルの作品ですね。これは一つのメッセージに向かって、嘘や真実、科学的やそうでないものまで全部織り交ぜて作品を作る、なんでもありのジャンル。特にキューバ出身でアメリカに亡命した作家、レイナルド・アレナスの『夜になるまえに』と『めくるめく世界』(いずれも邦訳は国書刊行会)の二つの小説には強く影響を受けています。

 漫画だと、カナダ在住時に知った「ラブ・アンド・ロケッツ」というコミックシリーズ。エルナンデス兄弟という3兄弟が作っていて、中でもヒルベルト・エルナンデスが手がけた作品が好きでした。中南米が舞台なのですが、漫画の設定や描写がめちゃくちゃなんですね。死生観もぐだぐだだし、世界観もマジックリアリズム的で極端。でも、それを読んだ時に「こんな漫画が作れるんだ」と思いました。日本にはまだない表現だと感じたし、「バクちゃん」に直接生かされているかどうかは別として、こんなことができるんだと勇気づけられましたね。

――今後の「バクちゃん」はどうなっていくのでしょうか。

 「バクちゃん」は近未来SFのような紹介のされ方をすることがありますが、私は日本で現実に起きていることを、使えるものを全部使って描いているという気持ちでいます。そして漫画はエンタメなので、とにかく面白いことが第一。面白くなる可能性があることは形式にとらわれずいろいろやってみたらいい、全部盛り込んだらいいと思っています。

 連載がどれだけ続くかによって描ける内容は変わります。バクちゃんは、今はワーホリで東京にいるけど、長く続くなら留学の在留資格に切り替えるかもしれないし、永住権を取るところまで描けるかもしれないし。取材を重ねることでいくらでも展開は作っていけるので、その時々でできるかたちで面白いものを描き続けていきたいです。