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志賀直哉「城の崎にて」 短編に風景描写生き生きと

しが・なおや(1883~1971)。小説家

平田オリザが読む

 私の暮らす兵庫県豊岡市は、十数年前の市町合併で城崎温泉や神鍋高原を有する一大観光都市となった。その城崎温泉の端に、私が芸術監督を務める城崎国際アートセンターがある。ここは世界中のアーティストが長期滞在して創作活動を行う場として人気を集めている。

 城崎はこれから蟹(かに)のシーズンに入る。「Go To キャンペーン」の恩恵もあって予約が殺到しているらしい。海外に行けない旅行者のプチ贅沢(ぜいたく)の場所となっている。

 城崎の町を歩くとそこかしこに、「温泉と文学の町」という掲示がある。それはひとえに「城の崎にて」に拠(よ)るところが大きく、この一作によって城崎温泉の名前は全国区となった。

 志賀直哉は一九一○年に雑誌「白樺(しらかば)」を創刊、後に「白樺派」と呼ばれる文壇の一大勢力の代表者となる。芥川龍之介が日本近代文学における物語の構造を確立したとするなら、志賀は近代日本語による「描写」の形態を確立した。国木田独歩の「武蔵野」から二十年ほどで、この分野でも近代文学は長足の進歩を遂げた。大正期に書かれた志賀の短編小説はいずれも、今の読者が読んでも、その描写された風景が生き生きと私たちの脳内に再生される。「小説の神様」と呼ばれたこともあながち過剰な評価ではない。

 「城の崎にて」は、極めて短い小説だ。東京で電車にはねられて大けがをした作家(志賀本人)が、療養のために城崎温泉に来て、蜂の死骸を見つけ、逃げ惑うネズミを眺め、間違ってイモリを殺してしまう。要約すればこれだけの話だが、そこに生と死のおぼろげな形が描かれる。「生きている事と死んで了(しま)っている事と、それは両極ではなかった。それ程(ほど)に差はないような気がした」

 志賀以外にも、古来、この街にはたくさんの文人墨客が訪れ、作品創作のためのインスピレーションを得てきた。いま、アートセンターが世界中から芸術家を集めているのは偶然ではない。=朝日新聞2020年11月7日掲載