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「52ヘルツのクジラたち」町田そのこさんインタビュー 虐げられる人々の声なき声をすくう

文:吉川明子 写真:北原千恵美

世界で一番孤独なクジラ

 『52ヘルツのクジラたち』という不思議なタイトルに、深海を思わせる濃紺のカバーが印象的な本書。「52ヘルツのクジラ」とは、世界で一番孤独だと言われているクジラのこと。他のクジラとは声の周波数が違うため、いくら大声をあげていたとしても、ほかの大勢の仲間にはその声は届かない。世界で一頭だけというそのクジラの存在自体は確認されているものの、姿を見た人はいないと言われている。町田そのこさんが「52ヘルツのクジラ」を知ったのは、デビュー作の『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』執筆のために、海洋生物について調べていた時のことだった。

 「このクジラのことを知った時、面白いエピソードだと思いました。でも、『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』は連作短編集だったので、これは短編に収めきれないだろうと思いました。自分の中でちゃんと掘り下げてしっかり書いてみたいという気持ちがあったので、しばらく置いておくことにしたんです」

 第15回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞してから、毎年1冊のペースで新作を発表している町田さん。本書が初の長編小説で、ずっと温めていた「52ヘルツのクジラ」をすくい上げることにした。物語の主人公は貴瑚(きこ)という女性で、親から長年に渡って虐待を受けた上に、束縛され続けて心に深い傷を負っている。そんな彼女は恩人となる人の助けも借りて家族から離れることができたが、さらなる不幸が彼女を襲う。すべての人間関係を断ち切って田舎の一軒家に引っ越してきたものの、田舎ならではの無遠慮な眼差しにさらされて辟易としていた。そんなある日、言葉を全く発することができない一人の少年と出会う。その怯えたような態度から、貴瑚は、彼もまた親から虐待されているのではないかと推測する。

 誰とも関わらずにいれば、平穏に暮らせると思って逃げるように田舎町に来たはずの貴瑚だが、少年と関わるようになるにつれ、彼女自身の過去も明らかになっていく。この物語には、貴瑚と少年が当事者である虐待児童のみならず、家庭内DVやトランスジェンダーなど、さまざまな社会問題の当事者が登場する。近年でこそ深刻な社会問題として報道などでも取り上げられるようになってきたが、社会全体からみればまだまだ少数で、そこには声をあげても届かない、声すらあげられない人が確かに存在している。町田さんは「52ヘルツのクジラ」をそうした人に重ね合わせることで、彼らが抱える苦しみや辛さを浮き彫りにした。

 「私にも子どもがいるので、虐待児童のことは以前からずっと気になっていました。ニュースを見ながら、虐待された子はどうしたら救いの手を差し伸べることができるんだろうと考えていたんです。また、声なき声にもいくつか種類があって、声をあげたい人、声をあげるのを諦めた人、そもそもあげることを知らない人などがあると思うんです。そういう人は虐待児童だけでなく、DV被害者やトランスジェンダーなどにも存在していると思い、いろんな人の声なき声を小説に織り込んでみることにしました」

虐待児童を取り上げる難しさ

 虐待児童を真正面から取り上げるのは、決して容易なことではない。町田さん自身は虐待された経験はなく、自分が当事者ではないことを充分自覚しつつも、もし自分だったら何ができるかを真剣に考えた。そして、「宙ぶらりんな終わり方にするのは絶対にやめよう」と決めたという。

 「少年が救われてよかった、というファンタジー的な終わり方にするのではなく、もしも本当に虐待児童を引き取って育てることになったとしたら、現実問題としてどのような手続きが必要なのかといった具体的な方法などについても必ず書くべきだと思ったんです。それが虐待児童問題を扱ったことに対する、私の誠意のようなものだと思いました。読んだ人にもどんな対処方法があるかを知ってもらった上で、『このやり方はおかしい』『私ならこうする』などと考えてもらうきっかけにしてほしかった」

 虐待されている少年を母親から切り離すために、貴瑚が母親に直接会いに行く場面がある。その時貴瑚は、少年の母から「束の間だけ甘やかすのって、ある種の暴力なんだよ。知ってるー?」という言葉を投げつけられてしまう。虐待された少年を前に、中途半端な介入の困難さが伝わってくる。

 「私が同じ状況に直面した時、少年に対して『うちに来たら?』と言えるかどうかわからないし、警察に連絡して終わり、ということになるかもしれない。でも、これを書き上げた時に、私も声なき声を少しでも聞きたいという姿勢でいたいし、気づいたら一歩踏み出せるようになりたいと思いました。だから、この小説が少しでも読者の気づきになったとしたら、すごくうれしいですね」

氷室冴子に導かれて作家に

 町田さんが、自分の書いた小説が誰かの気づきや後押しになってほしいと願うのは、デビュー時からの一貫した思いだという。それは町田さん自身、本に支えられた経験があるからだった。

 「小学生の高学年から中学生の頃にいじめに遭っていて、本当に学校に行くのが辛くて、本の世界に逃げていました。その頃大好きだったのが氷室冴子さんで、『明日続きを読みたいから頑張ろう』と、本を支えにしていたんです。だから私も、誰かが『明日も頑張ろう』って思ってくれるようなものを書きたいという思いがありました」

 高校生くらいまでは読書だけでなく小説も書いていたが、進学や就職、結婚などを経て、書くことから遠ざかっていった。子育てに追われる中、もう一度小説を書こうと思うきっかけを与えてくれたのも氷室冴子さんだったという。

 「私が28歳の時に氷室さんが亡くなられたんです。私、小説家になったら氷室さんにお会いして、『あなたのおかげで小説家になれたんです!』と言いたかったのに言えなくなってしまった。あんなに憧れていたのに、私は何をしていたのか。気づけば何の取り柄もない主婦で、田舎で子どもを育てるだけ。もう一度、小説を書き始めようと思いました」

 そう思って育児の合間に書き続け、数年かけて小説家になった町田さん。ようやく長編小説を書き上げて発売するタイミングで、新型コロナウイルスの感染拡大に直面してしまう。しかし、「正直どうなることかヒヤリとした」という町田さんの心配をよそに、本は順調に版を重ねていくことになる。

 もし本書の現物を手にする機会があれば、カバーの“そで”の部分を見てほしい。耳の形が描かれており、そこにうっすらと「5」「2」という数字が潜んでいるのだ。

 「装画の福田利之さんが、52ヘルツに耳を傾ける様子を絵で表現し、このような仕掛けを施してくださったのを知った時、本当に感動しました! 本当はツイッターでしつこいほどに感想を述べたいところをぐっと我慢して、気がついてくれる人を待っているんです(笑)」

 52ヘルツの声が聞こえなくても、じっと耳をすまして、目を凝らしてみる。もしかしたらどこかで誰かが声をあげているかもしれないと想像を膨らませてみる。人に直接会ったり、話したりすることがしづらいこのコロナ禍だからこそ、声なき声に耳を傾け、小さくとも行動に移して前を向いて生きようとする物語が多くの人の心に響いているのだろう。