「ママがね、ボケちゃったみたいなんだよ」
妹からの電話で、そんなことを知らされる。妹と二人姉妹で、老いた両親とは離れて暮らしている。コロナ禍もあって長いこと親の様子をみてもいない私にはドキッとさせられるシチュエーションだ。終始、自分ごとのように読んだ。
長女の智代は、父親の望み通りに高校にも行かずに理髪師となったが、山っ気ある父親に振り回され続けた。うんざりして親とは距離を置いてきたが、あんなに強引だった父親も今は弱っている。おまけに母親はボケたという。夫はそろそろ「老いの準備」を始める頃だと諭す。「お互いの長男や長女といった縛りを肯定してみよう」というのだ。それはつまり今まで背を向けてきた親との関係を新しく結び直すということでもある。
妹乃理(のり)は、親に頼って子育てしてきたし母親とはマメに連絡をとりあっている。「常に喧嘩腰(けんかごし)」の父親ともうまくやってきた。父親は「嫁に行った娘に世話になることだけはしないでおきたいと思ってた」というが、一度倒れたのを機に乃理の一家との同居を決意する。姉は目の上のたんこぶだったから、姉に期待をかけてきた父親が自分を選んでくれたことは誇らしい。それなのにストレスでアルコールが手放せなくなっていく。
娘たちからみれば親はいつまでも親で、子ども時代の不満がわだかまる。ところが、ボケてしまった母親はきらきらと瞳を輝かせ若い時分に飛んでしまっている。娘たちの前にいる時は意固地で強情な父親も、他人の前ではまた別の顔を持っている。カーフェリーでサックスを聞かせてくれた孫と同じ年頃の女性に父親は失敗続きだった自らの人生を悔恨まじりに語って聞かせるのだ。
家族とは違う顔がだれにもある。家族という関係性から一度離れてみること。そうした「家族じまい」の方法をこの小説は示してくれる。悲壮感がなく、これなら乗り切れそうだと思えた。=朝日新聞2020年12月19日掲載
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集英社・1760円=9刷6万7千部。6月刊。5編からなる連作短編集。「親の終活が気になる50~60代を中心に広く読まれている」と担当編集者。第15回中央公論文芸賞を受賞。