丑年にたどる信仰
コロナ禍では、疫病を払う妖怪アマビエが注目を集めた。だがかつて、疫病に効くと絶大な信仰を集めた異形の神「牛頭天王(ごずてんのう)」がいたことはあまり知られていない。
牛の頭に人の体。伝わる姿形は、ギリシャ神話に登場する怪物ミノタウロスを想起させる。
あらまし、次のような伝説が残る。
牛頭天王が妻をめとりに行く旅の途中、日が暮れた。ある長者の家に泊めてもらおうとしたが、断られた。すると、その兄弟で、貧しい蘇民将来(そみんしょうらい)が泊めてくれた。無事に妻をめとり、帰る途中、牛頭天王は長者の一族を滅ぼしたが、蘇民将来の一族は助けた。そして「蘇民将来之子孫也」と書いた札があれば、疫病におそわれないと約束した。
「蘇民将来之子孫者」と書かれた8世紀ごろの木簡が、長岡京跡で見つかっている。だが、牛頭天王という言葉が文献に出てくるのは、中世に入ってからだという。釈迦ゆかりの祇園精舎の守護神として、日本各地でまつられた。荒ぶる神スサノオノミコトと同一視されることも多い。
『牛頭天王と蘇民将来伝説 消された異神たち』の著書がある文芸評論家の川村湊さんは、牛頭天王は疫病が流行した際に信仰が広がった「はやり神」だったとみている。それが、もとからあった蘇民将来伝説と結びついた、というのだ。
川村さんは、牛頭天王が疫病退散の神として信仰を集めた理由について、「牛頭天王自体、疫病神のような存在。その力が強いからこそ、御利益も大きいと考えられた」と解説する。
それが、1868(明治元)年の神仏分離令で、「牛頭天王之類」と名指しでやり玉に挙げられた。川村さんは、正統な記紀神話に登場しない牛頭天王は復古神道を掲げる平田篤胤によって否定的に論じられ、邪教の象徴的存在とされた、という。
各地でまつられていた多くは、スサノオノミコトだけが残った。いまも表だって牛頭天王を掲げる数少ない神社の一つ、兵庫県姫路市の広峯神社も、牛頭天王はスサノオノミコトの「別称」としている。
ただ、その痕跡はいまも随所にみられる。東京都品川区の「天王洲アイル」や茨城県つくば市の「天王台」など、「天王」とつく地名には多く関係しているとされる。地名に「天王」が残る近くには、たいていスサノオノミコトをまつる神社があるという。
千葉大学亥鼻キャンパス(千葉市)内外には、「七天王塚」と呼ばれる七つの塚が点在する。クスノキやタブノキが植わる根元に石碑がいくつか立ち、「牛頭天王」「牛天王」と彫られている。読み取れる中では「安永二癸巳年」(1773年)が最も古かった。
12月下旬、訪れて驚いた。ほとんどの塚に1円玉とカップ酒が供えてある。牛頭天王信仰は、ひそかに、脈々と受け継がれていた。(興野優平)
牛は神聖、水牛は悪魔 ヒンドゥー教
牛信仰といえば、主にインドで信仰されるヒンドゥー教だ。橋本泰元・東洋大学教授(ヒンドゥー教思想史)に、歴史的な背景を聞いた。
「おそらく、インダス文明以来、牛は大事にされてきた」と橋本さんはみる。世界4大文明の一つに数えられるインダス文明の遺跡から、牛の印章が見つかっている。牛を殺すことも、かつてはタブーではなく、祭事では神々への捧げ物になったという。殺すこと、食べることが禁じられるようになるのは、紀元前500年ごろに成立したジャイナ教や仏教の「不殺生戒」の影響をヒンドゥー教が受けるようになってからだ。
牛がとりわけ神聖視されるようになったのは、英雄であり、恋愛巧者でもあるクリシュナ神が牛飼いだったことが大きく影響しているという。
一方で、同じウシ科でも、水牛は悪魔の化身とされる。橋本さんは、インドのある寺で、その水牛の姿をした悪魔を打ち破った女神、ドゥルガーをまつる儀礼を見たことがある。生きた水牛の首を一刀両断し、大きなお盆でしたたり落ちる血を受けていたという。=朝日新聞2021年1月6日掲載