こうの史代さん「こうの史代 鳥がとび、ウサギもはねて、花ゆれて、走ってこけて、長い道のり」インタビュー 一作ごとに新たな挑戦を

9年前から暮らす京都・福知山の佐藤太清記念美術館で、画業30周年記念の原画展が開かれている。プロとしての作品だけでなく、広島にいた5歳頃の絵やデビュー後の自費出版本までが一望できる。本書はそのカタログであり、詳細な年譜やロングインタビューも充実した一冊だ。
「30年好きに描いてきて、どれも完全燃焼。本当に幸運だったと思います」
しかし「不器用」ゆえに何度も行き詰まり、決して平坦(へいたん)な道のりではなかったと話す。大学を半年で中退してプロを目指し、雑誌連載の夢がかなうのが1995年。デビュー15年で『夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国』と『この世界の片隅に』を刊行。押しも押されもせぬ成功を収めながら、「『戦争漫画家』でなくなりたい」と焦る日々が待ち受けていた。
「戦争をこんな風に描ける人いないよと言われるうち、使命感を抱いたり期待を先回りしたり。でも一作ごとに新しい挑戦をしたい私の気持ちとは、違っていたんですね」
自由でありたい。悩んだ末、世話になった出版社や編集者との関係を絶った。そして少なからぬ読者も。
ただ、もともと「ずーっと私の読者」という人たちを想定はしていない。『ぼおるぺん古事記』『ギガタウン』『日の鳥』、最新刊『空色心経』や初の小説誌連載「かぐやサン」まで、一作ごとに新たな読者へ実験的な作品を届けてきた。
戦後80年。数多くの取材依頼はすべて辞退したという。戦争のことは作品の中で描き尽くしたし、一人でも多くの描き手がそれぞれの方法で戦争とは何かを示すことが、漫画界のすそ野を広げる。読者が平和へ思いを巡らす道につながると考えるからだ。
漫画でしか表現できないものとは何だろう。そう自問を続ける30年でもあったとか。はっきり主張できる人の話には食指が動かない。描きたいのは白黒つかぬ物事にモヤモヤし、立ち止まり、時に小さな行動もする人びとである。
「あなたの周りにもそんな素敵な人いますよね? そう問いかける作品を、描いていければいいなと思いますね」(文・写真 藤生京子)=朝日新聞2025年7月12日掲載