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「板垣退助」書評 矛盾や葛藤抱え戦った姿に魅力

評者: 呉座勇一 / 朝⽇新聞掲載:2021年01月23日
板垣退助 自由民権指導者の実像 (中公新書) 著者:中元 崇智 出版社:中央公論新社 ジャンル:新書・選書・ブックレット

ISBN: 9784121026187
発売⽇: 2020/11/24
サイズ: 18cm/260p

板垣退助 [著]中元崇智

 戊辰戦争の英雄、明治政府の高官、自由民権運動の指導者、政党政治家。波瀾(はらん)万丈の人生を送った板垣退助の名を知らぬ者はいないだろう。だが板垣は生前から伝説化され、死後も盛んに顕彰された。本書はそうした虚飾をはぎ取り、彼の実像を描き出す。
 板垣退助は自由民権運動に開眼した契機として、戊辰戦争における会津攻めでの経験を語っている。会津で武士だけが抗戦し庶民は逃げ散る様子を見て、四民平等の必要性に気づいたというのだ。
 しかし現実には、明治期の高知藩で士族の等級制度廃止という改革案が持ち上がった時、板垣は最初反対している。明治6年(1873)の征韓論問題で政府を去ると自由民権運動を展開するが、それは政府への復帰運動の性格を有していた。実際、板垣は明治8年3月に政府に復帰したが、権力闘争に敗れて半年ほどで免官となっている。西南戦争でも挙兵を検討しており、言論一本槍(やり)ではなかった。一貫性は認めがたい。
 一方、最も創作めいている岐阜遭難事件での「板垣死すとも自由は死せず」は、意外にも史実だという。相原尚褧(なおぶみ)に襲撃された直後、板垣本人が類似の発言をしたことは確実視されている。なお大日本帝国憲法発布時、板垣の嘆願によって相原は恩赦を受けた。
 右事件で自由民権運動のシンボルとなった板垣だったが、その後も外遊問題、自由党の解党、辞爵事件などで挫折を繰り返した。帝国議会開会後は第一党である自由党を率い、紆余(うよ)曲折を経て初の政党内閣である隈板(わいはん)内閣を成立させる。けれども内閣は4カ月で崩壊し、指導力を失った板垣は翌年には政界引退する。
 板垣退助の政治力は大久保利通や伊藤博文、大隈重信に及ばない、と著者は指摘する。だが彼ほど国民に愛された政治家は同時代にいない。美化された虚像ではなく、矛盾や葛藤を抱えながら戦った実像こそが魅力的である。
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 なかもと・たかとし 1978年生まれ。中京大教授(日本近代史)。著書に『明治期の立憲政治と政党』など。