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「明治革命・性・文明」書評 科挙なき身分制が招いた大変動

評者: 犬塚元 / 朝⽇新聞掲載:2021年08月07日
明治革命・性・文明 政治思想史の冒険 著者:渡辺 浩 出版社:東京大学出版会 ジャンル:社会思想・政治思想

ISBN: 9784130301787
発売⽇: 2021/07/01
サイズ: 20cm/601,16p

「明治革命・性・文明」 [著]渡辺浩

 同じ著者が同じ出版社から1985年に公刊した『近世日本社会と宋学』は、儒教は江戸の体制思想でなかったと論証した衝撃作だった。儒教は、武士が支配する社会には異質な外来思想であった。この知見は丸山眞男『日本政治思想史研究』の前提を覆した。
 36年後のこの論文集でも、著者の筆致は変わらず明晰(めいせき)で瑞々(みずみず)しい。徳川社会と儒教の齟齬(そご)に注目する視座は、本書では、明治革命や性の分析に応用される。
 儒教は、優れた人による統治を説く。だから中国は20世紀初めまで、科挙という能力試験によって人物を登用した。だが、徳川社会は身分制社会。なにより下層武士は能力を発揮できず困窮して不満をつのらせた。それが「明治革命」と呼ぶべき大変動を用意する。著者によれば、明治革命とフランス革命は、身分制を壊して中央集権体制をつくった点で共通する。
 性についても、江戸期に「儒教的性道徳」が広まっていたわけではない。儒教は「夫婦有別」を掲げて男女をあくまで隔てる。だが、離婚が珍しくなかった徳川社会では、夫婦仲良くという規範が強調された。また「男らしさ」の標準モデルは武士であり、儒教のように文人ではなかった。
 丸山は江戸期を儒教の自己分解過程として描いた。だが著者によれば逆で、儒教は変容しながら徐々に日本社会に浸透し、西洋思想とともにむしろ幕末・明治の変革に大きな影響を及ぼす。明治期に性の純潔を重視するようになったのは一例だ。性は政治思想史研究の中心的課題のひとつ。そうした前提を採る著者は、いまだハッピーエンドに至っていない課題だからこそ歴史研究が重要と説く。
 地域や時代やジャンルを超えた膨大な資料にもとづく明晰な記述。思わず笑ったり、唸(うな)らされたりするユーモアやウィットも多い。本書を少し難しいと感じたら同じ著者、同じ出版社の『日本政治思想史 十七~十九世紀』と併読がよい。
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わたなべ・ひろし 1946年生まれ。東京大名誉教授、法政大名誉教授。著書に『東アジアの王権と思想』など。