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【回顧2021 文芸】ゆがんだ現実、虚構に求めた救い

(写真左から)佐藤究さん、宇佐見りんさん

ままならない日常、増す存在感

 終わらない疫禍が日常をむしばむなか、東京五輪・パラリンピックという非日常の祭典が開かれた2021年。日常と非日常がいびつなかたちで混ざり合い、大きな軋轢(あつれき)を生んだ。ゆがんだ現実から逃げるようにして小説を読みながら、どうしようもなく虚構に引きつけられていった。

 昨年刊行され、年初に芥川賞を受賞した宇佐見りん『推し、燃ゆ』(河出書房新社)の主人公は、アイドルを応援する=推すことに生活のすべてを捧げる少女だった。推すことを自分の「背骨」に例え、ままならない日常に立ち向かう。

 本作は累計発行部数が50万部を超え、取次大手の日販が発表した今年のベストセラーで上半期の総合首位に。さらに、年間でもっとも読まれた単行本フィクションとなった。世相を映す新語・流行語大賞で「推し活」が候補になったことも無縁ではないはずだ。虚構を支えに現実を生きる切実さが共感を広げた。

 かたや、救いのない現実を大きな虚構で書き換えてみせたのが、直木賞を受賞した佐藤究『テスカトリポカ』(KADOKAWA)だ。メキシコの麻薬カルテルで抗争に敗れた男が、後ろ暗い過去のある日本人外科医と組んで大規模な臓器密売ビジネスを立ち上げる。

 〈資本主義こそは、現代に描かれる魔法陣だった。その魔術(システム)のもとで、暗い冥府(めいふ)に眠っていたあらゆる欲望が、現実の明るみへと呼びだされる〉。東京五輪もまた、物語のなかで魔法陣の一角をなす。五輪開催を当て込んだ官民一体による川崎港の開放が、臓器密売の舞台となる大型クルーズ船を呼び込むのだ。

 現実の日本で五輪が開かれた2021年という年を、メキシコの古代アステカ王国の滅亡から500年という巨大な時間軸で上書きした本作のたくらみに、猛威を振るう現実に対する虚構の逆襲を見る思いがした。「事実は小説より奇なり」などとしたり顔で言うことは、もはやできない。

 暗黒社会の資本主義をうるおす麻薬がたどり着くのは、どこだろうか。その一端を生々しく描き出したのが、五所純子『薬(クスリ)を食う女たち』(河出書房新社)。覚醒剤など薬物の使用歴がある女性たちへのインタビューをもとに、小説の手法で書かれた作品だ。事実と創作のあわいに真実性を探りあてようとする危うい道行きは、文学表現そのものへの挑戦でもあった。

 同じ町に生まれ、10代で売春ビジネスに絡め取られた杏(あん)と梨々(りり)は、〈シャブやりたいよ。シャブやりたいね〉と言い合うことで、悲しみや貧しさをやり過ごす。〈幸福の呪文だった。現実逃避のパスワードだった〉。どうあがいても男たちに搾取されてしまうシステムのなかで、違法麻薬による幻覚だけが彼女たちの逃げ道になっていた。

 今年は、ネット上の巨大な仮想現実(VR)空間を指すメタバースという言葉も注目を浴びた。平野啓一郎『本心』(文芸春秋)の舞台は、VR技術が普及した近未来。格差拡大が進んだ日本では〈心の持ちよう主義〉と呼ばれる考え方が流行し、人々は仮想現実のなかに安らぎを求めるようになっている。

 一方で、「もう十分」と言い残し〈自由死〉を望んだロスジェネ世代の母の死を受け入れられない主人公は、生前の記録から作り出した人工知能の〈母〉と向き合う。生死すらも心の持ちようなのだろうか。物語の結末近くで主人公が語る〈どんな状況にでも、僕たちが満足できる何かを見出してしまうのなら、現実は永遠に変わらない〉との言葉が重く響いた。

 現実と虚構をめぐるジレンマといえば、樋口恭介編『異常論文』(ハヤカワ文庫JA)は象徴的だった。論文形式で書かれた小説のアンソロジー。事実に基づく論文と、虚構を語る小説のあいだをとった「異常論文」という名付けに、まことしやかに幽霊の目撃談などをつづる「怪談実話」の成り立ちを思い出した。

 なかでも鈴木一平+山本浩貴(いぬのせなか座)の「無断と土」は、架空のVRホラーゲームの内容報告を軸に、実在する多くの文献を参照しながら詩と怪談、天皇制と慰霊について語り、ぞわぞわとした恐怖を引き起こす。虚構によって現実を攪乱(かくらん)し、見えないものを見せようとする。「幽霊」としての文学は、ますます存在感を強めるはずだ。(山崎聡)=朝日新聞2021年12月15日掲載

私の3点

■上田岳弘(作家)

  1. 金原ひとみ『アンソーシャル ディスタンス』(新潮社)
  2. 島口大樹『鳥がぼくらは祈り、』(講談社)
  3. 九段理江「Schoolgirl」(文学界12月号)

 (1)若い女性を取り巻く(新型コロナを含む)現況をリアルに切り取った作品集。大きな主語に飲み込まれないフェアネスの顕現がある。(2)(3)過去の文化的な素養をベースに、今の実感を経由し、書かれるべき作品を構築しようとする若い書き手の登場に瞠目(どうもく)した。

■恩田陸(作家)

  1. 川瀬七緒『ヴィンテージガール 仕立屋探偵桐ケ谷京介』(講談社)
  2. 首藤瓜於『ブックキーパー 脳男』(講談社)
  3. H・P・ラヴクラフト/南條竹則編訳『狂気の山脈にて クトゥルー神話傑作選』(新潮文庫)

 (1)服飾と美術解剖学の知識から真相に迫るという、久々本当に「推理する」醍醐(だいご)味を味わう。(2)首藤氏ならではの詩情と戦慄(せんりつ)を堪能。次回作はもう少し早くお願いします。(3)未(いま)だ古びないこの凄(すさ)まじい幻視力。そりゃあ神話にもなるわけです。

■鴻巣友季子(翻訳家・文芸評論家)

  1. 佐藤究『テスカトリポカ』(KADOKAWA)
  2. 川本直『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(河出書房新社)
  3. 柚木麻子『らんたん』(小学館)

 世界をひっくり返す3作。(1)古代アステカ神話と麻薬資本主義に支配される裏社会。「生」の意味を問う。(2)驚異的に精巧な擬態翻訳書。米文学の正史を大胆不敵に書き換え。(3)明治期からの女性教育者らが織りなす圧巻の群像劇。男性による文学カノンを転覆。