ミステリーの名手の新作は誰も死なない、傷つかない物語――。作家の湊かなえさんが『残照の頂(いただき) 続・山女日記』(幻冬舎)を出した。それぞれに日々の屈託を抱えて山を訪れる女性たちが、それでも次の一歩を踏み出す姿を描いた連作短編集だ。
〈山から離れた人間にとって、登山口に立つことは、山頂直下にいるようなものなのよ。登山口までが遠いの〉
巻頭の一編「後立山連峰」で、大手食品メーカーに勤める42歳の麻実子は吐露する。仕事ひとすじに打ち込んできたが、営業先の喫茶店主の綾子に付き合い、20年ぶりにザックを背負う。その道中で偶然、夢をかなえたかつての仲間と再会し、心が揺れる。
湊さん自身、学生の頃から登山に親しんでいたが、結婚を機に遠ざかった。2008年、デビュー作『告白』が大ヒットすると締め切りに追われ、「外出すらままならない生活でした」。
そこで考えたのが、「山を舞台にした作品の取材」を名目にすること。編集者に掛け合い、11年に北アルプスの白馬岳で再開。以来、執筆の合間を縫って山行を重ねてきたという。「昔は楽々だった登りでバテてしまうと、以前の自分がいかに同行者を気遣えていなかったか分かります。同じ山でも、訪れる人生の時々で、自分を見つめ直すきっかけになります」
取り上げる山は、すべて自分の足で歩く。「私の本を読んで、行ってみようと思う読者もいるかもしれない。そうしないと、責任を持って書けませんから」
執筆に取り掛かったのは、新型コロナが世界中に広がった一昨年の春。先の見えない自粛生活のなか、「遠出を勧めるような小説を書いていいのか」と自問しながら、「嵐の中、ひとり登り始める気分でした」。
そうして書いた一編が「武奈ケ岳・安達太良山(あだたらやま)」。京都の老舗和菓子店を切り盛りする英子は、営業自粛による不安を振り払うように、近郊にある武奈ケ岳へ。頂上で居合わせた登山客の老夫婦に一杯のコーヒーを振る舞われ、自分の足元を見つめ直す。
頂上でごちそうになるコーヒーは、初めての登山での実体験だという。
「私自身、原点回帰のつもりで書きました。遠くに行くことだけが幸せではない。コロナをきっかけに、私たちが気づいたことかもしれません」
シリーズ最初の『山女日記』を刊行した頃は、「山ガール」がブームだった。「同じ趣味でも女性だけが軽く見られる雰囲気」が気になり、「山女」とうたった。その続編となる今作だが、タイトルには迷いもあったという。
「もうわざわざ女性を強調する時代ではないかもしれません。性別は関係なく、同じ場所にいる人同士、対等に付き合えるのが山のよさですから」(上原佳久)=朝日新聞2022年1月5日掲載