1. HOME
  2. インタビュー
  3. 朝宮運河のホラーワールド渉猟
  4. 「現代怪談考」吉田悠軌さんインタビュー カシマさん・口裂け女・テケテケ…「赤い女」怪談の正体は「子殺しの母」?

「現代怪談考」吉田悠軌さんインタビュー カシマさん・口裂け女・テケテケ…「赤い女」怪談の正体は「子殺しの母」?

吉田悠軌さん=山田秀隆撮影

この世で一番怖い怪談とは?という出発点

――『現代怪談考』は現代日本で語られてきたさまざまな怪談を分析し、その背景を読み解いた論考集です。執筆の経緯について教えていただけますか。

 怪談を生業にしている者として、「この世で一番怖い怪談って何なんだろう?」という疑問があったんです。それがそもそもの出発点ですね。その問いをもう少し厳密にするなら、現代人がもっとも怖れている怪談は何か、ということになる。そしてその問いに誠実に向き合おうとすると、自分が一番怖いものは何か、という地点からスタートせざるをえない。でも自分が怖いと感じているものは、多くの現代人と重なっているんじゃないか、という根拠のない確信もありました。

――吉田さんは怪談やオカルトにまつわるルポを執筆するかたわら、怪談作家としても活躍されています。両方のポジションを兼ねる方は珍しいですよね。

 怪談を読んだり聞いたりすることは面白いですが、怪談について考察するのも同様に面白い。両方ともエンタメだと思っています。昨年出した『一生忘れない怖い話の語り方』は前者について詳しく述べた本で、今回は後者のスタンスの本ですね。

――本書冒頭で、吉田さんがもっとも恐怖を覚えるものは「子殺し」だ、と述べられています。「幼い子どもが亡くなるニュースに触れるたび、比喩ではなく、胸の奥がぐうっと縮んで痛む」のだと。

 でもそれは自分だけじゃなく、社会全体がそうだと思います。幼い子どもが亡くなるということに極端にセンシティブになっていて、ハリウッド映画でも子どもがひどい目に遭って殺されるというシーンはほぼないですし、子どもを守って戦う母親は無謬の存在として描かれることが多い。これは現代的な反応だろうなという気は以前からしていて。じゃあ明治時代はどうだったのか、江戸時代はどうだったのか、とさかのぼって分析してみたんです。

巨匠たちの怪談に見え隠れする「子殺し」

――「子殺し」こそが現代怪談の最重要テーマだ、と宣言されています。

 江戸時代までは子殺しの怪談ってほとんど見当たらないんです。ここでいう「子ども」は新生児・乳児ですが。殺された子が祟るという話もほぼない。それが変化したのは明治以降になってからで、1970年代になるとさらに様相が変わる。コインロッカーベイビーと呼ばれた嬰児遺棄事件が騒がれ出した頃から、子どもは母親が大切に育てなければならない、という社会的圧力が強くなって、その裏返しで「子殺し」の母というイメージもクローズアップされてくる。そうした圧力は今ではさらに高まっているかもしれない。

――「子殺し」テーマを扱った怪談の先駆として、ある明治作家の作品をあげています。この指摘には思わず膝を打ちました。

 ネタバレになるのでここで具体名はあげませんが(笑)、子どもの頃からあの怪談がめちゃくちゃ怖かったんです。管見の限りこれ以前に、あのタイプの怪談が「子殺し」を扱った事例はありません。おそらく以前は子どもや赤ん坊を殺すことに、そこまで罪の意識はなかったし、恐怖のイメージもなかった。それが近代になって変わった、ということだと思います。

――しかも現代怪談の巨匠である稲川淳二、楳図かずお、平山夢明らの作品にも、「子殺し」というテーマが見え隠れする。これも卓見だと思います。

 あらためて調べて分かったことですが、やはりそうかという感じでしたね。彼らは現代怪談を代表する大作家であり大先輩ですが、今を生きている日本人でもあるので、怖れているものは僕らと一緒なんじゃないかと思うんです。それが楳図さんの「ヘビ女」シリーズになり、稲川さんの「やせていく子どもたち」などの怪談になった。平山さんのホラーや怪談にしても、もっとも許せない悪として子殺しが描かれています。これはご本人が「いや、違う」と否定しても、揺るがないところだと思います(笑)。

現代怪談に現れる「赤い女」とは?

――そして「子殺し」というテーマと密接に結びついているのが、現代怪談にしばしば登場する「赤い女」です。カシマさん、口裂け女、テケテケ、八尺様などの怪談で語られる不気味な女は、子殺しの母のイメージの投影であるという論が展開されます。

 以前から怪談を集めていて不思議だったんですよ。ちょっと昔風の赤い服を着て、妙に背の高い女が、窓などからこちらを覗いている。そうした話をまったく共通点のない人たちからよく聞くことがあって、これは何だろうと。考えてみれば口裂け女も赤い服を着ているし、カシマさんもテケテケもそういうパターンが見られる。それまで幽霊といえば白装束が多かったんでしょうが、70年代あたりから赤い女の目撃例が増えてくる。それと子殺しが重なるというのは、あながち的外れでもないと思うんです。

――怪談には社会の不安が刻印されている、ということですね。

 それ自体は怪談研究では珍しくないスタンスなんです。もっとも「口裂け女は教育ママの象徴だ」といったよくある見方をするだけでは面白くない。その解釈も間違いだとはいいませんが、むしろなぜそうした解釈が出てきたかという部分を考えるべきですね。怪談への反応をさらに解釈して、その当時の社会状況や精神性みたいなものを明らかにしたい。体験者のはっきりしない都市伝説的なものを扱うには、そうした方法を取るのが一番いいように思います。

「赤い女」はときどき帰ってくる

――本書は明治から令和へといたる怪談通史でもありますね。1980年生まれの吉田さんがリアルタイムで接したのはどの怪談からですか。

 原体験にあたるのは89年の「今田勇子」(※連続幼女誘拐・殺人事件の宮崎勤・元死刑囚が犯行声明文で自称した女性名)ですね。犯人が逮捕されるまでは今田勇子という「人さらいの女」のイメージが一人歩きしていて、事件現場が実家から近いこともあって、本当に怖ろしかった。後にそんな女はいなかったと判明するわけですが、それまではリアルな恐怖の対象でした。

――今田勇子を怪談的に受け止めていたわけですね。同じ頃には人面犬という都市伝説もブームになりましたよね。

 人面犬については自分も友達も信じていなかったです。流行ってはいたけど、子どもたちもどこかゲームに参加しているような感覚があったんじゃないかな。今田勇子とはリアリティの質が全然違いましたね。あるいは口裂け女の持っていたリアルさと化け物っぽさが、今田勇子と人面犬に二極化したのかもしれない。いずれにせよこういう本を書いても不思議ではない世代だなと思います(笑)。

――赤い女の系譜は近年、「アクロバティックサラサラ」というネット発の怪談に受け継がれているとか。怪異が時代とともにモデルチェンジをくり返すのも面白いですね。

 ある意味、意識的にモデルチェンジさせているところもあるんです。通俗的な民俗学イメージでよくあるように、共同体で語られたことが積み重なって、じわじわと妖怪の形を取っていくのではなく、特定の誰かが面白がってネットの匿名掲示板に書き込んだものが、噂として広がっている。アクロバティックサラサラなんて、まさにそうですよね。それにしてもなぜ、彼らは赤い女を生み出そうと思ったのか、という疑問がある。創作ならもっと別の姿でもいいわけですから。

――現代怪談は赤い女のイメージの呪縛から逃れられない。吉田さんはそれを「『赤い女』は、ときどきこちらへ帰ってくる」という言葉で表現されています。

 この本にしても、赤い女に書かされたと信じていますから(笑)。冗談ではなくそうだと思います。赤い女が霊的な存在かどうかはさておき、私も現代人である以上、赤い女からは逃げられないのだと思います。

心霊肯定派も否定派も愛おしい

――歩く死体、岐阜ポルターガイスト団地、樹海村など、現代怪談の主要トピックを取り上げたコラムページも興味深かったです。個人的には史上最恐の怪談とも称される「牛の首」を扱ったパートを面白く読みました。

 自分もそうですが、みんな妙に牛の怪談が好きですよね(笑)。牛の首だけじゃなく、クダンや牛女、牛頭天王も含めて。牛怪談というのも現代的な怪談という気がします。牛にまつわる恐怖のイメージは、当然中世や近世から伝わっているのでしょうが、クローズアップされたのは近代以降、広く話題になったのは90年代あたりからではないか。もしかすると赤い女と牛の首は、歩調を合わせているのかも知れません。

――牛の首には雨乞いのための儀礼の記憶が刻印されている、というのが吉田さんの仮説ですね。

 牛の首と殺牛儀礼が直接リンクするとは思っていませんが、恐怖のイメージの源泉のひとつではあるのかなと考えています。西日本には牛女の怪談が伝わっていますし、クダンの話もある。さまざまな要素がシチューのように煮詰められて、ふっと浮かんできたのが牛の首の怪談じゃないかという気がするんですよ。

――岐阜ポルターガイスト団地の項で書かれていますが、吉田さんは幽霊や祟りが実在するかどうかは「正直どちらでもよい」とか。

 それよりは幽霊や祟りで右往左往する人たちにこそ興味がある、という感じですよね。岐阜のポルターガイスト騒動でも、住人の方によってそれぞれ立場が違うんです。心霊現象が起きていると主張する人と、強固に否定する人、何も気にせず暮らしている人。色んな立場が幽霊騒ぎによって浮かび上がってくる。そのこと自体が好きなんです。肯定派が好きとか、否定派が好きとかいう話じゃなくて、みんなまとめて愛おしい(笑)。

――『現代怪談考』は怪談研究家・吉田悠軌のひとつの集大成だと思います。気になるテーマは書き切った、という感じでしょうか。

 いえ、全然書き切ってはいないです。カシマさんにしても口裂け女にしても、本を書き終えた次の日から新情報が出てきていますから。まだ中間報告ですらありません。登山でいうとやっと2合目くらいじゃないですか。

――新たな調査報告も楽しみにしています。本書をきっかけに怪談研究がさらに盛り上がればいいですね。

 怪談を語るプレイヤーは増えていますが、考察組はまだ数少ないですからね。どうしてこういう怪談が流行るのか、どこからそれは生まれたのか考えることもエンタメですから、みんなもっとやってほしい。もっと人が増えたら私が助かりますし(笑)。読者が自分なりの現代怪談考を語ってくれれば嬉しいです。

関連動画(本人登場)