
「句会ライブ」は1997年から、全国各地で続けている。今は年間に60回以上。会場には500人から700人が詰めかける。お客さんに作ってもらった俳句から夏井さんが特選7句を選び、作者を明かさないまま、みんなで議論して、拍手の多さで1位を決めるのが基本形だ。本書には、心温まる話や奇跡のようなできごとが多くつづられている。次も、そのひとつ。
北海道・帯広での句会ライブでは、こんな句が注目された。〈私(わたくし)を希求する手よ夕顔よ〉
会場のお客さんたちは、様々な鑑賞を展開する。「誰かに助けを求められてるって句じゃないかなあ」「夕顔だから源氏物語ですよ。この手は熱情の恋」。すると、年配の女性が控えめに挙手して「これはね、介護とか育児だと思うんです。病人も赤ちゃんも誰かの手を必要とします。それは十二分に分かっているんだけど、夕暮れの頃になると、ちょっと切なくもなるんです」と発言。会場に共感のざわめきが広がる。
その後、作者の男性が「家族を二人介護してます。仕事も持っているので、日々辛(つら)くなることもあって……」と言って、しばし絶句。「俳句に込めたかったことを、ちゃんと受け取っていただけたものだから、感極まってしまいました」との言葉に、会場の人たちが涙ぐむ。励ましの拍手は、大きな波となった。
ライブで種蒔き
俳句は「座の文芸」と言われ、その場に集った人たちは、一つの作品をどう読み解いてもいい。時には、作者の意図を超えた解釈で万人の心を打つことさえある。
言ってみれば「句会ライブは大きな座」。夏井さんは話す。「みなさんが誰かの俳句を鑑賞する場を借りて、自分の人生を語り出す。一人一人の人生が、見ず知らずの何百人の前で語られて、みんながもらい泣きしたり、大笑いしたり。そこから、私はエネルギーをいただいているんです。句会ライブをやると、私の血がきれいになる。そこに良い作品があると、さらにきれいになる」
「句会ライブ」を含めた「俳句の種蒔き」に情熱を傾けるのは、「俳句は人生の杖になる」という確信があるからだ。夏井さんは「人生を豊かにしたり、潤わせてくれたり、人とつながることを教えてくれたり。生身の自分の役に立つ」。本書にも、こうある。「自分の句が誰かの心に届くとは、時空を超えて悲しみや淋(さび)しさを共有すること。一人ではないという思いが心の柱となれば、人は立ち上がれる。歩き出せる。私は、そんな俳句の力を信じてやまない」
“老い”も句材に
一方で、「俳句は遊び」とも思っている。「季語によって触発された五感の悦(よろこ)びが、言葉として結球した瞬間、脳内に噴出するドーパミン。俳句とは、己の心と体を悦ばせる遊びなのだ」
年を重ねて、「老い」が新鮮な句材になってきたと本書にある。こんな自作が載っている。〈新米の粒老眼に失せにけり〉〈あたたかやそちら聞こえぬはうの耳〉〈湯に春の老いたる象のやうな腿(もも)〉
「老眼だって皺(しわ)だって白髪だってそれらは皆、これまで出会ったことのない興味深い俳句のタネだということ。己という生体から得られる一期一会にして唯一無二の句材なのだよ」
20年ほど前から心に決めていることがある。「生前葬句会ライブ」の全国ツアーを、いつかやりたい。「葬式に皆が追悼句詠んでくれても、自分では読めん。それってつまらんやん。兼題も『笑える追悼句』と決めてある」
だが、それはまだまだ先の話。夢であり、志でもある「1億2千万人総俳人化計画」の実現に向けて、旅から旅の生活は今日も続く。(西秀治)=朝日新聞2025年6月25日掲載
