ISBN: 9784106038778
発売⽇: 2022/03/24
サイズ: 20cm/296p
「ハレム」 [著]小笠原弘幸
ハレムという語に、我々はどんなイメージを抱くだろう。飽食と淫蕩(いんとう)に溺れる王、大勢の美女が横たわる豪奢(ごうしゃ)な宮殿……ハレム=官能と遊蕩(ゆうとう)に満ちた場との印象は、現代の日本人にはほぼ共通しているはずだ。
本書は「禁じられた」との語を語源とするオスマン帝国のハレムの実相に最新研究を駆使して迫る、本邦では珍しい書籍。現在は観光地として公開されるトルコ・トプカプ宮殿のハレムを中心に、その成立から衰亡までを縦糸に、ハレムに生きた人々を横糸に描いており、既存のハレム観を百八十度覆すこと請け合いだ。
思えば清少納言や紫式部が生きた平安王朝の後宮、幾度となくテレビドラマ・映画の舞台となった江戸城大奥など、王者の寵愛(ちょうあい)を争う女たちの姿は、なまじ垣間見が許されぬために関心をそそる。だが本書を読んで驚愕(きょうがく)するのは、ハレムがそんな好奇心をたやすく退けるほど、王とその血族を守るとの目的の元、厳格に組織化されていた事実。たとえばハレムの大半を占める女官は、多くが女奴隷として宮殿に入る。新入りとして三年を過ごした後、洗濯係や毒味係、妃の侍女などに配属される彼女たちのうち、運のいい女は王の寵愛を受け、また働きの優れた一部は女中頭、更に最も経験を積んだ者は最高位の女官長に登り詰めるとの構図は、現在の会社組織を想起させる。またハレムには白人宦官(かんがん)・黒人宦官の二種が関わっており、各々の職掌(しょくしょう)に差がある点も注目だ。
本書はハレムの多彩な側面にも触れており、ことに静謐(せいひつ)を重んじる宮廷において啞者(あしゃ)が雇い入れられ、彼らを中心に王を含めたハレムの人々が手話を用いていたとの記述には心底驚かされた。一方で王統を守る目的ゆえ、現代からは信じがたいシステムもハレムには敷かれていたが、残念ながらすべてを紹介するには紙幅が足りない。オスマン帝国を支え続けた一大組織の実像をぜひ満喫していただきたい。
◇
おがさわら・ひろゆき 1974年生まれ。九州大准教授(オスマン帝国史、トルコ共和国史)。『オスマン帝国』など。